1012夜:自分の使命を果たしたいという願い
孔子の言葉で「五十にして天命を知る」とあります。
『論語』の中に「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」とあります。
『論語』の口語訳によると、「先生がいわれた。わたしは15歳で学問に志し(志学 しがく)、30になって独立した立場を持ち(而立 じりつ)、40になってあれこれと迷わず(不惑 ふわく)、50になって天命をわきまえ(知名 ちめい)、60になってひとのことばがすなおに聞かれ(耳順 じじゅん)、70になると思うままにふるまって道をはずれないようになった(従心 じゅうしん)。」となっています。
来年、50歳になる私には、天命がどこにあるのかさっぱりわかりません。
40になってあれこれと迷わず(不惑 ふわく)と言いますが、38歳の時に顕正会を辞めて日蓮正宗に戻ってきた私には、迷いっぱなしの40代でした。
それでも、40歳を前に古巣(私は破門前の創価2世です)に、生きて還ってこれたわけですから、不惑はかろうじて達成できたのかしらね。
天命、自分がこの世に生まれてきた因縁は、宿命通のない私には見通しの効かない話です。
しかし、日蓮正宗信徒にはありがたいことに、大聖人様の常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)「常(つね)に此処(ここ)に住(じゅう)して法(ほう)をとく」を聴くことができます。
無論、その後に、「我常住於此(がじょうじゅうおし) 以諸神通力(いしょじんづうりき) 令顛倒衆生(りょうてんどうしゅじょう) 雖近而不見(すいごんにふけん)」と続きます。自我偈ですから聞き覚えがあると思います。
「我(わ)れ常(つね)に此(ここ)に住(じゅう)すれども、諸(もろもろ)の神通力(じんづうりき)を以(もっ)て、顛倒(てんどう)の衆生(しゅじょう)をして、近(ちか)しといえども而(しか)も見(みえ)ざらしむ」と読みます。
本当は、目の前に仏様の姿があるのですが、神通力で見えないようになっているということです。
その理由は。。。と続いていくのですが、要するに直接会話はできませんよってこと。
ですから、私は、四座の時に「僕の使命を果たさせてください」と御祈念しております。
当に知るべし、心に本尊を信ずれば、本尊即ち我が心に染み、仏界即九界の本因妙なり。口に妙法を唱うれば、我が身即ち本尊に染み、九界即仏界の本果妙なり。境智既に冥合す、色心何ぞ別ならんや。十界互具・百界千如・一念三千・事行の南無妙法蓮華経是れなり。(法華取要抄文段)
日寛上人様が御指南下されているように、戒壇の大御本尊様を信じ御題目を唱えながら、大聖人様の声を聴く努力をしております。
そして、このブログを書き続けているのです。
仏法(日蓮正宗)を弘めること。
それ以外に使命はないと思って。