日蓮正宗のススメ

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1017夜:日蓮正宗聖典が届きました。

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感激も一入(ひとしお)です。

日蓮正宗聖典が届きました。

うれし~!

文字も大きくて読みやすいです。

https://www.facebook.com/okada.shinseki/posts/904425696564769/

では、編集に携わっておられた岡田信績御尊師の編纂四方山話が見られます。

たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと、委細にかんがへて候へば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。うへたるよに、これはなしては、けうの命をつぐべき物もなきに、ただひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。これは薬王のひぢをやき、雪山童子の身を鬼にたびて候にもあいをとらぬ功徳にて候へば、聖人の御ためには事供やう、凡夫のためには理くやう、止観の第七の観心の檀はら蜜と申す法門なり。まことのみちは世間の事法にて候。金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」ととかれ、涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を、妙楽大師は法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」との経文に引き合せて心をあらわされて候には、彼々れの二経は深心の経経なれども、彼の経経はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候、法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。 (白米一俵御書1544㌻)

私は、日蓮正宗の書籍を購入することは、御供養の志しの一分と考えております。

5,500円という値段が高いか安いかは、それはあなたの志し次第ですし、読めるか読めないかも、あなたの信心次第ということであります。

御本尊様の御前に座り、御題目を唱えながら、「日蓮正宗聖典を理解せしめ給え」と祈っていくならば、必ず読めるようになります。

なぜなら、御本尊様は「久遠元初自受用報身如来の御当体」であります。

 
おんがんじょ自受用報身如来の御当体」とは、久遠元初における仏様のさとりの当体、すなわち、本門戒壇の大御本尊様の御事を指し示します。
 「久遠元初」とは、釈尊の本地である久遠じつじょう=文上のほんひゃくじんてんごうに対するもんていほんにんみょうの語句にして、御書には「五百塵点劫のそのかみ」とも示されます。その実体は、未だ仏法や一切の万物の名目も存在しないいにしえの時点、そこに一人の聖人が現われ、宇宙法界の諸現象と実在を通達され、一切の分立と統合の原点となる不思議な法を覚知されました。『三世諸仏総勘文教相廃立』における、
「釈迦如来五百じんでんごうそのかみ、凡夫にて御坐おわせし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座にさとりを開きたまひき」(御書 一四一九㌻)
との仰せは、この久遠元初の当体・当相を示されたものです。この悟りの一法は、あらゆる事象をそなえ、一切に遍満へんまんする法界不思議の生命体でありまた聖人の生命の当体であって、これを聖人は妙法蓮華経と名づけられたのです。『御義口伝』には、
「久遠とははたらかさず、つくろはず、もとのままと云ふ義なり」(同 一七七二㌻)
と仰せのように、「久遠元初」は時間的意味に止まるものでなく、仏身そのものを指し示す語でもあります。この仏法の極致はほっしゃくけんぽんあそばされた日蓮大聖人によって、久遠元初から末法にその実体を顕され、本門戒壇の大御本尊として建立されました。
 次に「自受用報身如来」とは、自受用とはじゅゆうに対する語にして、報身とはほっぽうおう三身中の報身のことであります。『御義口伝』には、
「法界を自身と開き、法界自受用身なれば自我偈に非ずと云ふ事無し」(同)
とあり、自身に受け用いるという意味で、法界の悟りと本来みょうごうしている根本の仏身をいいます。
 故に「久遠元初自受用報身如来」とは、御本仏日蓮大聖人のことであり、その「御当体」は本門戒壇の大御本尊であります。

http://monnbutuji.la.coocan.jp/souka/nisekaisetu/07.html

皆さまのご家庭に安置されている御本尊様は、その影分身でありますが、日蓮正宗では大聖人様がお出ましくださっていると拝しています。

故に、 

心に本尊を信ずれば、本尊即ち我が心に染しみ、仏界即九界の本因妙なり。口に妙法を唱うれば、我が身即ち本尊に染み、九界即仏界の本果妙なり。境智既に冥合す、色しき心しん何ぞ別ならんや。十界互ご具ぐ・百界千如せんにょ・一念三千・事行の南無妙法蓮華経是れなり。(法華取要抄文段)

1015夜:魔説 - 日蓮正宗のススメ

との、日寛上人様の御指南が存在するのです。

大聖人様の御仏智に境智冥合させていただいて、日蓮正宗の法華本門の正法正師の正義を弘通していきましょう。

法師品十五箇の大事
    第一 法師の事
  御義口伝に云はく、法とは諸法なり、師とは諸法が直ちに師と成るなり。森羅三千の諸法直ちに師と成り弟子となるべきなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は法師の中の大法師なり。諸法実相の開覚顕はれて見れば、地獄の灯燃猛火乃至仏果に至る迄悉く具足して一念三千の法師なり。又云はく、法とは題目、師とは日蓮等の類なり。
    第二 成就大願愍衆生故〇生於悪世広演此経の事
  御義口伝に云はく、大願とは法華弘通なり、愍衆生故とは日本国の一切衆生なり、生於悪世の人とは日蓮等の類なり、広とは南閻浮提なり、此経とは題目なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るものなり。
    第三 如来所遣行如来事の事
  御義口伝に云はく、法華の行者は如来の使ひに来たれり。如来とは釈迦、如来事とは南無妙法蓮華経なり。如来とは十界三千の衆生の事なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは真実の御使ひなり云云。
    第四 与如来共宿の事
  御義口伝に云はく、法華の行者は男女共に如来なり。煩悩即菩提・生死即涅槃なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は与如来共宿の者なり。傅大士の釈に云はく「朝々仏と共に起き、夕々仏と共に臥す。時々に成道し、時々に顕本す」云云。(就註法華経口伝1749㌻)