日蓮正宗のススメ

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『妙法蓮華経』の体(実体)は、十界の依正であることをあかした書【当体義抄】 その二

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[当体義抄 本文] その二
 問う劫初(こっしょ)より已来何人(このかたなんびと)か当体の蓮華を証得せしや、答う釈尊五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)の当初(そのかみ)、此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり、今日又・中天竺摩訶陀国(まかだこく)に出世して此の蓮華を顕わさんと欲(おぼ)すに機無く時無し故に一法の蓮華に於て三の草華を分別し三乗の権法を施し擬宜誘引(ぎぎゆういん)せしこと四十余年なり、此の間は衆生の根性万差なれば種種の草華を施し設けて終に妙法蓮華を施したまわざる故に、無量義経に云く「我先に道場菩提樹下(ぼだいじゅげ)乃至四十余年未だ真実を顕さず」文、法華経に至つて四味三教の方便の権教・小乗・種種の草華を捨てて唯一の妙法蓮華を説き三の華草を開して一の妙法蓮華を顕す時、四味・三教の権人に初住の蓮華を授けしより始めて開近顕遠(かいごんけんのん)の蓮華に至つて二住・三住乃至十住・等覚・妙覚の極果の蓮華を得るなり。

 問う法華経は何れの品何れの文にか正しく当体譬喩の蓮華を説き分けたるや、答う若し三周の声聞に約して之を論ぜば方便の一品は皆是当体蓮華を説けるなり、譬喩品・化城喩品(けじょうゆほん)には譬喩蓮華を説きしなり、但方便品にも譬喩蓮華無きに非ず余品にも当体蓮華無きに非ざるなり、問う若し爾らば正く当体蓮華を説きし文は何れぞや答う方便品の諸法実相の文是なり、問う何を以て此の文が当体蓮華なりと云う事を知ることを得るや、答う天台妙楽今の文を引て今経の体を釈せし故なり、又伝教大師釈して云く「問う法華経は何を以て体と為すや、答う諸法実相を以て体と為す」文、此の釈分明なり当世の学者此の釈を秘して名を顕さず然るに此の文の名を妙法蓮華と曰う義なり、又現証は宝塔品の三身(さんじん)是れ現証なり、或は涌出の菩薩・竜女の即身成仏是なり、地涌の菩薩を現証と為す事は経文に如蓮華在水と云う故なり菩薩の当体と聞(きこえ)たり、竜女を証拠と為す事は霊鷲山に詣で千葉の蓮華の大いさ車輪の如くなるに坐しと説きたまう故なり、又妙音・観音の三十三・四身なり是をば解釈(げしゃく)には法華三昧の不思議・自在の業を証得するに非ざるよりは安(いずくん)ぞ能く此の三十三身を現ぜんと云云、或は「世間相常住」文、此等は皆当世の学者の勘文なり、然りと雖も日蓮は方便品の文と神力品の如来一切所有之法等の文となり、此の文をば天台大師も之を引いて今経の五重玄を釈せしなり、殊更(ことさら)此の一文正しき証文なり。

 問う次上に引く所の文証・現証・殊勝なり何ぞ神力の一文に執するや、答う此の一文は深意有る故に殊更に吉(よき)なり、問う其の深意如何、答う此の文は釈尊・本眷属地涌の菩薩に結要(けっちょう)の五字の当体を付属すと説きたまえる文なる故なり、久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦如来は我が昔の所願の如き今は已に満足す、一切衆生を化して皆仏道に入ら令むとて御願已に満足し、如来の滅後・後五百歳中・広宣流布の付属を説かんが為地涌の菩薩を召し出し本門の当体蓮華を要を以て付属し給える文なれば釈尊出世の本懐・道場所得の秘法・末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり。

故に末法今時に於て如来の御使より外に当体蓮華の証文を知つて出す人都て有る可からざるなり、真実以て秘文なり真実以て大事なり真実以て尊きなり、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経 爾前の円の菩薩等の今経に大衆八万有つて具足の道を聞かんと欲す云云、是なり。
問う当流の法門の意は諸宗の人来つて当体蓮華の証文を問わん時は法華経何れの文を出す可きや、答う二十八品の始に妙法蓮華経と題す此の文を出す可きなり。
問う何を以て品品の題目は当体蓮華なりと云う事を知ることを得るや、故は天台大師今経の首題を釈する時・蓮華とは譬喩を挙ぐると云つて譬喩蓮華と釈し給える者をや、
答う、題目の蓮華は当体譬喩を合説す天台の今の釈は譬喩の辺を釈する時の釈なり、玄文第一の本迹の六譬(ろっぴ)は此の意なり、同じく第七は当体の辺を釈するなり、故に天台は題目の蓮華を以て当体譬喩の両説を釈する故に失(とが)無し、問う何を以て題目の蓮華は当体譬喩合説すと云う事を知ることを得んや、南岳大師も妙法蓮華経の五字を釈する時「妙とは衆生妙なるに故に、法とは衆生法なる故に、蓮華とは是れ譬喩を借るなり」文。

南岳天台の釈既に譬喩蓮華なりと釈し給う如何、答う南岳の釈も天台の釈の如し云云、但当体・譬喩合説すと云う事経文分明ならずと雖も南岳天台既に天親・竜樹の論に依て合説の意を判釈せり、所謂法華論に云く「妙法蓮華とは二種の義有り一には出水の義、乃至泥水(でいすい)を出るをば諸の声聞・如来大衆の中に入つて坐し諸の菩薩の如く蓮華の上に坐して如来上智慧・清浄の境界を説くを聞いて如来の密蔵を証するを喩うるが故に・二に華開とは諸の衆生・大乗の中に於て其心怯弱(こうじゃく)にして信を生ずること能わず故に如来の浄妙法身を開示して信心を生ぜしめんが故なり」文、諸の菩薩の諸の字は法華已前の大小の諸菩薩法華経に来つて仏の蓮華を得ると云う事法華論の文分明なり、故に知ぬ菩薩処処得入とは方便なり、天台此の論の文を釈して云く今論の意を解せば若し衆生をして浄妙法身を見せしむと言わば此れ妙因の開発するを以つて蓮華と為るなり、若し如来大衆に入るに蓮華の上に坐すと言わば此は妙報の国土を以て蓮華と為るなり、

又天台が当体譬喩合説する様を委細に釈し給う時、大集経の我今仏の蓮華を敬礼すと云う文と法華論の今の文とを引証して釈して云く「若し大集に依れば行法の因果を蓮華と為す、菩薩上に処すれば即ち是れ因の華なり、仏の蓮華を礼すれば即ち是れ果の華なり、若し法華論に依れば依報の国土を以て蓮華と為す復菩薩・蓮華の行を修するに由つて報・蓮華の国土を得当に知るべし依正(えしょう)因果悉く是れ蓮華の法なり、何ぞ譬をもつて顕すことをもちいん鈍人の法性の蓮華を解せざる為の故に世の華を挙げて譬と為す亦何の妨げかあるべき」文、又云く若し蓮華に非んば何に由つて遍く上来の諸法を喩えん、法譬雙(ほっぴ・なら)べ弁ずる故に妙法蓮華と称するなり、

次に竜樹菩薩の大論に云く「蓮華とは法譬並びに挙ぐるなり」文、伝教大師が天親・竜樹の二論の文を釈して云く「論の文但妙法蓮華経と名くるに二種の義あり唯蓮華に二種の義有りと謂うには非ず、凡そ法喩とは相い似たるを好しと為す若し相い似ずんば何を以てか他を解せしめん、是の故に釈論に法喩並び挙ぐ一心の妙法蓮華は因華・果台・倶時に増長す此の義解し難し喩を仮れば解し易し此の理教を詮ずるを名けて妙法蓮華経と為す」文、
此等の論文釈義分明なり文に在つて見る可し包蔵せざるが故に合説の義極成(ごくじょう)せり、凡そ法華経の意は譬喩即法体・法体即譬喩なり、故に伝教大師釈して云く「今経は譬喩多しと雖も大喩は是れ七喩なり、此の七喩は即ち法体・法体は即ち譬喩なり、故に譬喩の外に法体無く法体の外に譬喩無し、但し法体とは法性の理体なり譬喩とは即ち妙法の事相の体なり、事相即理体なり理体即事相なり、故に法譬一体とは云うなり、是を以て論文山家の釈に皆蓮華を釈するには法譬並べ挙ぐ」等云云、釈の意分明なる故重ねて云わず。

 

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