日蓮正宗のススメ

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1184夜:第三次世界大戦勃発か?ロシアがウクライナに全面侵攻、第四次大戦に備えよ!

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強盗ですか?


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いやあ~、ついに始まってしまいましたね。
第三次世界大戦
NATO軍の出方次第?
ロシアの侵攻が東欧域に拡大する?
事相の変化は分かりません。
しかし、日本からはどのように観るべきなのか、それについて話しておきたいと思います。

仮に、この仮想第三次世界大戦を、先の第一次世界大戦と見立ててみる。
そんな見方もあるでしょう。
日本にとっては、無関係ではないけども対岸の火事
遠くで起こった有事でしょうか?
これは、中東方面で今まで多くの戦乱を観てきた感覚ですね。
でも、これが疑似第一次世界大戦ならば、主戦場はヨーロッパから東洋太平洋地域へと、移行してくるということです。
まさに、第二次世界大戦的な、第四次世界大戦への予兆とも見えるわけです。様相は同じではありません。

「歴史は、くりかえさないが、韻を踏む」という格言があります。
マーク・トウェインが言ったとされています。
物理現象のように、まったく同じ条件下においても歴史的現象は、同一的な再現性を持ちません。
人間の意思が介在していますから。
しかし、波及効果は同じように、経済的にも政治的にも生じています。
あるていど推定はできるのです。
かつてのイギリス宰相、チェンバレンアメリカ大統領のバイデンさん。韻を踏んでいますね。
チャーチルとトランプさん、韻を踏んでいます。
さて、ヒトラースターリン、誰と韻を踏んでいますか?
プーチン習近平ですね。
金正恩東条英機は?

これからの世界情勢、非常に大切ですね。

ガソリンがリッター、200円なんて時代が来るかもしれません。
どうします?

疫病蔓延のあとの大戦、これも前代の韻を踏んでいます。
結核・インフルエンザと第一次世界大戦新型コロナウイルス感染症第三次世界大戦
我々、日蓮正宗信徒としては、祈る他ありません。
信心を勧めるほかありません。
自行化他に渡るお題目ですから。

そして、もう一つ、読んでおいて欲しい本があるのです。

ノルウェイの森 (講談社文庫)の主人公、ワタナベ君が読んでいた本「魔の山(上下)合本版(新潮文庫)」です。

病気と戦争。
この意味のある偶然性と関連性を描いた珠玉の名作です。

山の上にあるサナトリウム結核患者のための療養所)に入っているいとこのお見舞いに行った23歳の青年、ハンス・カストルプ。

3週間滞在の予定でしたが、熱っぽくなったり、いつしかハンス自身の体調もよくなくなり、長期滞在を余儀なくされてしまうのです。

時間の流れが下界よりもゆっくり感じられることもあり、3週間が1年になり、1年が2年になり、数年が飛ぶように過ぎていきますが、体調はよくならず、なかなか山を降りることが出来ません。

ごく平凡な青年だったハンスは、世界の色々な国々から集まった、様々な考えを持つ患者たちと触れ合う内に、物事について深く考えるようになっていって・・・というお話。

この小説で重要なのは、ハンスがどんな考えを吸収し、どんな考えを持つようになっていったかであり、ストーリーではないんですね。ストーリーらしいストーリーというのは、実はほとんどありません。

なので、世界文学の傑作として名高い作品ですが、読み通すのはなかなかに骨が折れます。実を言うと、ぼくもかつて岩波文庫の関泰祐・望月市恵訳に4回ぐらい挑んで、すべて途中で遭難したほどです。

翻訳のよしあしは置いておいて、新潮文庫高橋義孝訳の方が活字の組み方にせよ、訳文にせよ読みやすいので、岩波文庫で挫折してしまった人は、新潮文庫で再挑戦してみるとよいかもしれませんよ。

登場人物が結構多い作品ですが、覚えておくべき登場人物は少ないです。まず、主人公であるハンス・カストルプと、言わばサナトリウムの先輩である、いとこのヨーアヒム・ツィームセン。

いつしかハンスが思いを寄せるようになるロシアの女性、クラウディア・ショーシャ夫人。物語的にはこの3人を覚えておいてください。

物語とはある意味では別に、独自の考えを持ち、ハンスに色々な考えを吹き込む登場人物がいます。中でも重要なのは2人で、イタリア人のロドヴィゴ・セテムブリーニと、その論敵レオ・ナフタです。

上巻で目立つのが、セテムブリーニ。サナトリウムの先輩にあたり、ギリシア・ローマの芸術を重んじることによって、新たな人間性を獲得するべきだという「人文主義者 homohumanus」です。

文学的知識を駆使し、時にハンスをからかうような、謎かけをするような口ぶりで様々な事柄について話をするセテムブリーニは後に、フリーメイソン(世界的な秘密結社)の会員であることが分かります。

やがて、病気が治らないことをはっきりと知り、死を意識しつつ、セテムブリーニはサナトリウムを離れるのですが、その時に同じ下宿になり、知り合いになったのが、レオ・ナフタという古典語教授。

イェズス会に入り、神学の道を進んでいたナフタは、病気で体を壊して療養を余儀なくされ、宗教の道で出世する道を閉ざされてしまいました。下巻から登場し、セテムブリーニと激しく議論を交わします。

では、実際にセテムブリーニとナフタの議論がどんな感じなのか、どういう難しさのある小説なのかがよく分かるとも思うので、少し長いですが、ハイライトとも言える場面からそれを見てみましょう。

「少し論理的にお願いいたしたい」とナフタが応じた。「プトレマイオスとスコラ派が正しいとします。すると世界は時間的、空間的に有限です。そうなると神性は超越的であり、神と世界との対立は保持され、人間も二元的存在である。すなわち魂の問題は感覚的なものと超感覚的なものとの抗争にあり、すべての社会的要素はずっと下の方の二義的なものになる。こういう個人主義だけを、私は首尾一貫せるものとして承認できるのです。ところがこんどは、あなたのルネッサンス天文学者が真理を発見したとします。すると宇宙は無限です。そうなれば超感覚的世界は存在せず、二元論は存在しない。彼岸は此岸に吸収され、神と自然の対立は根拠を失う。そしてこの場合には人間の人格も、ふたつの敵対的原理の闘争の舞台ではなくなり、調和的であり、統一的である。したがって人間の内面的葛藤は、ただ個人と全体との利害の葛藤にのみもとづくことになり、実に異教的なことに、国家の目的が道徳の法則になる。これか、あれかです」(下巻、114ページ)


もう何言ってるんだかよく分からん! という感じかも知れませんね。この後、セテムブリーニが反論し、2人の議論はますます白熱していくことになります。その議論をハンスは聞いているわけです。

セテムブリーニとナフタの、それぞれの立場や考え方の違いについて、ここで詳しくは触れられませんが、”世界”をどうとらえるかという時点で、認識のずれがあるのが分かってもらえたかと思います。

この世界がどのように出来ているか(或いは人間がどう認識するか)、それをどう考えるかによって、国家の役割とは何か、そして人はどのように生きていくべきかの考え方が違って来るわけですね。

魔の山』はこうした哲学的議論で成り立っていて、ある程度飛ばしてハンスの恋愛だけに着目して読めないこともないのですが、それではこの小説の醍醐味が失われてしまうというジレンマがあります。

確かに内容的に難解な小説ですが、世界をいかに認識し、人間はどう生きていくべきかというのは、みなさんも興味のあるテーマだと思うので、ハンスと一緒にじっくり考えてみてはいかがでしょうか。