日蓮正宗のススメ

人生談義と時事放談

PVアクセスランキング にほんブログ村 日蓮正宗のススメ - にほんブログ村

1180夜:仕事が楽しければ人生は天国だ、そう言われても無理と思う人に

引用元:楽しく仕事をしたい | 日蓮正宗 法道院

N. Tさんは、仕事で深く悩んでいました。

自分の思うように物事が進まず、上司に怒られる日々。
精神的にも肉体的にも限界で、最終的には、その会社を辞めるという選択をすることになります。

転機は、転職活動中に訪れました。
法道院の知り合いから、朝参あさまいりを勧められたのです。

因果いんがの道理どうりを説く仏法を学んだことで思考が変わり、周囲も変わっていくことに気づいたN. Tさん。
信仰を続けることで、明日につながる道を見つけたのです。

体験談の途中にある仏法解説も併せてご覧ください。

※ この体験談の詳細については、法道院機関紙『法之道』第1361号をご覧ください。

f:id:ekikyorongo:20220220114835p:plain

法道院 様



私は大学卒業後、大手の商社に入社しました。

新人の頃であれば、胸を張って「仕事は順調です」と言えたでしょう。しかし、だんだんと仕事量や責任が増えてくると、思うようにいかなくなることも増えていきました。

自分の判断で進めた仕事の収拾がつかなくなったあげく、最終的な処理を上司に任せてしまうことが続くようになってしまったのです。怒られる毎日。上司からは「給料をもらってんだろ! やる気あるのか? これ以上迷惑をかけるなよ」と罵声を浴びせられ、殴られたこともありました。トイレの個室にこもり、泣いたこともありました。

そんな日々が続いていたある時、私は他県へと異動になりました。

いい機会だと思いました。今までのことは忘れて、一から頑張ろうと決心したのです。しかし、そんな思いとは裏腹に、異動先でも私の状況が変わることはありませんでした。さらに増える仕事量。精神的にも肉体的にも限界でした。最終的に私は、3年以上働いたその会社を「辞める」という選択をすることしかできませんでした。


この時ほど、悔しさを感じたことはありません。ですが、なぜこんなに仕事がうまくいかないのか、当時の私には原因がまったく分かりませんでした。

なぜ、環境が変わっても
状況は好転しないのか?

因果の道理
仏法では、「因果の道理」が説かれています。どんな物事にも原因と結果が存在します。「因果応報」という言葉があるように、良いことをすれば良い結果が得られ、悪いことをすれば相応の悪い結果が返ってきます。日蓮大聖人にちれんだいしょうにんも『開目抄かいもくしょう』というお書き物の中で、「過去の原因を知りたければ、現在の結果を見よ。未来の結果を知りたければ、現在の原因を見よ」と示されています。

つまり、いくら自分の置かれた環境が変わっても、自分自身の考えや振る舞いが変わらなければ、その後の状況を根本的に好転させることは難しいのです。因果の道理を基本とした正しい信仰によって、健全な生命を確立し、強い心を養うことで、未来は良い方向へと進んでいきます。

 

私は実家に戻り、少し休んでから就職活動を始めました。法道院の方が、私を心配して訪ねて来てくれたのはその頃です。

我が家では祖母の代から日蓮正宗を信仰していました。しかし、熱心に信仰をしていたのは祖母だけで、私には小さい頃から信仰の習慣などまったくありませんでした。むしろ「なぜやらなければならないのか」という疑問さえ抱いていたほどだったと思います。

ですから、法道院の方が訪ねて来たことは少なからず驚きでした。しかし、その時の私は誰にでもいいので愚痴を話したい心境でしたし、彼にこれまでの経緯を話しました。すると彼は、私にこう言ったのです。

「朝参りを始めよう。明日からね」

朝参りとは、朝の勤行ごんぎょう(御本尊ごほんぞんに向かって法華経ほけきょうを声に出して読み、「南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう」の御題目おだいもくを唱えること)をするためにお寺まで足を運ぶことです。始まるのは午前6時半。今までの私だったら、そんなに朝早くは行けないと断っていたでしょう。しかし、その時の私は何かを変えなきゃいけないと思っていました。「何か」は分かりませんが、このタイミングで法道院のご信徒が訪ねてくれて、朝参りを勧めてくれた。答えは1つでした。

翌日から、朝は朝参り、日中は就職活動、夜は夕勤行という生活を始めました。空き時間には宗教や仏教の勉強もして、唱題会やお寺の行事にも参加するよう努めました。すると、驚いたことに、変化はすぐに功徳くどく(ご利益)となって現れました。

就職が決まりました。最初に内定が出た会社です。

これも縁だと思って入社してみると、前職とは何もかもが違っていました。仕事の内容は分かりやすく、人間関係も良好。残業も少なくなって、以前よりワーク・ライフ・バランスが保てるようになりました。おかげで夜にも時間が取れるようになり、お寺にもお参りしやすくなりました。

また、信仰を続けることで何よりも大きく変わったのが、自分の考え方です。

仏法が因果の道理を説く宗教だからでしょう。今までは頭の中でうまく整理できなかったことが、論理的に考えられるようになりました。


自分の周りで何が起こっているのか、何が問題なのか、どうすれば解決できるのか、そんなことに気づけるようになったのです。

なぜ、信仰を続けることで
物事が正しく認識できるのか?

六根清浄(ろっこんしょうじょう)
仏法では、「六根清浄」という教えがあります。六根とは、人間が持つ6つの感覚器官「眼・耳・鼻・舌・身・意(心)」を指したもの。それらを草木の「根」に喩えて「六根」と言います。六根清浄とは、正しい信仰の実践により、人間一人ひとりが持つ「煩悩に覆われた六根」を清浄にしていけるということです。例えば、正しい信仰の功徳で「眼根」が清浄になれば、物事の善悪が正しく捉えられるようになります。また、耳根が清浄になっていけば、あらゆる音声から物事の実・不実を聞き分けられるようになります。

正しい信仰を真剣に取り組む前のN. Tさんは六根が清浄されていない状態、つまり自分の煩悩を中心に考えていたために失敗を繰り返していましたが、正しい信仰を真剣に実践することで六根が清浄となり、物事を正しく認識し、正しく行動できるようになったのです。

 

自分が変わると、周りが私を見る目も変わっていきました。今では私を信頼して「君が言うならそうするよ」と言ってくれる人もいるほどです。こんなことは、以前の私だったらありえなかったでしょう。本当にうれしいですし、これからも信仰を続けて、強い心を養っていきたいと思っています。

f:id:ekikyorongo:20220220115701p:plain

アクセス方法