エセー Les Essais

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1097夜:有名無実・虚仮威し(こけおどし)の東京オリンピック開催前夜に想うこと

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延期されたのも初、無観客も初

初物は目出たいというけれど、悪目立ちはしたくなかったですね。
私は開催しようがしまいがどっちでもいいです。
興味ないですから。
ただ、日蓮正宗との因縁には興味があります。
昨年は国立戒壇放棄から50年。
今年は正本堂建立から49年。
何よりも御本仏日蓮大聖人様生誕800年の大佳節です。
今日は、なぜ今日このような日本の姿があり、世界に疫病が蔓延することになってしまったのか、改めて考えてみたいと思います。
是々非々を貫く保守主義者の一見解ですので、不本意な記述があったとしても大目に見ていただきたいです。 

目次

1 国立戒壇って何?

法華講員は国立戒壇を知らない?

日蓮正宗に戻ってすぐの頃、私の住む地域では絶滅危惧種並みに数の少ない顕正会員は、とても珍しい存在でした。
仲良くしていただいていた法華講員の方から、「そもそも、顕正会って何を主張してるの?」とか「国立戒壇って一体何のこと?」なんて質問をされることもしばしばでした。
冷静に考えてみれば、確かに国立戒壇放棄は1970年(昭和45年)の出来事。
三島由紀夫が割腹自殺した年です。(これもピンとこない人もいるでしょうね。)
もう、大昔の話なんですよ。
是非はともかく。
創価学会折伏大行進をリアルに知っている人にしか、実感を持って語れない話題でもあると言いますか。。

所詮は会通語

私とて、創価学会草創期に折伏大行進に参加して、国立戒壇に執着を持ち続けていた父親の影響がなければ、全く疑問にすら感じなかったかもしれません。
戦前から使用していた言葉です。

広宣流布後に建立する本門寺の戒壇のことを、通称ないしは会通する意味の仏法用語的造語です。創価日蓮正宗在家信徒団体として、また、公明党が目指していた意味としては。
言葉を創唱したのは、在家日蓮系教団「国柱会」の田中智学。

言葉の使用時に意味する内容は異なるようですが。

  • 日本の広宣流布が達成されたときに、大石寺の名称が本門寺に改称される。
  • 本門寺本堂が建立されるときに事相の事の戒壇として、戒壇の大御本尊様が御安置される。
  • 非公開形式が公開形式になり、勤行唱題・御授戒・法要等の修行の場となる。

ってのが、私の理解している範疇での本門寺の戒壇です。
この議論はややこしくて、事相と法体の立て分けなんてのがあります。
法体に約せば三大秘法総在の御本尊様が、戒壇の大御本尊様であります。
その御前は事の戒壇でありますし、そこに通じる義において寺院・家庭の御宝前を義の戒壇と申し上げるのですが。。。今日は、事相の話です。
本門寺に関する文証は、以下の通り。参考にしてください。

  • 爰に日興云はく、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河富士山は是日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由奏聞し畢んぬ。仍って広宣流布の時至り国王此の法門を用ひらるゝの時は、必ず富士山に立てらるべきなり。(富士一跡門徒存知事1873㌻)
  • 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。(日蓮一期弘法付嘱書1675㌻)
  • 四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり。(百六箇抄1699㌻)
  • 一、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。(日興跡条々事1883㌻)

要するに、日本の国が広宣流布したら、大石寺のある富士山の麓に本門寺本堂を建立して、戒壇の大御本尊様を御安置して修行しなさいということ。
私見を申せば、国主は天皇陛下様を含意していると思っています。
当時も今も、天皇陛下様は権威を喪失され、政治的実権は握られておりませんが、御書を相互参照すれば御本仏に縁深き大王であり、仏法外護の別附属を本来的に使命とされていると思うのですが。
建立は猊下様並びに門下に御命じであると思われます。
ですから、国立戒壇の用語は不適当であると言わざるを得ません。
国費で建立しませんし、運営や僧侶の選任も国家が介入するわけでもありません。
護持されるのは猊下様です。
池田大作が宗門に泣きついて、脅したり賺したりしたのも事実です。
が、日蓮正宗猊下様の御判断として、当時において国立戒壇の用語不使用が決定されました。

もしも話ですみません

池田センセーが立派な信徒で人格的にも尊敬に価するような人だったら。。。
創価学会公明党による言論弾圧・出版妨害事件もなかったでしょうし。
世間からファシスト集団との誤解を受けることもなかったでしょう。
堂々と国会の証人喚問に応じ、国会中継を全国民一斉折伏の場と捉え、共産党議員始め怨嫉していた者どもを論破していれば、現在の日本は広宣流布達成していたかもしれませんね。
未だに国立戒壇固執する浅井センセーは、当時は国立戒壇の名称放棄に異を唱えていなかったことも付記しておきます。
正本堂解体後に言い出したんですよ。
実はね。
私が問題視するべきと思うのは、これを機に池田センセーは折伏大行進を中止し、公明党への一票は折伏成果一人に等しいという、修行のすり替えを始めました。
そして、国立戒壇発議を結党の精神とした公明党も、福祉と平和、文化啓発の党に看板を掛け替えます。
仏法の功徳を貧乏人への補助金で誤魔化したんですよ。
宗教共産党の出来上がりでした。

2 正本堂って何?

やっぱ過去の話?

時代は移り変わっていきます。
今や正本堂も池田センセーも過去のものになりつつあります。
若い人は創価学会員も顕正会員も法華講員も知らないかもしれません。
私のようなオジサン世代以上の人限定の関心事かもしれません。
現在の奉安堂の前に、創価学会によって建立された珍奇な建物です。

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代々木体育館そっくり

新興宗教臭がプンプンします。

かなり儲けたセンセー

御供養金と工事費支払いのタイムラグを利用して、池田センセーは大金を懐にしました
355億円の御供養が集まりましたが、支払いは7年後。
当時の定期預金金利は7年満期だと7%。
570億円になります。
支払額は集まった御供養よりも低いでしょうから、仮に総工費200億円かかったとしても、370億円がタダで転がり込んできたわけです。
笑いが止まらなかったでしょうね。
「功徳、功徳~!」って感じでしょう。
そのお金で創価大学始め創価学園を開設し、全国に会館建設ラッシュ。
それだけでは飽き足らず、事相の戒壇だと言い張りたかった。
ここで浅井センセー親子が登場するわけです。
正本堂は事相の戒壇ではない!」と。
宗門にも決断を迫りました。
今から思えば当然ですけどね。
いくら当時の創価が大勢の信者を獲得していたとはいえ、日本国広宣流布を僭称するのはね。
でも、毎日大石寺に押し寄せる信徒の波。
広宣流布も近いのか?
そんな空気も流れていたんでしょうね。
ま、今はもう跡形もないので、以下の一文のみ掲載しておきます。

日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず。(三三藏祈雨事874㌻)

3 仏法は体のごとし

而るをいかにやしけん、弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に、此の義すでに日本国に隠没して四百余年なり。珠をもって石にかへ、栴檀を凡木にうれり。仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。幸ひなるは我が一門、仏意に随って自然に薩般若海に流入す。苦しきは世間の学者、随他意を信じて苦海に沈まん。委細の旨又々申すべく候。恐々謹言。(諸経と法華経と難易の事1469㌻)

創価が反旗を翻した1990年以降、日本は経済崩壊・天災・テロ・凶悪事件・少子高齢化など、多くの困難に見舞われてきました。
G7のメンバーであり続けていますが、実質2流国家に転落しています。
今回の東京オリンピック前夜には、まさかの世界的疫病流行で開催が風前の灯に。
7月23日~8月8日まで無観客にて開催されますが、これほど中身のない国家事業も珍しいことですよね。
支部総登山会も2年続けて実施されないまま。
戦後、多くの問題を抱えながらも、創価学会によって空前の弘教を達成した日蓮正宗
これに合わせるように戦後復興を遂げましたが、正本堂建立直後にオイルショックが起こり高度成長がストップ。
創価の本門寺改称の陰謀を含んだ、カラ御供養でバブルが発生。
すねた池田が反旗の狼煙をあげてから30年、傾きっぱなしです。
でも、逆説的かもしれませんが、私はこの罰の現証こそ仏法の厳然たる証拠だと思っております。
戒壇の大御本尊様が厳然と常住此説法されていると感じます。
空理空論ではない事の一念三千。
疫病の蔓延は広宣流布の先兆と思います。
これからは大戦も起こるかもしれません。
南海トラフ巨大地震や関東直下地震もあるかもしれません。

大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをかなげかせ給ふべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立ちてをどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給ひしには、をどりてこそいで給ひしか。普賢菩薩の来たるには、大地を六種にうごかせり。事多しといへども、しげきゆへにとゞめ候。又々申すべし。(大悪大善御書796㌻)

御金言を胸に頑張って信心していきましょう。