日蓮正宗のススメ

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1225夜:シニフィエの「対話を求めてー静かに創価学会を去るために」ブログが、静かに閉鎖されていた件

過去には、1000万アクセスに歓喜していたこともありましたね。
当ブログでも記事にしました。

nichirendaihonin.hatenablog.com昨日、創価ダメ出しさんのブログを読んで、「対話ブログ」の閉鎖を知りました。
巨大宗教団体から法的脅迫を受けたのか?
愚痴ブログにありがちな、煮詰まりを迎えたのか?
はたまた頭破作七分の現証で、持病のうつ病が再発したのか?
真相は知りません。
というか、全くロム*1ってすらなかった(笑)。

ごめんね。興味なかったわ。

事情を知った創価ダメ出しさんの記事はコチラ↓

sokadamedasiblog.hatenadiary.com

シニフィエ同様の、何の確信もなくフラフラ彷徨っているだけの糞ブログ、「気楽に語ろう創価学会非活のブログ」が、浅識謗法していたのを、ダメ出しさんがサクッと破折していました。

watabeshinjun.hatenablog.com

気楽ブログの笑えるところは、気楽に語ろうというタイトルなのに、コメント欄がない(笑)。これだけでも、名前負けブログなのですが。
念仏に興味持ったりしながらも、日蓮正宗に粘着し続けています。
犀角独歩とかと同じような、浅識・計我謗法者です。

「対話ブログ」のブログ主シニフィエも同様の手口で、根無し草の創価に嫌気がさしたり、除名になったりしたつまらない連中の賞賛を受けて、図に乗っていましたが賢そうなフリしただけで消えましたね。

顕正会批判ブログにもよく似たようなのがありましたが、やはり消えました。

nichirendaihonin.hatenablog.com

創価や顕正にダマされたことを恨み、自分の宿業を省みることもない人間には、成長は見込めないという見本ではないでしょうか?

異流儀の謗法は、謗法の中でも最悪の謗法であることは知っておいた方がいいでしょう。
創価・顕正・正信会などが出るまでは、他門や傍系と呼ばれる連中が最も罪の重い謗法でした。近いだけに極重の罪障を積むのです。紛らわしいですしね。北山なんて最たるもので、総本山大石寺のフリをして、讃岐本門寺を掠め取った過去があります。創価をやめて日蓮正宗寺院を訪ねた人が、正信会や離脱僧の寺院に縁してしまったなんて、シャレにならないような話もあります。
うっかり八兵衛なら、「馬鹿だねお前は」で御隠居に可愛がられて御愛嬌ですが、謗法は騙されても謗法です。
世間の邪宗教に入ってしまうのも同じなのです。
日蓮正宗を求めるなら、大石寺の公式HPくらいは閲覧してからアポを取ってください。
離脱僧は平気でうそを言いますから。
「ハイ、日蓮正宗ですよ」って言いながら、創価の偽本尊を日寛上人様の御本尊だと言って下付したり、なんちゃって御授戒をするのです。
私の知人は、日顕上人様の御本尊様を創価の本尊だと思って、偽本尊をつかまされ難病になりました。
御本尊御不敬と偽本尊の害毒のダブルパンチを食らってしまったのです。
今でも生きてはいますが、寝たきりで体が全く動かないままです。
声を出すこともできません。
私の菩提寺日蓮正宗に帰依させてもらい、再び正宗の御本尊様を下付していただきました。
御住職様に自宅まで来ていただいて、勧誡も授けてもらったので、死後の堕獄だけは免れることができたのですが、悲惨です。

池田大作や浅井昭衛、離脱僧など、人を騙して悪道に引き入れる人間の罪は、計り知れない重さでありますが、誑かされて謗法を信じることは、大目に見てもらえる道理などないのです。
下記の質問会での問答などもお読み下さり、今一度、御自分の罪深さを思い出してみてください。

こんなことを言う私も他人事ではありません。
創価2世~顕正会日蓮正宗という遍歴は、大バカ者の証拠だと思っております。
うつ病や自殺、事故死、死病などに至る前に12年前に戻ってきました。
これを九死に一生を得るということだと受け止めております。

 

創価学会から帰伏してきた眷属が火災で死亡した

【質問】
 創価学会を脱会して帰伏してきた眷属が、火事で亡くなってしまいました。
 その人は、長年、創価学会に在籍していましたが、一年前にニセ本尊を返して日蓮正宗に帰伏し、それ以来、時折、講中の行事や会合に参加して正信に目覚め始めており、そろそろ御本尊様をお貸し下げいただこう、という段階になっていました。
 その矢先の出来事で、正しい信心についたのに、なぜ、このような事になってしまったのか、と疑問に思っています。

【回答】
 まことにお気の毒なことですが、そこで命を終えなくてはならない業があった、ということです。その業が、いつ、どこで定まったのかといえば、創価学会にいて間違った信仰に染まっていた間に定まってしまったのだ、といえましょう。
 平成三年に創価学会が破門になって、すでに二十年以上が経過しています。
 厳しい言い方かもしれませんが、その方は、長年、創価学会に在籍していながら、学会の大謗法を止めなかったばかりか、その大謗法に同調して、日蓮正宗の御本尊様を幹部の手に渡して御不敬し、ニセ本尊に取り替えてしまったわけです。過去世から持ってきた罪障に、さらに、そうした罪業が加わって、そこで命を失わなければならない、という業が定まってしまったのです。
 本来であれば、それほどの罪障があったのですから、”少しずつ正信に目覚め……”などという生半可なことでなく、心から懺悔して、命がけで信心していくべきだったし、我々の側も、大謗法の創価学会にいて重い業を刻んでしまった人だということを、よくよく心に入れて育成に当たらなくてはならなかったのです。
 それなのに、少しずつでも功徳を積んでいってもらえればよい、というような甘い気持ちがあったのではないでしょうか。
 異流義の中に身を置いた罪障は、それほど軽いものではないのです。
 平成三年に創価学会が破門となって以降、たくさんの人達が日蓮正宗に帰伏してこられました。
 その人達の中には、「自分は、創価学会日蓮正宗の信徒団体だった時に入信し、破門に伴って脱会した。だから、自分は何も間違っていない」「創価学会には所属していたけれど、会長本仏論などという指導は聞いた覚えがないし、自分も会長が仏だなどと思ったことはない」等々と言って、自分に非はないと主張する人がいます。
 たしかに会長本仏論は、「会長が本仏」というストレートな表現ではありませんでしたが、巧みな形で、また口コミも使って流され、それが大謗法だという自覚がないまま一人ひとりに浸透し、会内に蔓延していったのです。
 その証拠に、「会長が仏だなどという指導は聞いたことがない」と言っている人の家で、御本尊様安置の仏壇の上に池田大作の写真が飾ってあったり、その人の御書を開いてみると「仏=指導者=池田先生」などという書き込みがあったりするのです。これこそ会長本仏論です。
 その会長本仏論とは、御本仏日蓮大聖人様を押し倒す大謗法です。長年、そのような会長本仏論に染まって、それを擁護してきた罪障が軽いはずがありません。まして、その罪を認めず反省もしない、ということでは、罪障消滅もできようはずがありません。
 日蓮大聖人は、
 「小罪なれども懺悔ざんげせざれば悪道をまぬかれず。大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ」(御書九六二頁)
 「若し法華誹謗のとがを改めて信伏しんぷく随従ずいじゅうする共、浅く有っては無間に堕つべきなり。先の謗法強きが故に依るなり」(御書一七六九頁)
と仰せです。
 ですから、異流義団体から帰伏した後の信心の在り方としては、懺悔の志をもって、不自惜身命で信心していかなくてはなりません。一日も早く、そのような信心に立っていただけるよう、我々も心を砕かなくてはならないのであります。

 

異流儀関係のややこしい議論に、モヤモヤした気持ちがある方は、創価ダメ出しさんが引用していた、「弁惑観心抄」をお読みになることをお勧めいたします。
文体はやや古いですが、明治期の著作なので意味も通じやすいかと。

また、宗内通俗問答大意もよいでしょう。
他門・異流儀の迷いが整理されています。

「対話ブログ」系邪難者は、仏教学や哲学を齧っている人が多いです。
こういう連中のことをカジリストって呼んでるんですが、哲学・仏教学なんかも真剣に向き合うにたる見識は必要なんです。

特に現代では内外相対への理解は最重要課題ですから。
真剣に学べば部分観としては、いい線いってるなって気づけます。以下の二冊はいいですよ。

そして、暇と退屈の倫理学(新潮文庫)にも引用されている、生物から見た世界 (岩波文庫)は、一念三千の衆生世間というものが、一体どういうものなのか、実感を持って体験できます。
特にダニの生態は感動ですらありました。

一緒に見識を深めあっていきましょう。

 

 

*1:ROMる(ロムる)とは、かつての「2ちゃんねる」をはじめとした電子掲示板やメーリングリストなどのインターネットコミュニティにおいて、投稿せずに閲覧のみを行うこと