日蓮正宗のススメ

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1236夜:創価ダメ出しさんの、教学研鑽姿勢に舌を巻く

ペロン、じゃねえよ

いや~驚いたね。
僕がこの界隈のSNS発信者で、唯一、脱帽し、かつ敬愛するブロガーは創価ダメ出しさん、ただ一人なんだけどさ。
彼が、最近、自身の教学研鑽状況をアップしてくれたんだ。

sokadamedasiblog.hatenadiary.com

さよなら、創価御書。 体験・雑記等 先月、ずっと使っていた創価版御書から現在の正宗版御書へ変更作業が終わりました。変更作業というのは御書の要文にマーカーを引く作業だったのですが、約4年かけてようやく正宗版御書の全要文へのマーキングが完了したわけです。正宗に移籍後すぐに正宗版御書を購入しましたが他に読みたい書籍がたくさんあって、その合間に御書移管作業をしていたので結構な時間がかかってしまいました。だたその甲斐があって4年かかりましたが正宗版御書を全編読破することができました。 左がいままでの創価版御書で右が正宗版御書です。こんな感じで2冊の御書を並べて対称しながらマーキングをする作業をしていたわけです。これで今まで使っていた創価版御書はお役御免となりました。創価版御書は本当に貧乏している時に、なけなしのお金で買った思い出深き御書ですから捨てずに保管しておきたいと思ってます。しかし四半世紀以上も使っていたので結構ボロボロです。 目次のページなんて本体から取れちゃって分冊状態になっていますし、 御書カバーもこんなにボロボロ。これでも御書カバーは3代目なんですよ。書き込みもほぼ全ページに「これでもか!」というくらいしてあります。創価時代のメンバーから私の御書はどこが本文でどこが書き込みか分からないってよく言われましたが自分では分かっているので無問題です。いま昔の書き込みを読み返すと、「こんなことも分からなかったのかぁ」「こりゃ完全に池田教学だな」と思う書き込みも多く、恥かしいやら懐かしいやらです。それだけ教学的に成長できたんだなぁってしみじみ思います。御書研鑽で一番の思い出は御義口伝の研鑽です。知人の学会員から当時は持っていなかった『御義口伝講義』を借りて活動の合間に1年くらいかけて全編研鑽しました。この時に『法華文句』が欲しいってつくずく思いました。『観心本尊抄』『生死一大事血脈抄』などは部活等でよく講義しましたね~。今から思えば池田創価流会通でダメ講義ですが、それでも日寛上人の御指南(文段など)を基本に講義していましたから当時の自分としては池田創価教学にどっぷり浸かっていなかったと自負しています。(まぁ基本ダメなんだけど)それとこの御書は広宣部時代には法華講顕正会・身延・仏立宗などとの対論の時に良き相棒として常に私のそばにありました。「ああ、この御文は顕正会の対論の時によく使ったな」なんて思い出しながら作業をしていました。色違いの付箋がたくさん貼ってありますがMyルールに則って色違いにしているんですよ~。よく引用する御文はだいたい何ページにあるか分かってしまう位に使い込んだこの創価御書もこれで引退となります。これからは正宗版御書に研鑽の書き込みをしていき御書名でページが分かるくらいになりたいですね。また御書研鑽と並行して聖典の御文も研鑽していきたいと思ってます。そんなわけで、さよなら創価御書。いままでありがとう!長い間お疲れ様でした・・って定年退職する課長さんかい!

さよなら、創価御書。 - 創価ダメだしブログ

すげ~よ。
ダメ出しさん。
参りました。

理解力の深さもさることながら、会通のしかたが素晴らしいのは、このひたむきな努力が背景にあったんですね。

オイラも遅ればせながら

少しでもダメ出しさんに近づくことが出来るように、今日から心を入れ替えて頑張ります。

ちなみに、今月の御講拝読御書をダメ出しさんの会通で、勉強させていただくことにいたしましょう。

 

御講拝読御書研鑽(2022年6月・祈祷抄)

大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず、法華経の行者を諸の菩薩人天八部等二聖二天十羅刹等千に一も来つてまほり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り下は九界をたぼらかす失あり、行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし

 

今月の御講拝読御書は『祈祷抄』の有名な御文です。この御文については過去2度【創価教学じゃない御書講義】で記事にしています。

▼過去記事はこちら

創価教学じゃない御書講義(6月度座談会御書・祈祷抄) - 創価ダメだしブログ

創価教学じゃない御書講義(2021年6月座談会御書・祈祷抄) - 創価ダメだしブログ

 

過去の創価座談御書の範囲は当該御文の前半部分だけなので今日は後半の【行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし】の部分を研鑽したいと思います。当該部分の「不実・愚痴・不浄・無戒徳」とは本文では別して法華経の行者と言われていますが、総じて言えば「不実・愚痴・不浄・無戒徳」とは末法衆生に共通します。末法の荒凡夫は本未有善の衆生ですから皆「不実・愚痴・不浄・無戒徳」の人間です。そうした末法衆生であっても南無妙法蓮華経を唱えれば諸天善神は必ず守護します。その理由は本抄の冒頭から当該御文の直前まで書かれていますが簡単に言うと仏菩薩を含めた十界の衆生法華経によって成仏できたので法華経とそれを説いた仏に対して必ず報恩すると誓いを立てたからです。もちろんここでいう南無妙法蓮華経を唱えるのは人法一箇の大御本尊を受持するという意で、単に南無妙法蓮華経の唱題をすれば守られるのではありません。ですから創価や顕正・身延等の信者がいかに唱題しようと諸天の守護はありません。でも、法華講員でもなかなか祈りが叶わない時ってありますよね?祈りが叶わないのには原因があります。

◆何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし(曾谷殿御返事)

との御妙判にように「謗法」があると祈りは叶いません。謗法については『松野殿御返事』の書かれいる十四誹謗が有名ですが、我々、法華講員は戒壇大御本尊様に帰依したので大謗法の罪からは逃れています。しかしつい十四誹謗の謗法を犯してしまうこともありますよね。やっちゃいがちなのは「懈怠謗法」と「著欲謗法」ですよね~。そうした謗法がありますので祈りが叶うのに時間がかかる場合があるわけです。

◆謗法に上中下雑の謗法あり(顕謗法抄)

との御教示のように法華講であっても下・雑謗法は犯してしまいます。そうした我々のことを「不実・愚痴・不浄・無戒徳」の法華経の行者といいますが本文ではそうした我々でも必ず祈りが叶うと大聖人は言われています。何故かと言えば御本尊の仏力・法力によって雑謗法等の小さな罪業は消えてしまうからです。日寛上人は、

◇懺悔と云ふ事大切てこさる。其の懺悔は如何様にするそ。(中略)善に付け悪に付け南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え奉れは、衆罪は霜露の如く消へ失て仏の仏心仏界となり、善根はは彌増長する程に、或い世事の営にさへられ、或いは世間の事にさえられて、縦仏前には向はざれとも手に珠数をは持たざれとも、只常住不断に南無妙法蓮華経を心に忘れ給はぬか尤肝要てこさる。(序品談義)

と御指南されています。即ち、勤行・唱題を実践すれば自然と日々の自身の謗法は消えていき善根は増長していくわけです。この罪障消滅と善根増長のバランスが整ったときに祈りは叶う訳です。故に法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」と大聖人は仰せなのです。では何故、勤行・唱題で謗法を消滅できるのかというと、これも日寛上人が

◇心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法になるなり。口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。手に数珠を持ちて本尊に向かわずんば、身が謗法に同ずるなり。故に法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向かい、口に法華本門寿量文底下種・事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者なり。是れ則ち身口意三業に法華を信ずる人なり。(如説修行抄筆記)

とその法理を御教示してくれています。即ち、勤行・唱題は自身に対する折伏であり、折伏とは悪を破し善を生じされることだからです。ここで1点だけ重要なことがあり、唱題の時は【心に折伏を思わなければいけない。ということです。折伏ができる・できない、やる・やらない、ではなくまずは最初に心の中で「折伏をしたい」と思うことが重要になります。「折伏」を思わずに自分の願いだけを唱題していたら自身の謗法が消えないのでいつまでたっても祈りが叶わないのです。もちろん、自分の願いは好きなだけ祈ってください。最初に「折伏したい」と思うことを忘れなければ祈りは絶対に叶う。私もそのように信じて日々の勤行・唱題をしています。

 

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