なぜ、ブログを書き続けるのか
100分de名著の「徒然草」を視たんですが。
冒頭の有名な部分が心に刺さりました。
原文
つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
現代語訳(口語訳)
することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、一日中、硯に向かって、心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけていると、(思わず熱中して)異常なほど、狂ったような気持ちになるものだ。
「あやしうこそものぐるほしけれ。 」皆さんもご記憶の方が多いでしょう。
というか、徒然草ってここしか記憶にございませんでした。
でも、やはり、ここが肝なんです。
エッセイ。随筆。随想。。。
日記とは違う。
筆が先が想いが先か。
書きながら想い、想いながら書く。
これは夢中になるほど楽しいんですよ。
なかなかやめられません。
全ての文章が価値的であるとも言い切れません。
でも、書く。
書き禅定なんです。
歩き禅定・読み禅定。
禅定にもいろいろありますが、もっぱら私は書き禅定。
つれづれなるままに、日暮らし、パソコンにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。