1176夜:創価ダメ出しブログ、まさかのFC2ブログ運営サイドによる強制閉鎖か?の衝撃
私も常々勉強させてもらってた、創価ダメ出しさんのブログが、閲覧できない状態に。
俺だけがアクセス拒否になっているのか?
状況が把握できない。
創価サイドによる、なんらかの抗議があったのだろうか?
残念至極である。
当ブログに来られた方の、アクセス状況について教えていただければ幸いです。
1174夜の続きになるんだけど、
nichirendaihonin.hatenablog.com
私が、見識を身につけるための読書というものを、強く推すのにはこういったファシズムへのアンチテーゼが存在しているんだ。
大石寺三兄弟は、他者への批判は勇ましい。
三竦みでお互いにお互いを攻撃しまくっているんだ。
でもね、あっけらかんとしたところはない。
たまりかねたら裁判だ!っていう、女々しさが往々にしてあるのよ。
晴れ晴れと潔く、自らの過ちを認めるなんて器じゃない。
言い訳ばっかりなんだ。
今日は読書にちなんで、ひとつおもしろい話をしてみよう。
創価の人ならすぐわかるかな?
池田センセーは、ユゴーとトルストイがお好きだった。
なぜだかわかります?
ユゴーもトルストイも、偉大なる文豪であることは間違いありません。
でも、私がオススメする、ドストエフスキー、ニーチェ、モンテーニュとは決定的な違いがあるんです。
それは何でしょうか?
分かりますか?
それは、ユゴーとトルストイには、答えがあるんです。
明快な答えが。
だから、現代では響かないし読まれない。
現代は答えのない、葛藤と煩悶の時代だから。
ドストエフスキー、ニーチェ、モンテーニュには、答えがない。葛藤から来る懊悩があるのみなのよ。
処方箋が書いてあるわけじゃない。
大きなクエスチョンがあって、人生や時代、社会への解けない難問としての課題が、読者に投げかけられてくる。
受け止めきれないようなね。
ニーチェは自身が発狂した。
ドストエフスキーもてんかん発作に苦しみながら、世紀の大作「カラマーゾフの兄弟」を急性心不全で、断筆を余儀なくされこの世を去った。
モンテーニュはペストと宗教内乱の巷を、改宗ユダヤ教徒して不信仰をひた隠しに生きた。だからこそ、批判を身に受けることから逃げなかったんだ。
自分は安全な高みに身を置いて、他人の揚げ足取りと名聞名利に獲得に奔走したりしなかったんだ。
自己批判の志士であれ。
自己欺瞞の才子になるな。
「罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」を徹底的に読み込めば、人間の全てが分かる。
何度も何度も同じ本を読み込む効能。
これが判れば、豁然(脱然)貫通*1の時刻に至ります。
追伸
ブログが凍結された。創価の仕業だな。ここ数日異常な数のアクセスがあった。fc2運営に圧力かけたな。
— そうかダメ出し (@sokadamedasi) 2022年2月16日
だそうです。
僕がブロックされてたわけじゃないんだね。ほッ。。。じゃねえわ。
創価民の姑息さに呆れかえるわ。
*1:あるとき、突如全てが理解できる境地。