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創価ダメ出しさんに学ぶ:六巻抄拝読の為の基礎知識⑧(文底秘沈抄③)

創価ダメ出しさんの六巻抄講義、第8弾!

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六巻抄

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六巻抄拝読の為の基礎知識⑧(文底秘沈抄③)

今回は「文底秘沈抄」の第3回目です。今回で「文底秘沈抄」を終わりにする予定なので少し長くなるかもしれませんが、なるべくコンパクトにまとめてみたいと思います。では早速いきます。

【第二本門戒壇篇】
◇夫れ本門の戒壇に事有り、義有り、所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり(中略)正しく事の戒壇とは一閻浮提の人、懴悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天・帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり
まず「本門の戒壇」には「義」と「事」がある事を明かします。「義」とは「義理」という意で天台の「理の戒壇」と混同しないように「理」ではなく「義」と書かれています。本門の本尊のある場所が「義の戒壇」であり我々法華講員の自宅や末寺などのことです。次に「事の戒壇」ですがこれには「事の法体の戒壇」と「事相の戒壇」との立てわけがあり、ここを理解していないのが顕正会です。そしてここで引用している三秘抄の部分は「事相の戒壇」のことです。ですから本抄は「法体の戒壇」ではなく「事相の戒壇」について明かされているわけです。ここで問者は三秘抄の【霊山浄土に似たらん最勝の地】とはどこか?と質問しそれに対し日寛上人は富士山=大石寺であると、道理・文証・遮難(反論に対する回答)を持って答えます。まづ最初に富士最勝の道理として、①日本第一の名山なるが故に②正しく王城の鬼門に當たるが故に③大日蓮華山と名づくるが故に。と3つの理由を挙げ、更にその後に「身延相承書」「富士一跡存知の事」等の文証を挙げます。②の「王城の鬼門」というのは仏法の中心地は政治の中心地(王城)の鬼門(東北)の方向に位置することから京都から見て富士は鬼門の方角にあるということを言われているのです。さて、文証を挙げた後、問者は「身延山」が最勝の地ではないか?と疑難を問いかけてきますが、それに対して日寛上人は遮難します。最初の疑難は身延は大聖人の草創の地で御書にも身延は霊鷲山にも劣らないと書いてあるから「最勝の地」ではないか?と言います。対して日寛上人は「最勝の地」にも義と事があり、身延は義で富士山は事であると答えます。次に問者は南条殿御返事の【教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し~】ろ引用し大聖人のいた身延が最勝の地であると主張します。それに対し◇答う、教主釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫より来このかた心中深秘の大法の故に一大事の秘法と云うなり。然るに三大秘法の随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり、是れ則ち法妙なるが故に人尊く、人尊きが故に処尊しとは是れなり。と日寛上人は言われます。ここは非常に大切なところで、これは大聖人の所持する一大秘法とは大聖人の出世の本懐である本門戒壇大御本尊であるとご指南されているところです。つまり戒壇大御本尊は大聖人の色心二法であり大聖人そのもののお姿であるということなのです。戒壇大御本尊と他の本尊が全く同じなどいう創価の本尊義は全くのイカサマということです。この創価理論だと「本門の戒壇」は義=事になり一番最初の【夫れ本門の戒壇に事有り、義有り】というご指南とは違ってしまいます。であれば「事相の戒壇」など建立する必要はないというこなります。更に問者は墓所に寄せて身延最勝を主張しますが、日寛上人は身延の地頭の謗法により日興上人が離山した時点で大聖人の魂は唯受一人血脈相承を受けた日興上人と富士に移りさらに【而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至って四百余年の間一器の水を一器に移すが如し、清浄の法水断絶せしむること無し】と日寛上人まで大聖人の魂である一大秘法の法体は断絶していないと破折します。創価が難癖をつけてきた日精上人も当然この中のお一人です。その後も問者の創価活動家並みの疑難に対し日寛上人が遮難していきます。そのあとで要法寺30世・日饒の邪義を挙げて破折していきますが、日饒もまた創価活動家同様に「我見」だけを述べていることがわかります。そして最後に日饒の【何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し、本山と為さんや】に対しての答えを5つ挙げます①富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり(これが一番重要な部分です)②迹門を以て本門に例するが故に③本門大戒壇霊場なるが故に④末法万年の総貫首の所栖なるが故に⑤一閻浮提の座主の所住なる故に。という内容を書き【学者応に知るべし、独尊の金言偽り無く三師の相承虚しからず。富士山の下に戒壇を建立して本門寺と名く。一閻浮提の諸寺・諸山、本山と仰ぐべきなり。天台の所謂「流れを挹くんで源を尋ね、香を聞かいで根を討たずぬ」とは是れなり】と締めくくれています。いまだ広宣流布途上ですから事相の戒壇は建立されていませんが我々法華講員が登山する大石寺広宣流布の根源の地であり末法衆生霊鷲山なのです。

【第三に本門題目篇】
◇夫それ本門の題目とは即ち是れ妙法五字の修行なり
次に「本門の題目」ですが上記ご指南のように「本門の題目」とは修行です。創価民は「題目」に功徳があると思っているようですがそうではありません。「唱題」とはあくまでも修行なのです。しかしこの修行も法体を離れては存在しないのです。【本門の題目には必ず信行を具す、所謂但本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うるを本門の題目と名づくるなり】と本文に書かれている通り、【本門の本尊】(法体)を信じて唱題をする。この「信」と「行」が揃って【本門の題目】となるわけです。題目に信行具足すれば、修行即法体・法体即修行となります。これを【本門の題目】というのです。従って、根源である戒壇大御本尊を捨てた創価の題目は【本門の題目】とはいいません。だたの呪文にすぎず功徳が出る道理が全くありませんから「題目あがれば功徳が出る」という創価指導もまたイカサマ指導です。本文に【仮令信心有りと雖いえども若し修行無くんば未だ可ならず】【仮令修行有りと雖も若し信心無くんば不可なり】とのご指南があります。「例え大御本尊を信じていても修行が無ければまだ可ならず」ですが、逆に「たとえ修行していても大御本尊への信が無ければ不可なり」なのです。「可ならず」と「不可」この違いをしっかりと心に止めることが大切です。つまり法華講員となり大御本尊を信じていても「本門の題目」即自行化他の修行をしなければ、まだそれだけでは十分ではないのですね。しっかりと日々の勤行唱題はもとより折伏弘教の修行をして「可」の信心を心がけ大きな功徳を得、一生成仏を成し遂げたいと思います。対する学会員はいくら唱題しようと弘教をしようと、例え選挙や新聞啓蒙が広宣流布の戦いだとしても、戒壇大本尊を捨てているのですから【不可】なのです。このことをよく思索して大御本尊への信を取って欲しいと思います。この章はこのあと妙法五字が一切経の肝心であることを明かし、本門の題目についての大聖人の御妙判をいくつか挙げて結ばれています。

以上が文底秘沈抄でご指南されている三大秘法のあらましです。次回からの「依義判文抄」ではこの三大秘法を更に詳しく開合し「依義判文」したところの法華経の文を解説します。

待望の講義です。

今日は顕正会員も必読ですね。

本門戒壇篇ですよ。

まず「本門の戒壇」には「義」と「事」がある事を明かします。「義」とは「義理」という意で天台の「理の戒壇」と混同しないように「理」ではなく「義」と書かれています。本門の本尊のある場所が「義の戒壇」であり我々法華講員の自宅や末寺などのことです。次に「事の戒壇」ですがこれには「事の法体の戒壇」と「事相の戒壇」との立てわけがあり、ここを理解していないのが顕正会です。そしてここで引用している三秘抄の部分は「事相の戒壇」のことです。ですから本抄は「法体の戒壇」ではなく「事相の戒壇」について明かされているわけです。

戒壇に法体と事相の立て分けがあることは、日蓮正宗に戻るまで知りませんでした。

本尊に戒壇本尊と分身散影(ふんじんさんよう)があることは知っていましたが。

戸田センセーも主として、本尊の本末については分身散体という言葉を使って、指導していたように記憶しています。

要するに、法体に約しての立て分けは、本尊に約して化導していたんですよ。正本堂問題が出るまでは。

混乱しますからね。御授戒している以上、事の戒が有効なのは当たり前ですけど。そのことを義(現在)が事(未来)に通じるという意味で、広宣流布以前の本門戒壇の大御本尊を義の戒壇と呼ぶのです。

ですから、折伏大行進時代の創価学会は、個人の幸福とその基盤たる鎮護国家国立戒壇建立の国会発議≒公明党の党是)を二枚看板に掲げていました。

国立戒壇は、言葉は田中智學の造語です。

この言葉は、近代以降の輸入概念との合成語ですから、当然ながら御書にはない言葉です。

国立戒壇≒本門事の戒壇という意味で、戦後も日蓮正宗ではこの言葉を使用していたのです。田中智學の国立戒壇とは、意味も出自も違います。国立戒壇を頑なに主張し続ける顕正会も的外れですが、田中智學で顕正会を攻撃するのも有効打とは言えません。

顕正会が主張しているのは、昭和45年に日蓮正宗が放棄した国立戒壇のことですので。

顕正会正本堂解体以後、宗門復帰が叶わず、批判の矛先を失いました。

それまでの顕正会は、正本堂が誑惑の殿堂であると、その解体と戒壇の大御本尊様の御遷座を主張していました。

それが平成10年に実現してしまったのです。

本来なら顕正会は解散されて、除名処分を受けた昭衛&創価本部襲撃者以外の会員は、日蓮正宗に帰依するべきだったのです。

しかし、腹の虫がおさまらない浅井センセーは、血脈否定を口に出し、国立戒壇押しという、かつての日蓮正宗がしでかした、誑惑路線に転向してしまったのです。

あろうことか、誑惑を批判した者が誑惑をしているのが現状です。 

なぜ学会員は功徳を失ったか

なぜ学会員は功徳を失ったか

  • メディア: 単行本
 

 

「学会・宗門」抗争の根本原因

「学会・宗門」抗争の根本原因

  • 作者:浅井 昭衛
  • 発売日: 1991/10/01
  • メディア: 単行本
 

上記の二書は浅井センセー、渾身の力作です。

創価と宗門の仲たがいに便乗して、顕正会員の増加を意図して発刊されました。

図に当たるとはこのことで、この時期から顕正会は会員数を劇的に増加させます。

かく言う私もその一人でした。

浅井センセーが怒るのも無理はない事情が、当時はありました。

国立戒壇の用語放棄は、謗法の邪義と紛らわしいから為したのではなく、共産党の国会議員に政教分離原則の憲法違反を追及されたからです。

要するに、国立戒壇を突っ張ると、公明党は解党せざるを得ないところまで追い込まれる。。。

この危機感から池田センセーは、宗門に泣きついて国立戒壇を撤回したのです。あわせて折伏大行進も中止になりました。

さらに、この頃から池田センセーは、政教一致批判をかわすために、民衆立の戒壇ということを大聖人の御遺命たる本門事の戒壇義に当てはめ、まさにその戒壇が会員の御供養で建設中の正本堂だと、内外に喧伝したのです。

ここから、浅井センセーと創価学会、宗門を巻き込んでの戒壇義論争が勃発します。

浅井センセーの主張にも、嘘、大げさ、紛らわしいのJARO三拍子がありますが、決定的なのは、日相上人聞き書きという、当時、初めて信徒に示された文書の指南で、日達上人様が言った言葉、「浅井さん、広宣流布の時は国立ですよ」であります。

これは、浅井センセーの作り話ではないと、私も思っています。

というのも、浅井センセーは、この聞き書きについて、法体に約してのことかどうか確認しているのです。

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日相上人の聞書

まさに、法体に約しての三大秘法開合の相です。

ですから、正本堂は事相の戒壇ではありませんね?と詰め寄る浅井センセーに、焦れったくなって、「浅井さん、広宣流布の時は国立ですよ」という言葉が出たのだとか。

50年前の言った言わないの話ですから、確認のしようもないわけですが、状況証拠としては十分だと思います。

信心が薄い大旦那様に忖度して、相伝の甚深の義まで公開した結果、事相の戒壇建立は何か薄っぺらい感じのする、あやふやな目標になってしまったのです。

大聖人様は明確に事相の戒壇の絶大威力について、三大秘法抄にお示しですが、宗門ではあまり触れません。

戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。(三大秘法稟承事1595㌻)

御開扉を受けてみればわかりますが、奉安堂は蔵です。

奉安堂で御授戒はしていません。

御開扉の資格はすでに信徒であるものに限られています。

信徒資格は末寺の御本尊様から授与されます。

ただ、これも甚深の義ですが、御開扉の勤行は御授戒の勤行(自我偈三転読誦)です。

また、末寺に下付される板御本尊様の開眼供養をされているのを観たことがあります。

顕正会員は自分の眼で確かめてみることをお勧めします。

根源の本尊だと思えばいいんです。

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三門にも御本尊様が御安置されているんですよ。