政治思想を学ぼう:マキャベリ(1)目的のためには手段を選ばず
大聖人様の仏法は、立正安国論に始まり立正安国論に終わると言われます。
その理由は、大聖人様の仏法建立の目的が、安国にあるからです。
一念三千法門で言うところの、国土世間の安穏が成立してこそ、衆生世間(社会・組織)、五蘊世間(個人)の安穏が保障されるという道理に基づいているのです。
安国のためには、立正(正しい思想・哲学・宗教の建立)が必要であり、立正のためには破邪(悪思想の根絶)が大切なのです。
教学の勉強を志す方においては、古来からの教相判釈を勉強されていると思います。
しかし、現代世界は西洋政治思想に基づいて、思想が建立されており、我が国の教育も西洋近代政治思想を元に、民主主義教育が行われています。
折伏をすると、個人の功徳論や罰論は容易に語ることができると思います。
しかし、社会政治論になると、何を話せばいいか行き詰まるのではないでしょうか?
それは、政治思想を学んでいないのですから、当たり前のことです。
今回から、数回に分けて、私の理解している範囲で、政治思想について語りながら、私自身も皆さまと一緒に学んでいきたいと思っています。
最初は「近代政治学の祖」と称されることもあるマキャベリの思想をご紹介したいと思います。
マキャベリの思想は(いい意味でも悪い意味でも)いろいろと考えさせられる内容で、現代においても政治を考える際の「参照軸」になるものと言えるでしょう。
引用元
目次
概略の紹介
ニッコロ・マキャベリ(1469-1527)はルネサンス時代に活躍したフィレンツェ共和国の政治家・外交官・政治思想家です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年生まれ)の17歳下、ミケランジェロ(1475年生まれ)の6歳上です。ルネサンス芸術の巨匠たちと同時代人なんですね。
当時のイタリア半島は多くの国があって互いに争っていましたが、フィレンツェ共和国というのはその中の1つですね。
マキャベリはフィレンツェ共和国の外交官として奔走していろいろと活躍もしたのですが、最終的には失脚して人生の後半は執筆に専念したと言います。
有名な本として『君主論』『フィレンツェ史』『戦略論』などがありますが、この中でも『君主論』が群を抜いて有名ですね。今では政治学の古典の1つになっています。
すぐ後でご説明しますが、彼の思想を簡単に言えば「目的のためには手段を選ばない」というもので「マキャベリズム」(マキャベリ主義)と呼ばれています。
これがどうして「近代政治学の祖」なのかと言えば、おそらく「綺麗事を排除してリアルに政治を観察したから」ということになるのだろうと思います。
こういう意味で、マキャベリは「政治的リアリズム」(現実主義)の源流に位置する人物だと評されることもあります(古代にもリアリズムはありましたが)。
リアリズムがマキャベリズムとイコールなのかと言えばいろいろ問題はあると思うのですが、ともかく彼はそのような評価を受けている人です。
マキャベリズムとは
では「マキャベリズム」という思想をもう少し掘り下げてみましょう。
このマキャベリズムとは「国家のためならば非道徳的な行為や手段であっても許される」という考え方だと言えばよいでしょう。
外国か国内かを問わず国家の脅威となる勢力を排除し、国家に安定と秩序をもたらすためには、残酷だとか卑劣だとか言われるような手段であっても厭うべきではないということです。
マキャベリは政治の話をしていますが、もう少し一般的に「目的のためには手段を選ばない」という姿勢そのものを「マキャベリズム」と表現することもありますね。
つまり「国家のため」という文脈ではなくとも、自分の栄華栄達のためには汚い手も使うやり方、人を犠牲にすることを厭わないやり方をそう呼ぶことがあるのです。
彼は『君主論』で次のようなことを言っています。
- 偉業を成し遂げた君主は「信義」などほとんど考えもせず、人々の頭脳を欺くすべを知る者たちであった。そして結局、彼らが誠意を旨とした者たちに勝ったのだ。
- 思慮深い人物なら、信義の履行が危害をもたらしそうな場合はそれを守るべきではない。
- すべての人間はよこしまなものであり、勝手に振舞える時はいつでも本来の邪悪な本性を発揮するものだと考えておくべきである。
- 人民は優しく手なずけるか、さもなくば抹殺してしまうかだ。軽く傷つければ復讐してくるが、重く傷つければそれができないから。
これらの文章には彼のマキャベリズムがよく表れていると思います。
注目すべきはマキャベリの「人間観」の部分でしょう。
この「人間はもともと邪悪な存在だ」という考え方はよく「人間性悪説」と呼ばれます。古代中国の荀子(前313頃―前238頃)が性悪説を説いたのは有名です。
これに対して「性善説」を説いたのが孟子(前372頃―前289頃)ですね。
要するに「人間は自分勝手な存在だ。そんな奴らをまとめて国を統治し、同じく身勝手な外国人から自国を守るためには汚い手を使うことだって必要だ」と言っているのですね。
チェーザレ・ボルジア ~マキャベリズムのモデル~
マキャベリがこういう思想を育んだことには、時代背景も影響しているでしょう。
当時(西暦1500年前後)のイタリア半島では、ヴェネツィア共和国・ミラノ公国・フィレンツェ共和国・教皇領・ナポリ王国の5大国があって覇権を競っていました。
ただでさえ複雑なのにさらにフランス・神聖ローマ帝国(今のドイツ)・スペインなどの外国が虎視眈々と介入を狙っていて、もう混沌とした状況だったのです。
マキャベリ自身もフィレンツェの外交官として少しでも自国を有利にしようと各国を飛び回って交渉しています。
自分も他人も権謀術数を使い、裏切りや手のひら返しなど当たり前だったのでしょう。
こうした中、マキャベリは彼の思想形成に大きな影響を与える人物に出会います。
教皇軍を率いてロマーニャ地方(イタリア北東部)を統治していたチェーザレ・ボルジア(1475-1507)がその人です。
チェーザレは当時のローマ教皇アレクサンドル6世の息子です。教皇軍の指揮官としてロマーニャ地方の小国を次々に制圧してロマーニャ公国を建国していました。
とても有能で「イタリアの風雲児」のような趣きのある人物ですが、この人のやり方がすごかったんですね。
例えばですが……
チェーザレはロマーニャ公国の治安維持のために部下に強権を与えて厳しい取り締まりをやらせました。
しかしそのために民衆の反感が募って危険になると、チェーザレはその腹心の部下を処刑。その身体を真っ二つに切り裂いて広場に曝したと言われています。
自分がやらせたのに都合が悪くなると殺して曝す。「いやー、コイツのせいで辛かったよね。この通りブッ殺したからよ。すまんすまん」という感じでしょうか。
これを見せられた民衆としては嬉しいのか恐ろしいのか……。
またチェーザレは自分が制圧したロマーニャ地方の元当主たちを主体とする反乱軍に苦しめられていました。
そこでチェーザレは和睦交渉に応じるふりをします。そして会合のために反乱軍のリーダーたちが集まったところで一網打尽にして捕縛、その後すぐに処刑してしまいます。
こういう残酷で卑怯な手段も厭わない人物だったわけですね。
マキャベリはフィレンツェの外交官としてチェーザレと交渉したわけですが、彼のやり口を見ているうちに「これこそ理想のリーダー像だ」と惚れ込んでしまうのです。
いやいやいや……と思いますが、マキャベリとしては「こういう人物でなければ争いを収めて秩序を維持することはできない」と考えたのかもしれません。
ともあれチェーザレの思考や行動が「秩序の維持や安全保障のためならば、たとえ非道徳的な手段であってもやるべきだ」というマキャベリズムに影響していることが分かります。
ただチェーザレ自身は、父であるアレクサンドル6世が逝去すると運命が暗転し、若くして病気で亡くなっています。
軍備の重要性
さてマキャベリの思想でもう1つ重要なのが「軍備の重視」です。
彼は次のようなことを語っています。
- 軍備ある預言者はみな勝利したが、軍備なき預言者は滅びていった。
- 武装した者と非武装の者の間(の違い)は比較を絶したものがある。
- 武装した者が非武装の者に喜んで従うとか、非武装の者(君主)が武装した家臣たちの間で安全でいられるというのは、まったく理に適っていない。
- 今日のイタリアの破滅の原因は、長年にわたって傭兵軍に全面的に依存してきたこと以外にはない。
リアルに物事を分析したマキャベリですが、「軍備」「軍事力」ということについては特に思い入れが強いようです。
それもそのはずで、マキャベリ自身、フィレンツェの政治家として働く間ずっと自国の軍事力の不足に悩まされていたのです。
実は当時のフィレンツェには常設の自国軍と呼べるものがほとんどなく、傭兵や他国の援軍に頼っている状態でした。
例えばマキャベリが取り組んだものとして「ピサ再領有」の問題があります。
マキャベリの時代の少し前、フィレンツェはもともと自国領であった港湾都市ピサに独立されてしまい、海へ出る道を閉ざされていました。
これでは海外貿易に大きく後れを取り、商業上のライバルであるヴェネツィアなどの後塵を拝することになってしまいます。
このピサを再領有することがフィレンツェの悲願だったのですが、自国軍がないためそれが叶わずにいたのです。
マキャベリたちは2度にわたってピサ奪回戦をしかけますが、どちらも傭兵軍が言うことを聞いてくれず、ものの見事に失敗します。
この失敗で意を決したマキャベリは国内の各方面に必死に働きかけ、フィレンツェの自国軍創設を認めさせます。
そして1509年、創設したそのフィレンツェ正規軍がピサの占領に成功。ついに念願のピサ再領有を成し遂げたのです。この時期がマキャベリの人生の絶頂だったでしょう。
ただその後フィレンツェは列強同士の争いに巻き込まれ、結局はスペイン軍に攻められてマキャベリが仕えた政権は崩壊。マキャベリも追放されてしまいます。
浮き沈みのある人生ですが、これらの出来事からマキャベリはどんなことを学んだのでしょうか?
それはおそらく「何をするにせよ、自前の強い軍隊がなければお話にもならない」ということだったはずです。
軍事力がまったくないか、あっても不足していれば目的を達することはできない。その反対に軍事力が十分であれば目的を実現することができる。
単純ですが確かに「歴史の真実」だろうと思います。
今回の話を簡潔にまとめます。
マキャベリズムとは「国家の秩序ある統治と安全保障を最重要とし、その目的のためには(たとえ非道徳的な行為でも)手段を選ばない」という思想です。
そしてここには必然的に「軍事力の重視」という考え方も含まれることになります。
さて次回記事「マキャベリ(2)軍備なき国家は滅びる」では、このマキャベズムの功罪を論じてみたいと思います。