日蓮正宗のススメ

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もしも、あなたが信者教祖に捕まりそうになっているのなら:ドストエフスキーをお読みなさい

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福岡県篠栗町の5歳男児餓死事件で、保護責任者遺棄致死の疑いで母親の碇利恵容疑者(39)と知人の赤堀恵美子容疑者(48)が逮捕されてから9日で1週間。赤堀容疑者の話を信じ、ほぼ全ての生活費を渡していたという碇容疑者。赤堀容疑者による厳しい食事制限も疑わず、男児らに課していた。県警の捜査の過程で「洗脳」が解け、自責の念に駆られる日々だという。

「ご飯が食べられなくなるとよ。お願いだから(赤堀容疑者の)言うことを聞いて」。関係者によると、碇容疑者は亡くなった三男、翔士郎ちゃんらにこう言い聞かせていた。

赤堀容疑者は当初は複数の容器で食事を差し入れていたが、次第に米をそのまま渡すようになった。ガスが止められていた一家4人が絶食した時期もあったという。それでも碇容疑者にとって赤堀容疑者は「食事を持ってきてくれる本当にありがたい人」。信頼が揺らぐことはなかった。

2人が出会ったのは2016年4月。碇容疑者の子どもの幼稚園に、赤堀容疑者の子どもが転入したのがきっかけだった。碇容疑者が「ママ友」の輪に誘った。

その後、赤堀容疑者は子どもを巡るトラブルや元夫の浮気話など、架空の話を碇容疑者に次々と吹き込むようになる。共通の知人を「ボス」と位置づけ「ボスが解決してくれた」などと言い、浮気調査や離婚訴訟の費用だとして生活費を詐取していった。碇容疑者は周囲から引き離され、孤立。赤堀容疑者への依存度を高めていったという。

赤堀容疑者による「マインドコントロール」は、翔士郎ちゃんの死亡後も続いた。事情聴取で、捜査員からボスとされた知人が事件とは無関係だったことや、実際には裁判が起こされていなかったことなどを聞き、赤堀容疑者の話が「虚構」だったことを徐々に受け入れていったという。

夫と別れ、事件後、翔士郎ちゃんの兄2人とも離れ離れになった碇容疑者。「翔ちゃんのことを守れなかった。後悔してもしきれない。(赤堀容疑者が)許せない」。関係者に胸の内を明かした。警察署での勾留が続くが「あの時に比べたら自由な気がします」と口にすることもあるという。〔共同〕

信者教祖ってのは、どこにでもいるんだ。

宗教の組織的な人間関係だけではない。

学校・近所付き合い・職場・サークル。。。

人間関係の依存があるところには、必ず出現する。

人間存在の不思議と言っても過言ではない。

信者教祖は教祖ではない。

教祖が説いた信仰を依り代にして発生する。

池田センセーは日蓮大聖人ではない。

浅井センセーは日蓮大聖人ではない。

そんなことは頭ではわかっている。

でも、でもね、だけど。

不安なんだ。

優しそうな微笑で近づいてくる。

最初だけね。

その後は、色んなことでケチ付けられて、命令される。

要するに人間関係なんだよ。

ドストエフスキーを読みなよ。

俺が言えるのはそれだけ。

まずは、 罪と罰 (上)(下)巻セットだね。

罪と罰(上)(新潮文庫)

罪と罰(上)(新潮文庫)

 
罪と罰(下)(新潮文庫)

罪と罰(下)(新潮文庫)

 

理念狂いの青年が、頭の良さを生かして強盗殺人を企てる話さ。

お粗末な殺人計画もいいとこだけど、自分を奮い立たせるために、様々な理論武装を試みる。でも、実行段階で予期せぬ不具合が生じ。。。ボタンの掛け違いが起きる。

よくある話だけど、これは頭のいい奴が妄想したことは、現実には適応できないという話のお手本なんだよ。

人は思ったように動かないからね。

この話の主人公はカリスマ性はない。

だから、自滅するだけで終わる。

じゃあ、人を巻き込んだらどうなるか?

それを描いたのが、まさに悪霊。 

これなんざ、全ての洗脳事件や教祖様の謎を解く鍵を示してくれるんだよね。

日本じゃ極左ゲリラ分析に使われた本だけど、そんな薄い内容じゃない。

生まれながらに美貌・体力・財力に恵まれた人間が、革命組織の教祖様に祀り上げられながら、自分に憧れを抱く少女を凌辱し、自殺に追い込みながらその様子を覗き見るというもの。そして、自身も最後は自殺する。

教祖の周辺には信者教祖が現れ、人々を巻き込みながら、幾人もの造反者を殺害していくというお話。

人が人を洗脳し、夢見させ、騒動に巻き込んでいく姿が、現代を生きる自分自身の話として読み解くことができる。 

そして、究極の小説として描こうと、満を持した構想で書かれようとしていたのが、「カラマーゾフの兄弟」。 

残念ではあるが、構想の前編部のみでドストエフスキーが死去してしまった。

未完の大著と呼ぶにふさわしい作品なのだが、そこには、信仰と無信仰のせめぎあいや、信仰組織の異流儀化のありようがリアルに描かれていて、私には自分事のように読めたものである。

次男イワンの語る、作中仮想劇「大審問官」や「子供への虐待と神の不在」の話は、信仰の根幹を吟味する説得力が凄まじい。多くの人が読んで衝撃を受けるのではないだろうか。そして、イワンは隠された兄弟である、スメルジャコフに対して信者教祖として振る舞い、父親殺害を実行させる。

また、三男の修道僧アリョーシャが崇敬するゾシマ長老の過去の話と、葬儀での腐敗臭騒ぎが、なんだかアレを想起させてしまって。。。

ゾシマ長老の遺体はロシア正教の葬儀のやり方によってお湯で体を拭かれて清められたあと長老が使っていた庵室に置かれる。そして沢山の人が偉大な聖人の死を悲しんでやって来る。ところが、こともあろうに長老の遺体から腐屍のにおいがしてくるのだ。非の打ち所のない人が、死んで嫌なにおいを発することに人々は「聖人が何故? 」と思い始めるのである。この意味をどう捉えたらいいのだろうか。

長老の弟子であるヨシフ主教は「聖者の遺骸は腐敗すべきものにあらずというのは正教の教えではない」と反駁するが、人々が「神様のおさばきなのだ」と言う言葉が次第に大きな声となってくる。アリョーシャにはどうしてこんなことが起こったのか理解出来ない。彼は、自分が慕うゾシマ長老の奇怪な死後の出来事にショックを受ける。

日蓮正宗の信仰をしている人間には、この意味がよくわかるのではなかろうか。驚いたのは、ロシアの素朴なキリスト教信仰の人々にも、集合無意識的な共有直観があるのか、遺体の腐敗臭が聖なるものにあらずとの疑念を抱いたことに、私のほうが驚かされたものだ。

さて、最近お寺で伝え聞いた話があるので、紹介しておこう。

異教圏の信徒さんが知人の葬儀に参列したところ、やはり腐敗臭がすごくて辟易したんだそうな。常々、御僧侶からそんな場合は、遺体に御題目を聴かせてあげなさいと教えられていたそうで、傍に行って御題目を唱えてあげたら臭いがしなくなって驚いたんだってさ。

日蓮正宗の葬儀がスゴイってことは、今までに何度も話してきたことだけど、改めて感心させられたね。同じ御題目でも、先の信者教祖のおばはんみたいなのの唱える、創価題目や顕正題目は、効果なしですので、あしからず。母親の碇利恵容疑者(39)と知人の赤堀恵美子容疑者(48)が、自分で餓死させた子供の異変に気付き、救急車を待つ間、御題目を唱えていたって記事が散見されたけど、あの名言を思い出してしまった。

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無駄無駄無駄無駄ぁぁぁ!

そして、もう一度、依法不依人(えほうふえにん)という言葉を思い出そう。

法に依って人に依らざれ(依法不依人)
2005-11-21 | 手引書③
 「法に依って人に依らざれ」という「依法不依人」は、釈尊が説かれた涅槃経の文です。日蓮大聖人は『開目抄』に、
 「最後の御遺言に云はく『法に依って人に依らざれ』等云云。不依人等とは、初依・二依・三依・第四依。普賢(ふげん)・文殊もんじゅ)等の等覚(とうがく)の菩薩、法門を説き給ふとも経を手ににぎらざらんをば用(もち)ゆべからず」(御書558)
と説かれ、更に『三世諸仏総勘文教相廃立』に、
 「涅槃(ねはん)経に云はく『法に依って人に依らざれ』云云。痛ましいかな悲しいかな、末代の学者仏法を習学して還(かえ)って仏法を滅す」(御書1420)
と仰せであり『頼基陳状』に、
 「誰人か時の代にあをがるヽ人師等をば疑ひ候べき。但し涅槃経に仏最後の御遺言として『法に依って人に依らざれ』と見えて候。人師にあやま(誤)りあらば経に依れと仏は説かれて候。御辺はよもあやま(誤)りましまさじと申され候」(御書1128)
と「依法不依人」について御教示であります。仏法を信じ修行していくには、正しい法に依って、法を無視した人の言葉に依ってはいけないということです。
 日蓮正宗以外は、法の道理を無視し、人師が自分勝手に解釈した教義をもとに成り立っています。釈尊が説かれた経文から逸脱しているのが現実です。折伏では、この経文を依り所とせず、経文と矛盾するところを徹底的に責めることが必要です。不幸の根源は経文から逸脱するところにあります。
 日蓮大聖人は、御在世当時に様々な仏教が氾濫していたことに疑問を持たれ、仏教の原点に戻り、釈尊が説き残された経典である法を頼りに、真実の仏法を求められたのであります。日蓮大聖人はどこまでも御自身の見解ではなく、経文を優先され教えを説かれました。それが「御書」であります。つまり釈尊の純粋な教えに準じています。それが日蓮正宗です。
 世の中の仏教各派は、仏教と称しながら釈尊の真意から外れ、正しい師に付かず独学で仏法を学び、その上で宗旨を立てています。世間の多くの人は、仏法に対し、判釈する正しい知識と物差しがありませんので、疑うことなく素直に有り難がり、御先祖様が崇めてきた宗教を尊び敬っているのが現実です。
 代々御先祖様が敬ってきた仏教の根源を今一度、真剣に考えられ「依法不依人」という仏法の法則に従って、御自分の宗旨を考え直されることを念願いたします。寺請制度によって信仰している部分がその背景にあります。
 仏法という法に依らず、人師である僧侶が我見で立てた仏教では成仏できません。法を無視し我意我見による仏教及び宗教が蔓延するために、平和な世の中にならないのであります。法を無視している何よりの証拠です。
 正しい法に基づく「依法不依人」という教えを説いているのが、日蓮正宗の寺院であります。正しい仏法を実践すれば必ず幸福になります。その正しい法が御本尊様として顕さられ、御題目の南無妙法蓮華経であります。

法に依って人に依らざれ(依法不依人) - 正林寺法華講員手引書