日蓮正宗のススメ

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1102夜:勤行・唱題をする時の心のあり方について

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御開扉を受ける気持ちで

最近、勤行・唱題をするときは、必ず御開扉を受ける気持ちで行うようにしています。
そのきっかけは、創価ダメ出しさんと世界の片隅さんが教えてくれました。
創価ダメ出しさんからは、総体の受持を。
世界の片隅さんからは、作法受得を。
お二人ともSNSで日蓮正宗の信仰を顕揚されておられる方です。
信心修行にも総別の二義があります。
どちらも大切ですが、総体の修行が日々の勤行であります。
修行するには本門の本尊を受持し、本門の本尊を信じて唱える本門の題目が必要となります。
それには戒壇の大御本尊様の分身散影(ふんじんさんよう)たる、歴代猊下様書写の御本尊様だけでは成就しません。
必ず信心の血脈が必要となります。
血脈とは何か?
皆さんも考えたことがおありだと思います。
何かの秘伝的な呪文?とか口伝?とか書付?とか。
確かに相伝をお受けになった猊下様にしか分からないことです。
邪推する創価などは、裁判に日顕上人猊下様を引っ張り出して、金口嫡々相承の証拠を見せろと迫ったそうですが。。。
そんなもの公開するはずもなく。。
それでは、金口嫡々相承とは何か?
やはり作法受得であろうと思います。
つまり、末法の本門戒は受持と作法なのですから。
受持は本門戒壇の大御本尊様への信。
猊下様は別しての、別付法体相承をお受けになっております。
作法の根源は丑寅勤行です。
御開扉は現時点では特例の、御宝蔵での参詣です。
私たちの勤行・唱題に功徳が生じてくるのも、毎日、猊下様が丑寅勤行を継続されているからこそなのです。
大聖人直結など存在しません。
猊下様の衣の裾に連なって功徳が流れ通ってくるのが、信心の血脈ということです。
御開扉も丑寅勤行も猊下様を導師に、御僧侶が連なり我々が同座させていただくのです。
それこそが師弟子の道を正す基本だと思います。
丑寅勤行ではさらに、我々の後ろ、正確には天井に葬儀を受けられずに冥途の道を歩む、その一日に亡くなった様々な亡者(人間・畜生・草木)が、本門の題目に縁した耳根得道の功徳で終結しているそうです。
日蓮正宗の葬儀で戒名を授かった人は別です。
御本尊様の功力で罪業そのまま即身で、霊山浄土へ送られます。
丑寅勤行は五座の後に遥拝勤行が行われます。
そこで御宝蔵たる奉安堂の戒壇大御本尊様に通じるわけで、直結とか内得信仰のすり替え(顕正会の主張する遥拝)ではありません。
功徳が欲しい、悩みを解決したい。。
そういうお願いごとが心を占めがちな私たちですが、せめて御開扉のイメージで、御開扉を受けたことがない方は寺院での勤行を思い出して、御僧侶の衣にすがる信心をしてみてください。
作法受得の作法は、行儀作法の作法です。
正しい作法が功徳の源泉であること。
これが日蓮正宗の秘伝であり、その作法が伝わってきたことが、金口嫡々血脈相承だと思っています。
松野殿御返事の御指南を悪用して、凡夫在家の題目を信力・行力があれば、大聖人様と同じ功徳を生じるとか言うのは、思い上がりの大慢心だと思いますね。

御文に云はく、此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり。但し聖人の唱へさせ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程の多少候べきやと云云。更に勝劣あるべからず候。其の故は、愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も、愚者の燃せる火も智者の燃せる火も、其の差別なきなり。但し此の経の心に背きて唱へば、其の差別有るべきなり。此の経の修行に重々のしなあり。其の大概を申せば、記の五に云はく「悪の数を明かすをば今の文には説不説と云ふのみ」と。有る人此を分かって云はく「先に悪因を列ね、次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に憍慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり」と。此の十四の誹謗は在家出家に亘るべし。恐るべし恐るべし。過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり、法華経を持たば必ず成仏すべし、彼を軽んじては仏を軽んずるになるべしとて、礼拝の行をば立てさせ給ひしなり。法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん、仏性ありとてかくの如く礼拝し給ふ。何に況んや持てる在家出家の者をや。此の経の四の巻には「若しは在家にてもあれ、出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり」と見へたり。或は「若実若不実」とも説かれたり。之を以て之を思ふに、忘れても法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか。其の故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり。仏を毀りては罪を得るなり。(松野殿御返事1047㌻)

此の経(戒壇大御本尊様=大聖人様)の心を知るのは誰ですか?
法体別付相承をお受けになっておられる方のみに知ることが出来るのです。
さらに代々猊下様が執行されてきた、勤行を基本とした数多くの法要の作法≒化儀がなくては、「事」となりません。
諸宗派はどのように修行すればいいのかが分かっていないのです。
我々も分かってはいません。
だから、猊下様を御本尊様と我々の間に居られると念じて祈るのです。
五座三座の勤行をしてると言っても、所詮は本山で正式の修行をしたわけではありません。
作法を見様見真似させていただいているのです。
そこを悟ってから、生活も自身の心も境涯が開けてきました。
どうか信謗ともにご参考になさってください。 

今年は日應上人様百回忌の年です。
日應上人様の御書籍をお読みになってください。
信心の大切なところがよく分かります。

  

創価学会との対論には日蓮正宗聖典を使用しましょう。
彼らは御書の御文で示せが常套手段です。 
「前提が間違っています。我々には聖典があります。」と言い切りましょう。
用いないと向こうが言ったら、日蓮正宗猊下の御指南が基本の宗派ですと言えばいい。
相手の土俵に上がる必要はありません。
悩んでいる学会員には手を差し伸べてあげるべきですが、邪難の者は一闡提人です。
魔民扱いしていいと思いますよ。 

創価学会が新版御書全集を発刊する予定ですが、気にする必要はありません。
新資料ガー!っていうかも知れませんが、特段大事な内容ではありません。
御書は対機説法の資料集です。
どのように読むのかは相伝にあらざれば知り難いのです。
猊下の御指南を耳に入れておいてあげましょう。
それが最低限の慈悲かもしれませんね。
本来は破門になった輩を相手にはしないのが通例ですから。