日蓮正宗のススメ

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

顕正会の活動はビラ配りになってしまったのか?功徳は積めませんよ。

折伏行(顕正会はこの言葉を使うが、実際は勧誘行)に行き詰ると、どこの団体も似非行為に走る。創価学会公明党選挙運動功徳論がいい例だ。

仕事でターミナル駅前に行くことが多いので、最近の顕正会員のビラ配りをよく目にするようになった。

数名の女子部員らしき人たちが、ビラを配る人間とビラを拡大したプラカードのようなものを掲げ、ぶつぶつと浅井会長の書いた文章を読み上げる人間とに分かれ、道行く人々を勧誘しているが、ほぼスルーだ。

当たり前だけど。

驚いたのは、数年前まで19年間在籍していた私が、その中の誰のことも見覚えがないということだった。

定着率は相変わらず極端に低いようだな。

まあ、功徳につられて集まった烏合の衆団だから、すさみ切った心になり、非情な幹部の本性に気づかされ、せっかく戒壇の大御本尊様を恋慕渇仰しながら、宗教そのものを毛嫌いするようになってしまう。

戒壇の大御本尊様を恋慕渇仰していたなら、所属団体に疑問を持ったら本家本元の日蓮正宗の寺院をたずねてみればいい。

御書も読まず、本物の教学を知りたいならば、スマホでもパソコンででも「日蓮正宗」と検索してみればいい。Amazonで御書や御書文段、六巻抄を取り寄せてみればいい。

求道心とはそういうものじゃないか?

私の知人が顕正会のビラを受け取ってしまい、会社に持ってきてしまった。

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基礎教学書の広告のようだ。

┐( -"-)┌ヤレヤレ..

相も変わらずだな。浅井センセーは。

昔、おいらも諌暁書を購入して配ったよ。↓↓↓↓↓↓ コレ ↓↓↓↓↓↓

日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ

日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ

 

功徳なかったなぁ~(笑)。平成9年と平成16年だったっけ?二回配った記憶があるよ。魔の通力は感じたんだよな~。身の丈に合わないような、望外の結果に酔い痴れましたよ。その後はドラえもんのび太のような末路で、ひぃひぃ泣かされる羽目に。

故に弘決の八に云く「若し衆生生死を出でず仏乗を慕わずと知れば魔・是の人に於て猶親の想を生す」等云云、釈の心は人・善根を修すれども念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば魔王親のおもひをなして人間につきて其の人をもてなし供養す世間の人に実の僧と思はせんが為なり、例せば国主のたとむ僧をば諸人供養するが如し、されば国主等のかたきにするは既に正法を行ずるにてあるなり、釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり、眼前に見えたり此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇ましまさずんば争か日本の主となり給うべき、されば此の人人は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり、日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。(種種御振舞御書)

「種種御振舞御書」といえば、浅井センセーの名講義を思い出すなあ。最近は、御書講義すらないんだって?御書を研鑽しないで、基礎教学書ばっか読んでんのかなあ。

法体(戒壇の大御本尊様)を受持していない人を、謗法の人って言うんだけど、顕正会員もいくら観念的に大御本尊を恋慕渇仰しても、受持したことにはならないんだ。でも、受持したと思い込んで張りきっちゃう人のことは、第六天の魔王が応援してくれるんだよ。

凡夫でも人界に生まれることができているということは、なにがしかの善根を積んでるってことだから、その人が積んできた善根の功徳を吸い取って、もてなしてくれるんだと。でも、麻薬と一緒で通力が切れると、あっという間に奈落に堕ちちゃう。

私は実体験済みです(笑)。

さて、最後に浅学非才の私が、足掛け7年くらいかかってやっと腑に落ちた、戒壇の大御本尊様の御前がいついかなる時も、事の戒壇であることを顕正会員の皆様にご覧いただいて、今日のブログを閉めましょうか。

まずは、大聖人様の仏法は全て"事"のという言葉がつくということなんですよ。

これは、"理"に対する言葉で迹門(これも法華経迹門ではなく天台の一念三千をいう)のって意味。

寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、叡山の大師・渡唐して此の文の点を相伝し給う処なり、一とは一道清浄の義心とは諸法なり、されば天台大師心の字を釈して云く「一月三星・心果清浄」云云、日蓮云く一とは妙なり心とは法なり欲とは蓮なり見とは華なり仏とは経なり、此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり、一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり、無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり、相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり(義浄房御書)

引用が長くなってすみません。

私に会通いたしますと、「日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり」は、大聖人様の御内証(悟り・仏界)を御本尊様にお認(したた)めになっているということ。創価の言うような「宇宙に存在する法」などではないということ。また、大聖人様の御一生は法華経の身読(しんどく)であったこと。身読(しんどく)とは、身で読むということであり、生涯を通じて法華経の予言通りのお振舞をなされたということ。

一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。(崇峻天皇御書)

なぜ、大聖人様は法華経を身読(しんどく)されたのか?それは上記の「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」の御金言からもわかるように、人の振舞が御内証(悟り・仏界)に通じるものであるからと拝察しております。

つまり、「無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり」の御金言は、頭のなかだけで(理)で悟っただけの仏果(天台伝教・竜樹・迦葉)は、無作の三身の仏果(大聖人様の御内証・事)に劣るということなんです。

末法の御本仏は、示同凡夫によって末法の凡夫が成仏できることを証明しなくてはいけない。いきなり「はい、これだよ」って、大御本尊を顕現したのではだめなんだ。だから本因妙ともいう。妙(妙法)が成仏の根本因となることを示さなければ、本未有善の在ら凡夫は救えないんだよ。

対して釈迦は本果妙。過去に成仏しちゃってる人の教えなの。それでも、その釈迦でさえも人の振る舞いを出世の本懐としている。だから、みんな釈迦の経典を学び、仏像を崇めるんだよ。瞑想するのも釈迦の瞑想をマネしているんだよね。

さて、ここまでで、大聖人様の仏法は"事"の仏法ということが、少しわかっていただけたと思います。

それで、「寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事」の御金言に。大聖人様は「事の一念三千の三大秘法を成就せる事」とおっしゃっております。

つまり顕正会員さんがよく口にする三大秘法は、事の三大秘法なんです。

されば無作の三身とは末法法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり(御義口伝巻下 日蓮所立自寿量品至開結二経 寿量品廿七箇の大事)

此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ、此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に介爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。(三大秘法禀承事)

顕正会員さんの好きな三大秘法禀承事(三大秘法抄)が出てきましたね~(笑)。

でも、この御金言は御存じないかもです。

まず、上段の御義口伝の御金言は、大聖人様=戒壇の大御本尊様、つまり人法一箇の文証ですよね。ってわからないか。会通します。

無作の三身(御本仏)は、末法法華経の行者(鎌倉時代にお生まれになった日蓮大聖人様)であり、無作の三身の宝号(お名前)が南無妙法蓮華経であるよと仰っているのです。これが法華経寿量品の事の三大事なんだと、御講義くださっているんですよ。感動しませんか?

人法体一ということは、大聖人様ご自身が御教示になっておられるのです。つまり、御内証(御悟り)もお振舞も、そして後世にお残しくだされた法体(戒壇の大御本尊様)もすべて一体ということなんです。

そして、三大秘法禀承事の御金言を拝せば、「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり。今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に介爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。」とありますから、

三大秘法=日蓮が所行=事の三大事

であることがお判りになるかと。

つまり、基礎教学書に書かれている、三大秘法の説明は全て「事」の三大秘法の説明でなければ、つじつまが合わないですよね。

ではなぜ浅井センセーはあんなにお怒りなのか?

それは、私もそうでしたが、正本堂という20年も昔に取り壊された、奉安堂の前の戒壇堂の意義付けとごちゃ混ぜにしてしまっているからなんです。それには創価の池田センセーも絡んできて、ますます頭が混乱しますから、今は置いておきましょう。

つまり、大御本尊様の御前はいついかなるときも、事の戒壇であるということは、大聖人様の仏法が「事」の三大秘法であり、その当体(法体)が戒壇の大御本尊様であるということが腑に落ちれば、迷いは薄れていくはずです。

日寛上人様も、依義判文抄に

 

問う、若し爾らば三大秘法開合の相如何
答う、実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かちて三大秘法と為すなり。又本尊に人有り法有り、戒壇に義有り事有り、題目に信有り行有り、故に開して六義と成る。此の六義散じて八万宝蔵と成る。例せば高僧伝に「一心は万法の総体なり。分かちて戒定慧と為し、開して六度と為り、散じて万行と為る」と云うが如し。当に知るべし、本尊は万法の総体なり、故に之れを合する則んば八万宝蔵は但六義と成る。亦此の六義を合すれば則ち但三大秘法と成り、亦三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり。若し此の開合の意を得ば亦所引の文意を得ん云云。(六巻抄82頁)

 と仰せです。明々白々、明晰判明な会通ですね。

図示すると 

(一大秘法)         (三大秘法)  (六大秘法)
                               ┌人本尊(日蓮大聖人
                     ┌本門の本尊┤
                     │        └法本尊(本門戒壇の大御本尊
                     │ ┌義の戒壇(書写本尊の在所)
本門戒壇の大御本尊─┼本門の戒壇
                     │ └事の戒壇本門戒壇の大御本尊の在所)
                     │      ┌信(本門戒壇の大御本尊を信ずる)唱題の因
                     └本門の題目
                              └行(信じて唱える南無妙法蓮華経)信心の果

となるでしょうか。

ただし、顕正会員さんが刷り込まれている、三大秘法抄の御金言の事相上の事の戒壇の話は、あくまでも戒壇堂建立の話であります。そこも絶妙に勘違いしてるんですよね。戒壇は建立できません。戒壇は本尊の御前を指して言う言葉です。つまり、修行の場という意味になるんですよ。

戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり(三大秘法禀承事)

日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。(一期弘法付嘱書)

この二つの御金言は、広布事相上の事の戒壇堂建立についての御指南ですよ。

しかも、建立は建設とも同一ではありません。本堂の本尊とするという意味なのです。

ですから、日顕上人様は詳細はその時の猊下様の御判断に委ねれるんですよと、御指南されております。

詳しくは、 

三大秘法義

三大秘法義

 

をご研鑽ください。

もしも、日蓮正宗に入信したいと思われましたら、日蓮正宗寺院をアポとってご訪問ください。くれぐれも、人として失礼な振る舞いをなさらぬよう。 

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