宗教2世・3世の苦悩に向き合う:宗教って必要だと思いますか?
自分自身、日蓮正宗信徒でありながら「宗教の必要性」を問うなんて。。。
そのことの矛盾は、自分自身痛いほど感じています。
でも、問いかけざるを得ません。
なぜなら、僕は宗教2世だからです。
僕は、昭和47年(1972年)生まれの創価学会2世です。
同い年の創価2世って何人くらいいるんだろう。。。
みんな、どんな人生を歩んだのだろう。。。
信教の自由は保障されていたんだろうか。。。
僕は信仰を親の暴力によって強制されました。
そこがこの信仰への入り口でした。
疑問を投げかけることも禁忌でした。
疑問を投げかけると、親は途端に不機嫌になりました。
不機嫌を通り越して、沸々と沸上がる怒りに顔面を怒張させました。
それはもう、幼い僕にとって恐怖の権化でしかありませんでした。
幼いころの僕にとって、勤行をサボることは不幸に繋がる。。。その不幸とは、親から加えられる折檻という、壮絶な暴力でした。。。
そんなひどい目にあったのにも関わらず、何ゆえにこの信仰を両親の死後も続けているのか?
自分でもよく分かりません。
もしも、自分が宗教2世ではなく、ごく一般の日本人家庭に生を受けていたと仮定するなら、成人して正宗系の折伏乃至は勧誘を受けたとき、僕はどのような態度をとったのだろうか。。。そんな風に思うこともしばしばあります。
僕は、日蓮正宗のススメなどというブログを書きながら、実のところ、自分自身を対等な人間として折伏してくれる人を捜し求めていただけなのかもしれません。
私が破門前の創価も含め、強烈に功徳乃至は御利益と感じ、自分の信仰体験となったことは、二つだけあります。
- 一つは、大学受験時の合格体験。時期も絶妙で1991年の3月でした。創価大学と有名私大を両天秤にかけ、"創価が間違っているなら創価大学には行きたくありません"と、必死に祈って有名私大に合格。そのまま進学したのです。卒業式の時、担任教授から僕の進学した哲学科は"通常一クラスしかないのが、僕の学年だけ二クラスなのは、合格発表時に間違って2倍の人数に合格通知を発送したからです。"と教えられ、慄然としたことがありました。
- もう一つは、父の死相です。父が死んだときの死相は、大きく口を開け皮膚の色はどす黒く、それはもう、いわゆるアレの相でした。無間地獄のってやつです。それでも、通夜の前に法華講のおばさんに"絶対大丈夫だから。御住職様に葬儀をしてもらえたら、成仏の相に変わるから"なんて励まされ、所属寺院に葬儀を執行してもらいました。父は、 勧誡式(かんかいしき)だけは、死の2年前に受けていたものの、僧侶への怨嫉心は強く、一度もお詫び登山に行かないまま死んでしまったのです。それでも、通夜式で色が白くなり、葬儀では頬に赤みが差し、ホッとしたような相になって旅立つことが出来ました。
しかし、それでも、迷いは残っています。
人は何のために生まれてくるのか?
そもそも、なんでこのような世界が存在するのか?
死んで地獄に堕ちるというけれど、なんで地獄なんてものが存在するのか?
全く解明できていません。
人生は未だ全くもって不可解なままです。
神様も仏様も、存在するというのなら、なんで世界を救ってくださらないのか?
若い時に聴いたB'zの曲を思い出します。
そう 信じる者しか救わない せこい神様拝むよりは
僕とずっといっしょにいる方が 気持ちよくなれるから
ツライつらいつらいとわめいてるばかりじゃ 心にしわが増えるだけ
ふたり だから楽しく踊ろうよ愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない
太陽が凍りついても 僕と君だけよ消えないで
そんな時、ネットに救世主を見つけました。
です。
などなど、興味深い考察が散りばめられていました。
少し僕の視野を広げてくれたようにも思います。
また、昔から読み続けてきたドストエフスキーとアルベールカミュも再読しています。
僕たちは、自分からは逃げることができません。
自分とは何か?これを突き詰めていくことが、人生の目的かもしれませんね。
凡そ成仏とは、我が身を知るを仏に成るとは申すなり。我が身を知るとは、本よりの仏と知るを云ふなり。(十二因縁御書53㌻)
ですからね。