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1083夜:どうして色んなお姿の御本尊様が?

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毎日、少しずつ、仏法について学びましょう

日蓮大聖人が実際筆をお取りになってお認めになられた、現在残っている百三十数幅の御本尊様に、どうして「相貌(お姿)の違い」があるのでしょうか?
と言うより、どうして同じ姿の御本尊ではなかったのでしょうか。

その理由は何なのでしょう?
御本尊様はどれもが、大聖人自らが、
「師子王は前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、又たけきものを取らんとする時も、いきをひを出だす事はたゞをなじき事なり。日蓮守護たる処の御本尊をしたゝめ参らせ候事も師子王にをとるべからず。経に云はく『師子奮迅之力』とは是なり」(「経王殿御返事」六八五頁)
とおっしゃっているように、小さな御守り御本尊様までもが、人々の成仏と、苦しみを救わんが為、日蓮大聖人が大慈大悲をもって渾身の力を込め御認めあそばされたものである筈なのに、どうして一幅の戒壇の大御本尊様だけを、「究竟中の究竟、本懐中の本懐、妙中の妙、正中の正」と言うのでしょう?
ある人はこう言います。「大聖人様の御境界が高まるにつれて、御本尊の相貌も変わっていったのではないか?」又ある人は、「大聖人様が、はてさてどういう風のものが良いだろうかと、試行錯誤をくりかえされた結果ではないか?」あるいは、「大聖人様のその場の思いつき?もしくは行き当たりばったり?それとも大聖人がどうしたらよいか迷走された?」これらの疑問・憶測は残念ながら、全部大ハズレです。大聖人様は最初からきちんとしたあるお考えがあって、このような経過をたどられたのです。
「簡単にあらわすと軽く見られるから?」これもまったくのお門違いです。

本門戒壇の大御本尊は龍の口の大聖人
それは…、結論を回りくどいのを止めてストレートに申しあげれば、戒壇の大御本尊の御図顕というものが、竜の口の御法難の頸の座で証得された大聖人御自身の下種の本尊の全容を、一閻浮提に流通するためのものだからです。
この場合の〝流通”とは通常の意味とは違って、教他(他の人たちに、寿量品の文の底に、奥深く秘し沈められていた寿量品の仏という下種の本尊の姿を教え)・勧他(これを受持信行することを勧める)の意味です。
私たちは凡眼凡智しか持っていませんから、善知識の教導に遇わなければ、大聖人様の龍口御法難の前とそれ以後との違い、又龍ノ口の御法難がなんであったのか知る由もないし、また気づく事もありません。
その龍口法難の時の日蓮大聖人のお命というのが、寿量品の五百塵点劫という釈尊の久遠実成の時を復倍上数(復、上の数に倍せり)と経文にある通り、ズーッと時を遡っていくと顕われる、久遠元初の自受用報身如来、飾りを捨て、しかもまったく繕わない本身のままの、いわゆる無作三身・本因妙の教主釈尊・下種の本尊、凡夫即極……、その相貌であることを示さんがために、わざわざ虚空会の儀式をなぞって、そうして寿量品の文上から、やがて文底へとたどる形をお示しになり、遂に寿量品の仏の全容を明らかにされたのです。

流通還迹という事
その法華経の虚空会の儀式を一コマ一コマたどり、最後には寿量品の文上から文底へと、私たちの目線を引き入れられるこの方法のことを、「流通還迹」と言うのです。
つまり、見宝塔品第十一の三変土田・宝塔涌現・二仏並座、提婆達多品第十二の悪人の代表である提婆達多の成仏・女人の代表娑竭羅龍王の娘・竜女の成仏、勧持品第十三、安楽行品第十四、従地涌出品第十五の、上行等地涌の菩薩の涌現、如来寿量品第十六の文上の応仏昇進の自受用身と移りゆき、そうして、寿量文底の久遠元初の自受用身へと辿り着くのです。

応仏昇進の自受用身とは?
応仏昇進の自受用身とは、蔵・通・別・円という「化法の四教」の中の蔵教に説かれた教主の劣応身――、仏の標準身長としてよく知られている丈六(約四.六五㍍の身長で、八十歳を一期として御入滅された老比丘のお姿)の仏が、経文の内容・レベルに合わせて、勝応身、他受用身、応即法身と次第に昇進して、寿量品の文上、いわゆる久遠実成を明かされた時にお示しになった仏です。

御本尊に文上と文底とが有る
この「応仏昇進の自受用身」を御本尊の上で識別する方法は、「東方の善徳仏と十方分身の諸仏」が図示されているかどうかで判断されます。
このことを日寛上人は『当流行事抄』(六巻抄一八三頁)で、
「問う、凡そ寿量品の意は唯釈尊一仏とやせん、別に余仏有りとやせん。若し唯一仏と言わば、玄文の第七に正しく東方の善徳仏及び神力品の十方諸仏をもって便ち余仏と為す。若し余仏有りと云わば那ぞ『毘盧遮那一本』等と云うや。
答う、若し文上の意は久遠本果を以て本地と為す、故に余仏有り。何となれば本果は実に是れ垂迹なり。故に本果の釈尊は万影の中の一影、百千枝葉の中の一枝一葉なり。故に本果の釈尊の外更に余仏有るなり。
若し文底の意は久遠元初を以て本地と為す。故に唯一仏のみにして余仏なし。何となれば本地自受用身は天の一月の如く樹の一根の如し。故に余仏無し」
と、「十方分身の諸仏と東方善徳仏」が書かれていれば、寿量品の文上・応仏昇進の自受用身であることが、明確に証言されているのです。
あえて寿量品の文上の仏身が御本尊に図示されていることが認識できれば、他の虚空会の儀式の説相が描かれていても可笑しくありません。また、そういう考えに行き着くことに、さほど困難は伴いません。改めてこの視点で見直せば、必ず理解・納得ができるはずです。

迹とは足跡と読む
これはあたかも、猛吹雪の時などに、大切な人と行きはぐれてしまった場合、どうやってその人を見つけ出すことができるか、あるいは本人に出会うことが出来るか……。それは、その人が降り積もった雪の上に残した足跡、たとえば下駄の歯の跡などを一つひとつ辿っていけば、ついにはその人にたどり着けるようなものです。
迹とは、足跡と言う意味で、これをたどってやがて本人にたどり着く、これが流通還迹なのです。
このことを日寛上人は『序品談義』(日蓮正宗歴代法主全集四巻三九頁)に天台大師の玄義の七(旧富士学林版玄義下二一二頁)を引かれて、
「意は、本地第一番は本人のごとし。 第二番の後今日迹中の示現は足跡の如くであるによって、迹と申す事でござる。迹と云ふは足跡と云ふ意でござる。(乃至)譬へば雪降りの時などに、その人を尋ねんと思ふに、その跡を尋ね行けば、かならずその人に逢うが如くでこそあれということを云々」
と述べられているのです。

寿量品の仏に迷う人は不知恩の畜生
すると、世の人々は成仏を求めながら、成仏の師範ともし、境妙・御本尊とすべき寿量品の仏に迷ってしまっているのかといえば、そのことを『開目抄』(五五四頁)には、
「皆本尊に迷へり。例せば三皇已前に父をしらず、人皆禽獣に同ぜしがごとし。寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。不知恩の者なり」
とも、あるいは(同頁)、
「寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷へる才能ある畜生とかけるなり」
と、おっしゃっているのです。
最近、御本尊の相貌を、
真言宗の不空三蔵の『成就妙法蓮華経王瑜迦観智儀軌』の記述に基づいている。日蓮はそれまでの宝塔漫荼羅の儀軌の記述を踏まえて図顕している」
と、読者がうっかりすれば勘違いをして、大聖人の御本尊御図顕とは、「未曾有」の三文字はあるけれども、発想は不空三蔵が書いたものの二番煎じ、パクリ・模倣されたものであるかの如き印象を与える論文を読んだことがありますが、『見宝塔品』から『従地涌出品』に至る虚空会の儀式を表わされたように見えるのは、実は今申し上げた目的を果たさんが為のものだったのです。
大聖人様の御本尊は、
「正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし、何に況んや顕はれ給はんをや」(『日女御前御返事』一三八七頁)
とあるように、書き顕わした人はこれまで一人もいなかったのも勿論ながら、名前すら聞いたことが無い、正に正像未弘の大曼荼羅で、すなわち、一念三千即自受用身と言う、大聖人様が「法界即我、我即法界」の大境涯を開かれたものをお示し下されたものであることは、日蓮正宗の僧俗であるならば、皆様すでにお聞き及びの通りなのです。
他宗他門の学者が、
「妙法曼荼羅を本尊とすれば、法主本仏論とか、己心本尊などの弊害がかならず生じることになるから、駄目だ」
などと書いた稚拙な論文を見たことがありますが、それでは身延山など他門で用いている「一塔両尊四士」などという仏像が正しいのでしょうか。
こんなものは、日蓮大聖人は一度たりともお作りになられたことはございません。

曼荼羅本尊も仏像本尊も同義」は邪義
また、創価学会の者が書いたというブログには、「曼荼羅本尊も仏像本尊も同義」などという、どうしても戒壇の大御本尊から、創価学会員の信心を引き離そうという魂胆が見え見えの、一旦血脈相承から離れれば、こうして根源に迷う、良い見本のようなものを見ることが出来ます。そういった人たちへの、迷妄を晴らすことの一助ともなればというのが、このお話しの目的です。
そうして、総本山御安置の「戒壇の大御本尊様」が、弘安二年十月十二日の御図顕でありながら、「仏滅後二千二百二十余年 一閻浮提内 未曾有之大曼荼羅也」とお認めなのは、この御本尊の御相貌があの龍ノ口の大聖人様のお姿であることを、指し示されているからに他なりません。
なぜなら、大聖人様は仏滅度後二千百七十一年・貞応元年二月十六日の御誕生、龍ノ口の御法難は大聖人五十歳の御時のことですから、御誕生時の仏滅度後の年数に五十歳を足すと、仏の御入滅後から二千二百二十余年と、こう成るわけです。これを世に示すことが、御本仏の「出世の本懐」なのです。

創価は聖人御難事の出世の本懐を改変
この大聖人様御化導の大事たる出世の本懐について最近の創価学会では、たとえば十月十七日付の『創価新報』に、『聖人御難事』の講義の中で、
「熱原の法難において、三大秘法の南無妙法蓮華経を受持し、不惜身命の信心を示した民衆が出現したことにより、末法万年の民衆救済の道は完成し、『民衆仏法』の確立が証明されたのである。ゆえに、大聖人は御自身の出世の本懐を遂げられたと仰せである」
などと、今まで創価学会がより所とし、世界に冠たる宗教と称して憚らないできた日蓮正宗という宗教が、ひとえに正しい教団である理由の、「大聖人出世の本懐たる戒壇の大御本尊まします故」であり、それゆえに「功徳の実証を得」て教勢を伸ばしてきたことを、創価学会という組織自体が認知症にでも罹ったかのような風を装い、こともなげに、あるいはしれっと(何事も無かったかのように平然とする様)否定して、つまり自らの屋台骨を取り払おうとしているのですから、組織大崩壊の道をひた走りに突き進もうとしているのに、それが見えないらしいのです。
不正直の教団に、今はまだ多くの人がだまされていても、いつまでも持つものではありません。誰が信用するものですか。
また、ある人が御本尊に向かう時、わざと目を閉じているのをいぶかしく思った私が、「どうしてあえて目を閉じて題目を唱えているのか」尋ねた所、「御本尊は文字に囚われるのでは無く、その奥の久遠元初の法を感じなければ駄目だ」というのを耳にした時は、この人も御本尊御図顕の意味を知らない、いわゆる、「論語読みの論語知らず」だと、つくづく思ったものです。
このことを明らかにするために、さらに突き詰めて考えてみようと思います。

大聖人御一期の序分・正宗分・流通分
大聖人の一期の御化導を大きくつかむために、「序分・正宗分・流通分」という、三つに区分する方法があり、これを「三分科経」と言います。
これまで、このことについて少し判断を誤らせていたのが、大聖人の出世の本懐は、いわゆる「弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊」だから、これが正宗分だろうという、思い入れによる考え方です。
確かに、弘安二年十月十二日御図顕の「本門戒壇の大御本尊様」は、日蓮大聖人様の出世の本懐、出世の一大事です。
ところがこれは、「流通分の大曼荼羅」なのです。これは勿論、私の独断でも、異説でもありません。このことは『御本尊七箇之相承』(平成新定日蓮大聖人御書第三巻二〇九四頁)に、
「六、序・正・流通の中にはいずれぞや。師の曰く、流通分の大曼荼羅なり。(乃至)在世は正宗が面となり、滅後は流通が面となる。経文解釈分明なり」
と、はっきり御教示になっているのですから、これはもう異論をさし挟む余地はありません。
この相伝書はお聞きになってお分かりのように問答形式になっていて、日興上人の問いに大聖人様がお答えになったものが、「師の曰く」と記されているのです。

なぜ在世は正宗分が面となる?
この中に、「在世は正宗が面となる」とは、釈尊在世の人々は、釈尊の久遠実成という寿量品の「五百塵点劫における自行成道」の説法を聞いて、自分達が実は過去に下種を受けていたという記憶を呼び覚まし、その結果、等覚から一転して名字妙覚という仏の位に昇る事が出来たので「在世は正宗が面となる」と言うのです。

滅後は流通が面となるとは?
それに対して、「滅後は流通が面となる」とは、滅後末法の我々は、日蓮大聖人という仏様の、久遠元初の自行成道を見ても何のことだか気づかないし、記憶を呼び覚まそうにも、元々過去の下種とて持ち合わせておりません。
そこで、滅後末法御出現の御本仏は、自行成道を遂げた自身の内証を一幅の本尊に図顕し、人々に受持信行せしめることによって、初めて衆生は仏性を呼び覚ます下種を受け成仏することができるので、「滅後は流通が面となる」と御指南されているのです。
ここにご注意申しあげておきますが、御本尊が流通分になったからと言って、御本尊様の価値が下がるわけでは決してありません。
また、私がこのようなことを申しあげることが、異説を主張し、日蓮正宗の信仰を破壊したり、御本尊を冒涜したり、あるいは卑しむことにもならないのは当然です。先ほど引用しましたように、相伝書にも有ることですから、謗法でも無いことは勿論です。
なぜ、御本尊の相伝書に明白な形で示されている「流通分の曼荼羅である」ということが言われなくなってしまったのか想像してみますと、一般に使われている序分・正宗分・流通分の定義からすると、流通分の曼荼羅と言うと、何だか御本尊が一番大事なものではなくなって、二次的なものに貶めることになるのではないか、という「そこはかとない不安感というか危惧のようなもの」が、人々をして躊躇わせていたのだと思います。

末法今時は流通正意
しかし、そうではありません。末法は「流通正意」なのです。
「序分・正宗分・流通分」の三分科経は、一般的には経を解釈する場合に、これを三段に分けたものです。
通常の「序分」の定義とは「経を説き起こす因縁を明かす部分」、「正宗分」とは「正説の部分で経の中心をなす本論」を、「流通分」とは「経の利益を挙げ、後世に流通するために説かれた部分」を言うことであることは、皆知っている通りです。
この意味からすると、大聖人様の御化導の中で「正説の部分で経の中心をなす本論」とは、大聖人様の御化導に欠くべからざる、「本門戒壇の大御本尊御図顕」の御事となります。
ところが『御本尊七箇之相承』には、
「六、序正流通の中にはいずれぞや。師の曰く、流通分の大曼荼羅なり。」(前掲)
とあるのは、先に見た通りです。
しかしそうなると、先ほどの「序・正・流通の定義」は当てはまりません。これは、先ほど上げた定義は経文の序・正・流通の立て分け方であり、御化導の上からは、別の定義があるのです。
それは、妙楽大師が天台大師の『法華文句』を補釈された、いわゆる『法華文句記』(旧富士学林版上八十八頁)の次の御文です。それには、
「習学を序と為し、自行を以て正と為し、教他を流通と為す」
とあり、これがピタッと合致します。

習学を序分とは?
「習学の時期が序分」になるというのは、『本尊問答抄』の、
「生年十二、同じき郷の内清澄寺と申す山にまかり」(御書一二七九頁)
と記されているように、学文を志されて、十二の時に千光山清澄寺にお上りになり、十六歳にして、道善房を師と仰いで出家得度され、是生房蓮長と、僧侶としての名を給わりました。
それよりは三十二歳の建長五年にいたるまで、清澄寺はもとより諸国をまわって、当時の八宗・十宗といわれる仏教各派の門戸を叩き、学文を修められました。これについては、『妙法比丘尼御返事』(御書一二五八頁)に、
「所詮肝要を知る身とならばやと思ひし故に、随分にはしりまはり、十二・十六の年より三十二にいたるまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々、あらあら習ひ回りし…」
とあるように、この「習学の二十余年が序分」となるのです。これはほとんど問題がありません。ですから『曾谷入道殿許御書』(御書七九〇頁)には、
「此の大法を弘通せしむるの法には、必ず一代の聖教を安置し、八宗の章疏を習学すべし」
と、あるのです。

自行を以て正宗分とするとは?
それでは、次の「自行を以て正(宗分)となす」とは、どうなるのか、という部分が大切になります。そもそも、大聖人様の御修行とはなんだったんでしょう。
それは、たとえば『百六箇抄』には、
「久遠の釈尊の口唱を今日蓮直ちに唱ふるなり」(御書一六九四頁)
とか、
日蓮が修行は久遠を移せり」(同頁)
とか、
「今日蓮が修行は久遠名字の振る舞いに介爾ばかりもたがわざるなり」(一六九五頁)
とか、あるいは『本因妙抄』にも、
釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり」(御書一六八四頁)
と御教示ですが、これでお分かりのように、大聖人の御修行に一切方便はありません。単なる、釈尊が残された法華経の殉教者であったわけでもありません。ですから『上野殿御返事』(一二一九頁)にも、
「今、末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し。但南無妙法蓮華経なるべし」
とおっしゃっているのです。
末法即久遠の御本仏の御修行は、修一円因との言葉通り、たった一つの真実の、仏に成るための行であり、これによって感一円果、これ又たった一つの真実の仏果、無作三身という果報を成就されるのです。

大聖人の御修行とは果たして?
これらの御文を見れば明らかなように、日蓮大聖人の御修行とは、「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移したもの」ということですが、では、その「釈尊久遠名字即の位の御身の修行」とは、そもそもどんな御修行なのでしょう?
このことについては日寛上人が『当体義抄文段』(文段集六三四頁)の中で、次の様に仰っています。
釈尊は久遠五百塵点劫の当初(※久遠元初の時のことです)、如何なる法を修行して妙法当体の蓮華を証得せしや。答う、これ種家の本因妙の修行によるなり」
という様に、「種家の本因妙」だと断言されています。
私がなぜこのような質問をくり返しさせていただいているかというと、大聖人様の御修行についての捉え方が、明確でないと思っているからです。
『三沢抄』(御書一二〇四頁)の次の御文も、注意深く取り扱わなければなりません。つまり、
「又法門の事はさどの国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とおぼしめせ」
の箇所です。
多くの人が、佐渡以前のお振舞を方便だと思い込んでいるフシがあります。そうではありません。この御自身の修行の本当の意味を、弟子らにもまだ打ち明けていない、とのことなのです。このことは、その次の文章を読んでみれば、すぐ了解できます。

本因妙の修行を行ってない人は本因妙の教主とは言わない
なぜなら、建長五年四月二十八日の宗旨建立より文永八年九月十二日の龍ノ口の御法難までの一連の修行が「本地の御自行」・「種家の本因妙の御修行」そのものだからです。
違う、間違っていると反論する方は、それでは、大聖人の御一生において、「種家の本因妙の御修行」とは、いつの、どのことですかと、問うて見たい。大聖人様は御観念文にもありますように「本因妙の教主」なのですから、自らが本因妙の修行を為さっていなければ、到底本因妙の教主とは名乗れないでしょう。それでは「詐称」ということになります。
その『当体義抄文段』を引用します。ここに、詳細に「本因妙の御修行」について説かれています。
「前文に云はく『聖人この法を師と為して修行覚道したまえば、妙因妙果俱時に感得し給ふ』等云々。
文に『聖人』とは、すなわちこれ名字即の釈尊なり。ゆえに位妙に当たるなり。後をもって之を呼ぶ故に『聖人』と云ふなり。
この名字凡夫の釈尊、一念三千の妙法蓮華をもって本尊となす。ゆえに『この法を師と為す』と云ふ。則ち是れ境妙なり。
『修行』等とは、修行に始終あり。始めは是れ信心、終わりは是れ唱題なり。信心は是れ智妙なり。唱題は是れ行妙なり。故に『修行』の両字は智・行の二妙に当たるなり。
この境妙・智妙・行妙・位妙を合して本因妙と為す」(御書文段六三四頁)
この久遠元初の名字即の釈尊の修行を、今日蓮大聖人の御身の上にそのままお移しになられた、とおっしゃっているのですから、これは実は久遠即末法の、日本国に御出現になられた日蓮大聖人のことを述べられているのです。そう捉えるのが、自然の流れです。
寿量品の文底に明かされている真実の仏に成る修行は「本因」と言います。その他の経文に説かれている修行は皆方便・垂迹ですから「迹因」と言います。

迹因とは爾前の歴劫修行
これは本因という真実の修行を天空に輝く月の本体に喩えれば、地上の水の上に映った月影が垂迹、つまり迹因となるのです。
これは、寿量品以前の仏というものが、「然善男子。我実成仏已来。無量無辺。百千万億。那由他阿僧祇。(然るに善男子、我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他阿僧祇なり)」
と、すべて方便垂迹なりと払い除かれることにより、それらの仏になるために行ってきたという、それぞれの修行も、これまた方便垂迹の修行となるのは当然の帰結なのです。
天台大師は、方便垂迹と断定される訳を、その修行が「多きが故に」、「近きが故に」、「払い除かれる故に」と、三つの理由を挙げておられます。
この中に「多きが故に」とは、仏に成る修行が多種であるわけがないのです。
次の「近きが故に」とは、寿量品の初成道の五百塵点劫という久遠の時に比べれば、皆今よりさかのぼること非常に近い時に修行をし仏に成った、というのが、そもそも方便垂迹たるゆえんなのです。
ですから、法華経迹門の大通智勝仏ですら三千塵点劫といいますが、五百塵点劫と比べれば、なお信宿のごとし。一晩二晩泊まりの、いわゆるちょっと前、ということになるのです。
最後の「払われる故に」とは、先ほどあげた経文のように、「然るに善男子…」と払い除かれるので、寿量品以外の仏も、あるいはその修行も、すべて方便垂迹となるのです。

真の仏道修行の本因妙とは?
こうした虚妄方便の迹因に対して、真実にして尊くかつ重要な「本因」。これは私たちの言語の道絶えて、心の及び行くところではないことを、これを称して「妙」といいますが、それで、この本因の修行を称えて「本因妙」と言われるのです。
この本因妙は、一に境妙、二に智妙、三に行妙、四に位妙の四つを束ねて本因妙と言います。
この、寿量品の文底に明かされた、大聖人の仏法たる下種が家の本因妙を「本地の御自行」とも称するのです。これが、あの妙楽大師の「自行を以て正となす」と仰せになった大聖人の正宗分です。
日寛上人によりますと、智妙は以信代慧と言って、信をもって智慧に代えます。すなわち智妙は信心です。行妙は唱題、口に声を出して唱える題目です。位妙は「一切法(すべての存在)は皆仏法妙法蓮華経なりと了解した」という名字即の位、そして境妙本尊は一念三千の妙法蓮華、とこうなります。

境妙御本尊の感得は何時のこと?
この中に出てくる境妙・御本尊をいつ感得あそばされたのかを、あらためて『当体義抄』を拝しますと、
「至理は名無し。聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果俱時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減なし。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人この法を師と為して修行覚道し給ふ」(御書六九五頁)
とございますように、当たり前と言えば当たり前ですが、本因妙の御修行を始められる前に、本尊を証得されたのです。
でも、よく思い返してみれば、この大事なことが、日蓮大聖人の御生涯のいつの時の事なのか、ハッキリしていません。これはひとえに、大聖人様の御修行が、あの本因妙であることが言われないから、うやむやになってしまっているのです。
御本尊のことを論議し合う時に、どうしても論旨がかみ合わないのは、この点にあると思います。 

大聖人が本尊を感得される前は仏法不現前
この御文をじっくり拝していきますと、大聖人が御修行あそばされようとした時には、宇宙法界を貫く至極の深理の名はまだ「不現前」、世の中に現われていませんでした。
『御講聞書』(一八四四頁)に、
日蓮世間に出世すと云へども、三十二歳までは此の題目を唱へ出ださゞるは仏法不現前なり」
とある通りです。
そのような時、聖人は御自身の心が、因果俱時という因果が同時の、不思議な一法であることにお気づきになるのです。
この未聞の法を世に明らかにするためには、これに名前を付けなければなりません。そこで因果が同時のこの法を、花と実が同時に見られる蓮華の名を借りられるのです。
不思議の一法の方は、不思議という字は、妙の一字と同じ意味ですから、不思議の一法は妙法と置き換えることができます。それで、双方合わせて妙法蓮華と名づけられたのです。
この妙法蓮華という尊い聖人のお心には、これまた不思議にも、この地球上のあらゆるものが、つまり森羅万法全てが具わっているのです。これを仏法では十界互具の原理から、十界三千の諸法と称されるのです。
ちなみに「十界互具とは法華の淵底、此の宗の沖微なり。四十余年の諸経の中には之を秘して伝えず」(十法界事・一七三頁)と示される所です。
これが、久遠名字即の釈尊、すなわち末法日本国御出現の日蓮大聖人が師となされ、境妙となされた本尊です。

久遠の時さながらに本尊の感得の時が 
そして重要なことは、久遠の時に「聖人万物に名を付くる時因果俱時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。この妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し」という妙相をご覧になった時が、はたして日蓮大聖人の時にもあられたかどうかということです。
この空白を埋めること、会通の力を持つのが相伝であり、私たちも今では『御本尊七箇之相承』(平成校定日蓮大聖人御書二〇九五頁)という書で、垣間見させて頂くことができます。そこには、
「明星直見の本尊の事如何。師の曰く、末代凡夫幼稚のために、何物を以て本尊とすべきと虚空蔵菩薩に御祈請ありし時、古僧示して言はく、汝が身を以て本尊と為すべし。明星ヶ池を見給へと、の給ふ。即ち彼の池を見るに不思議なり。日蓮が影、今の大曼荼羅なり」
とございます。
この中に、私たちは「末代の凡夫幼稚の者」と言うと、すぐ自分達のことだと思います。もちろん一往はその通りですが、ここでの「末代の凡夫幼稚の者」の言葉は、いわゆる言総意別で、日蓮大聖人御自身の謙譲のお言葉です。やがてそれが、私どもの御本尊となるのですが……。
これから御自身が修行あそばされるに当たって、御本尊の御感得を祈らせたもうところですから、こういうへりくだった言葉をお使いなのです。
水面は鏡がそうであるように、その人の本性・正体が映し出されるという古来よりの伝承があります。
明星ヶ池が実際にあった場所にせよ、あるいは大聖人様の脳裏に浮かんだものであるにせよ、日蓮大聖人様の御一身の全体が今の大曼荼羅のお姿であったとは、まさに「当体義抄」の「聖人の己心が因果俱時・不思議の一法すなわち妙法蓮華であり、そこに十界三千の諸法を具している、ということであり、まさに現在見ることの出来る、御本尊の題目の回りに十界の衆生が顕わされているお姿ではないでしょうか。
これを本尊境妙として修行覚道あそばされて、ついに自受用成道・境智冥合あそばされて、下種の本尊として顕われ出られたのです。

いつ下種の御本尊のお立場に?
それが『開目抄』の次の御文です。
日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて云々」(五六三頁)
と。日寛上人は血脈相伝の上からこの文の深義を示されて、
「此の文の元意は、蓮祖大聖は名字凡夫の御身の当体、全く是れ久遠元初の自受用身と成り給い、内証真身の成道を唱え、末法下種の本仏と顕われたもう明文なり」(開目抄文段・一六七頁)
と御指南され、正しく龍ノ口の発迹顕本の御境界こそが久遠元初の自受用報身如来、我等の下種の御本尊として御出現になられた瞬間だったのです。
私たちの成仏に御本尊は不可欠
ですから、私たちがその御内証を拝するならば、たちまちに私どもの仏性を呼び覚まし、即身成仏の本懐を成就することができるのです。
そこで、日蓮大聖人様は我が証得するところの全体・その全容を、一幅の御本尊に図し顕わして、私どもに御教示になるのです。なぜなら、
観心本尊抄文段』(二〇三頁)に、
「この久遠元初の自受用身(御本仏のことです)、(日蓮と名乗って)末法に出現し、(本因妙という修行によって境智冥合し、ついに)下種の本尊と顕れたもうといえども、雖近而不見(近くにありと雖も而も見えず)にして自受用身即一念三千を識らず、ゆえに本尊に迷うなり。この本尊に迷うゆえに、また我が色心に迷うなり。我が色心に迷うゆえに生死を離れず。ゆえに仏は大慈悲を起こし、我が証得する所の全体を一幅に図顕して、末代幼稚に授けたまえり」
今お読みになっておわかりのように、御本尊さまの御図顕は、大聖人様が証得された下種の本尊の相貌を、私どもに教え、また受持することを勧めるためのものであることは明らかなのです。
そのために、それが寿量文底に秘し沈められていた所の、寿量品の仏であることを表わすために、この下種の本尊を見失っている私たちに、宝塔品からの経文からの道すじをたどって、ついに寿量品の文底・久遠元初に導き入れくださったのです。                            以上

 引用元:Nichiren Shoshu Nishidaisenji