日蓮正宗のススメ

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コロナウイルス感染症の流行で、アマビエなる妖怪を厄除けにする人々について

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アマビエは、江戸時代後期に製作されたとみられる瓦版に類する刷り物に、絵と文とが記されている。肥後国(現・熊本県)の夜ごとに海に光り物がおこったため、土地の役人がおもむいたところ、アマビエと名乗るものが出現し、役人に対して「当年より6ヶ年の間[注 2]は諸国で豊作がつづく。しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ。」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行ったとされる[1]。
世間ではアマビエという妖怪が、疫病封じのおまじない的な存在として、巷間に流布していそうです。 早速、グッズなども販売されていて、民衆の信仰心などいかにあてにならないものかと、日蓮大聖人様の仏法を折伏弘通しようと、苦心している私からすれば哀しみの心が湧いてきてしまいます。 日蓮大聖人様の御書にも妖怪の文字がありました。
近来二つの妖怪有り、人の耳目を驚かす。所謂達磨の邪法と念仏の哀音となり○顕密の法門に属せず、王臣の祈請を致さず。誠に端拱にして世を蔑り、暗証にして人を軽んず。小生浅識を崇めて見性成仏の仁と為し、耆年宿老を笑ふて螻蟻蚊虻の類に擬す。論談を致さざれば才の長短を表はさず、決択に交はらざれば智の賢愚を測らず、唯牆壁に向ふて独り道を得たりと謂ひ、三衣纔かに紆ひ七慢専ら盛んなり。長く舒巻を抛つ。附仏法の外道吾が朝に既に出現す。妖怪の至り慎まずんばあるべからず。何ぞ強ちに亡国流浪の僧を撰んで伽藍伝持の主と為さんや。(念仏者追放宣旨御教書事172㌻)
禅宗と浄土宗を破折された御書ですね。附仏法とは、仏法に自己の勝手な解釈を付けることをいいます。仏教者であるようなふりをして、実は仏教からはずれた教えを説いている人を「付仏法の外道」というのです。 アマビエは、ただの俗信で附仏法ではありませんが、妖怪を信じるという心根がもう、鎌倉時代の権経権宗に執着していた人々と比べても、格段に低いと言いますか情けないですね。 大聖人様は妖怪という言葉を、信じるに足りないもの、根拠のない妖しい(怪しい)ものという、言葉の本来の意味で使われておられますが。。。妖怪と知りながら信じる衆生世間というのが、令和の実状です。 そんなもの信じるくらいなら、日蓮正宗に帰依すればいいのに。。。と思うのですが、寸善尺魔といいますか、仏法の話をすれば急に猛反発したり、軽侮して上から目線になったり。。。
仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきをふものなり。寸善尺魔と申すは是なり。   其の上此の国は謗法の土なれば、守護の善神法味にうへて社をすて天に上り給へば、悪鬼入りかはりて多くの人を導く。仏陀は化をやめて寂光土へ帰り給へば、堂塔寺社は徒に魔縁の栖と成りぬ。国の費え民の歎きにて、いらかを並べたる計りなり。是私の言にあらず経文にこれあり、習ふべし。諸仏も諸神も謗法の供養をば全く請け取り給はず、況んや人間としてこれをうくべきや。春日大明神の御託宣に云はく、飯に銅の炎をば食すとも心穢れたる人の物をうけじ。座に銅の焔には坐すとも、心汚れたる人の家にはいたらじ。草の廊、萱の軒にはいたるべしと云へり。縦令千日のしめを引くとも不信の所には至らじ。重服深厚の家なりとも有信の所には至るべし云云。是くの如く善神は此の謗法の国をばなげきて天に上らせ給ひて候。心けがれたると申すは法華経を持たざる人の事なり。此の経の五の巻に見えたり。謗法の供養をば銅の焔とこそおほせられたれ。神だにも是くの如し、況んや我等凡夫としてほむらをば食すべしや。人の子として我が親を殺したらんものゝ、我に物をえさせんに是を取るべきや。いかなる智者聖人も無間地獄を遁るべからず。又それにも近づくべからず。与同罪恐るべし恐るべし。(新池御書1458㌻)
せっかく、疫病をきっかけに道念心を起こしても、謗法には易々と願掛けをするのは、やはりただごとではありますまい。 日本国中の人が、日蓮正宗に帰依されることをお祈りいたします。