あなたの悩み、エピクテトス先生に聞いてみよう。7
前回は、エピクテトス先生におでまし願いました。突然ご降臨なさって驚いたね。それで悩み相談をしたのでした。
「上司にムカつく30代男性の相談に答える」っていうね。これ、相談者も相談者だと思ったけど、先生も先生で……。相談に乗るというよりも、お説教しているみたいだったね。
いわれてみれば、『人生談義』にはそういう展開が多い。さすが哲学者というべきか、悩みを生みだした条件や状況に目を向けて、再検討していくというスタイル。自分がとらわれた悩みそのものを、対症療法でなんとかするのではなく──ときにそれも必要だし有効だけれど──、そもそもどうしてそんな悩みが生まれたんだっけと、足元を見直してみるわけだ。
というわけで、再びエピクテトス先生の教えの検討に戻ろうか。
どこから続ければいいかな。権内と権外の区別についてはすでに議論したよね。前回の終わりで触れた「理性」についてがいいんじゃないかな。
そもそもどうしてここで理性が顔を出すんだっけ。
その件については、『人生談義』に収録の『語録』冒頭に立ち戻る必要があるね。
『語録』の巻頭には、邦訳で「われわれの権内にあるものとわれわれの権内にないもの」と題した章がおかれている。さっそくここで権内/権外という最重要概念が説明されるんだよね。でも、ちょっと唐突に話が始まる感じで。いきなり人間がもっている諸能力について検討される。読んでみようか。最初の一文はこんなふうに始まる。
「他の諸能力のうちどれ一つとして、自分自身を考察するものでないこと、従って自分自身を是認したり、否認したりするものでないことを諸君は発見するだろう。」
それに続いて具体例として、読み書きの能力とか音楽の能力が例に挙げられている。いまなら、車を運転する能力とか、プログラミング能力とかも入るのかな。コミュ力とか女子力とかいう怪しげな能力も話題になるね。
人によっていろいろな能力がある。「卓球が得意なフレンズなんだね!」みたいな。ところで先ほど読んだ冒頭部分は、ちょっとややこしいよね。
人にはいろんな能力があるけれど、ほとんどの能力は「自分自身を考察するものでない」と。なぜそんなことを先生は言い出したのか。それが問題だね。ちょっと詳しくみていこう。
例えば、読み書きの能力――そうだね、話を簡単にするために書く能力としておこうか。書く能力というのは、たくさんある文字を区別して、ペンやなにかで実際に文字を書けることだ。
その書く能力は、「自分自身を考察するものではない」というのが先生の主張。これだけだと、まだなにを言おうとしているのか分かりづらいね。
具体例を聞くと腑に落ちるかも。
友人に手紙を書く場合。メッセンジャーやメールでもいいんだけどLINEでもいい。
伝えたい内容を表現するには、書く能力が役に立つ。というか、この能力がないと相手にものを伝えることができないよね。
この能力のおかげで、ペンやキーボードを操作し、紙やディスプレイに文字を書きつけることができる。
スタンプを押すのでもいい。
でも、この能力は、友人になにを書くべきかについては教えてくれない。そもそも手紙を書くべきか、書かずにおくべきかについても。
たしかに、それはものを書く以前の問題だもんね。
じゃあ、いったいぜんたい、なにを書くべきか、あるいは、書くべきか書かざるべきかを判断する能力はなんなのか。
それこそが「理性的能力」である、というわけだ。そこで理性が登場する。
最後まで読んでくれてありがとう。
本じゃ物足りねえって人は、相談に乗るよ。
俺でよかったら。
porigin@yahoo.co.jp
にメールを送ってくれ。
忙しい身だけど、暇が出来て、気が向いたら返事するかも。