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1210夜:久遠元初の概念は科学と矛盾するか?

久遠くおん元初がんじょ概念がいねんは科学と矛盾するか?

【質問】
仏法には久遠くおん元初がんじょという概念がいねんが説かれていますが、これは、今日、明らかになってきた現代科学の研究成果と明らかに矛盾むじゅんしているように思えます。

つまり、現代科学では、生物の進化の過程の中で現生げんせい人類じんるいホモサピエンス)が誕生したのは約三万五千年前としています。

ところが、御本仏が即座そくざ開悟かいごされた久遠くおん元初がんじょという時を計算しようとすると、まさに計算も及ばない大昔で、地上には哺乳類ほにゅうるいも存在していないどころか、地球すらも存在しない時代になってしまうのです。

ということは、仏法では現代科学の成果を否定する、ということになるのではないでしょうか?

【回答】
そんなことはありません。

法華経ほけきょう法師ほっし功徳品くどくほん』には

清浄しょうじょう意根いこんもって乃至一偈いちげ一句いっくを聞くに、無量むりょう無辺むへんの義を通達せん。是の義を解り已って、能く一句・一偈を演説すること、一月・四月・乃至一歳に至らん。もろもろ所説しょせつの法義趣ぎしゅしたがって、皆実相じっそうあい違背いはいせじ。俗間ぞっけん経書きょうしょ治世じせ語言ごごん資生ししょうごう等を説かんも、皆正法しょうぼうじゅんぜん」(法華経四九三頁)

つまり、正法しょうぼうの上から説かれることと、世間における学問とが相反することはない、と説かれています。

また、天台大師の『法華ほっけ玄義げんぎ』には、

一切いっさい世間せけん治生ちしょう産業さんごうは皆実相じっそうあい違背いはいせず」

世の中の科学・医学等の学問と、仏法の教えとは、けっして相反するものではない、とされています。

つまり、仏法の教えと近代科学の研究成果(進化論等)が矛盾したり、対立する、ということはあり得ないのです。それが矛盾するように思えるとしたら、それは、仏法に対する理解が未熟であるか、あるいは、科学等の学問に対する誤解があるかの、どちらかでありましょう。

さて、それでは、なぜ質問のような疑いが生じたのかといえば、あなたが、仏法を地球上だけの占有物せんゆうぶつとらえ、狭い空間と歴史の中だけではかろうとしているからです。

そもそも仏法には、「三世さんぜ十方じゅっぽう」という概念がいねんがあります。三世さんぜというのは、過去・現在・未来のことで、十方じゅっぽうというのは、この地上の娑婆しゃば世界を中心として見た場合に、束・西・南・北の四方に、東南・西南・西北・東北を加えて八方、それに上・下の二方を加えた、あらゆる所をいいます。

そして、この地球上から見た十方じゅっぽう――宇宙法界のいたる所に、地球と同じような衆生しゅじょうの存在する無数の国土・社会があり、その各々の世界に先覚者せんかくしゃである「諸仏しょぶつ」が出生しゅっしょうして仏法を説き、民衆を教化きょうけ救済きゅうさいしていること、しかも、それは過去・現在・未来にわたって行なわれていること等が説かれているのです。

一方、今日の天文学においても、この地球と同じ条件をそなえていると思われる、高等生物の存在しうる可能性のある惑星わくせい数多あまた、存在する、といわれています。

たしかに、光の速度をもってしても果てしない大宇宙の中に、文字どおり無数の太陽や惑星わくせいがあるのに、高等生物が生息するのは地球だけである、と考えることは偏頗へんぱきわまりありません。

それらの惑星わくせいの中に、我々人間と同様の衆生しゅじょうがかつて存在し、また現在も存在している惑星わくせいがあるとしても、まったく不思議はありませんし、むしろ、そう考える方が自然であるといえましょう。

このようにみてきますと、久遠くおん元初がんじょという概念がいねんを、この地球上の人類の歴史という、狭い枠の中に限定して考えるから、わからなくなるのです。

およそ、仏法がこの地球上で初めて説かれたのは、三千年前の釈尊の時です。それ以前は、歴史上で見るかぎり、あたかも「仏法ぶっぽう不現前ふげんぜん」(御書一八四三頁)のごとくに見えますが、仏法はこの地球上の人類の占有物せんゆうぶつではなく、三世さんぜ十方じゅっぽうにわたる宇宙法界と共にあるのですから、三千さんぜん塵点劫じんでんごう五百ごひゃく塵点劫じんでんごう、そして久遠くおん元初がんじょの昔にも、厳然げんぜんと存在していたのであり、これは現代科学の成果を否定したりするものではありません。

また、むしろ、天体望遠鏡もない時代に、「三世さんぜ十方じゅっぽう」という卓越たくえつした概念がいねんを説かれていた、ということは、現代科学をも凌駕する教えとして、目を見張るべきでありましょう。

私の抱えている難問は下記の通り

ビッグバン理論が正しいとすると、宇宙なんてたかだか138億年前に誕生した事になります。

久遠元初は、釈尊が過去に初めて成道を遂げたと言われる、五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)をはるかにさかのぼるのですが。
ちなみに、五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)5×10⁷⁶年前だそうで、現前している宇宙の誕生以前になるのですよ。
現代物理学でも、宇宙論的議論は意見が分かれていまして、結論は出ていません。
ビッグクランチ理論ならば、整合性が取れるかもしれません。膨張を続けている宇宙が、ある時点で膨張から収縮に転じ、まるでぱんぱんに膨らんだ風船から空気が抜けるようにしぼみ、最終的に無次元の特異点に収縮してしまうという考え方が「ビッグクランチ」です。この特異点は宇宙の終わりだけではなく、新しい宇宙の始まりに繋がるのではないかと考える科学者も存在します。
成住壊空(じょうじゅうえくう)や生住異滅(しょうじゅういめつ)の考えに似ていますからね。
宇宙ですら消滅しても、業は残るのでしょうか?
謎です。
生命(蔵識・阿頼耶識)も永遠不滅なのでしょうか?
分かる方がおいでになりましたら、御教示願いたいものです。