日本が負けた根本的理由
全世界の裏RPE読者の皆さま、こんにちは!
北野です。
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〇日本の地政学
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この本は、「地政学」の視点から日本が勝利する道を示しています。
おそらく全然聞いたことのない話ばかりだと思いますので、是非ご一読ください。
では、本題。
日本は、なぜ先の大戦で負けたのでしょうか?
調べてみると、いろいろ転換点があったようです。
新しい時代から古い時代にむかっていきましょう。
1、真珠湾を攻撃しなければ?
まず、1941年12月の真珠湾攻撃。
これ「やる必要がなかった」という説があります。
なぜ、日本はアメリカを先制攻撃したのでしょうか?
直接的な理由は、「ABCD包囲網で石油を止められたから」でしょう。
それで日本は困って、東南アジアを攻めて石油を確保した。
(そうはいっても、東南アジアは、当時欧米の植民地です。)
東南アジアの油田を確保するのはともかく、アメリカを攻める必要はなかったのでは?
日本が東南アジアの油田だけ確保して、真珠湾攻撃をしなかったらどうでしょうか?
ルーズベルトは、「戦争に関わらない」ことを「公約」に再選された。
だから、日本と戦争を開始することができなかったという説があります。
2、ナチスドイツの同盟国にならなければ?
第2次大戦がはじまったのは1939年9月です。
この時、日本はドイツの同盟国ではありません。
日本がドイツの同盟国になったのは1年後の1940年9月です。
もし、日独伊三国同盟がなかったらどうでしょうか?
リアリズムの神ミアシャイマーは、「アメリカが対日戦を決めたのは1941年の6月だ」といっています。
どういうことでしょうか?
1941年6月、ドイツは、独ソ不可侵条約を破ってソ連攻撃を開始した。
日本はドイツの軍事同盟国。
当然、ドイツに呼応してソ連を攻撃する可能性がある。
すると、ソ連の戦力は西と東に二分され、敗北する可能性が高まる。
アメリカは、ドイツが全欧州とソ連の西半分を支配し、日本が中国、朝鮮半島、満洲、ソ連の東半分を支配するという悪夢が現実化することを恐れた。
そうなったら、ユーラシア大陸を、反アメリカ的な二つの帝国が支配することになる。
実現したら、アメリカは負ける。
それで、1941年6月、アメリカは「日本をぶちのめす」ことを決めたというのです。
この件については諸説ありますが、とりあえずリアリズムの神ミアシャイマーは、そう書いています。
もし日本がドイツの同盟国でなければ、日本にはドイツを助ける義務はない。
だから、対ソ戦に参戦する展望はなく、アメリカも日本を打倒しようとは思わなかったかもしれない。(もちろん真珠湾を攻撃したら、アメリカとの戦争はさけられませんが。)
3、リットン調査団の勧告を受け入れていれば?
1931年、満州事変が起こりました。
1932年、日本は満州国を建国します。
これが原因で、日中関係がひどく悪化します。
中国は、国際連盟に助けを求めました。
リットン調査団が派遣され、調査が行われた。
そして、リットン調査団の勧告の骨子は、以下のようなものでした。
・満州国の承認はできない。
・満州には中国主権下の自治政府を樹立する。
・日本の特殊権益を認める。
これ、どうでしょうか?
当時の日本政府も国民も、「こんなもん承諾できるか、ボケ!」という感じでした。
それで、日本は1933年、国際連盟を脱退し、世界的に孤立した。
ところで皆さん。
昭和天皇は、リットン勧告支持だったのをご存知ですか?
日本を代表する愛国知識人・藤原正彦先生の「日本人の誇り」にこうあります。
<昭和天皇もこのリットン報告書は妥当と思われていました。
『昭和天皇独白録』にこうあります。
「私は報告書をそのまま鵜呑みにして終ふ積りで、牧野、西園寺に相談した処、牧野は賛成したが、西園寺は閣議が、はねつけると決定した以上、之に反対するのは面白くないと云ったので、私は自分の意思を徹することを思ひ止ったやうな訳である」>(159p)
そして、藤原先生ご自身の「リットン報告書」と日本政府の対応についての評価がつづきます。
<リットン報告書を受諾して、すなわち名を捨て実を取り、アメリカやイギリスにも満州国の利権を一部譲ってやる位のことをしておけば、日本は英米と協力し共産ソ連の南
下に対抗できたのです。絶好の機会を逸した上に日本は世界の孤児になったのです。冷徹な計算のない、余りに稚拙な外交には嘆息が出ます。>(159〜160p)
藤原先生は、米英を満洲に入れておけば、ソ連の南下を「米英が阻止せざるを得なくなる」とおっしゃっている。
まったくその通りでしょう。
4、第一次大戦時、欧州に陸軍を派遣していれば?
第一次大戦時、日本の海軍は、欧州方面で大活躍しました。
しかし、イギリスは、日本に陸軍の派遣も要請していました。
日本はこれを拒否し、一兵も送らなかったのです。
日本の同盟国イギリスは大いに失望しました。
第1次大戦中、駐日大使だったウィリアム・C・グリーン氏は、いいます。
<戦争が勃発しわれわれが手一杯の時に、わが同盟国にいかに失望したかを語る必要はないであろう。任期中に加藤高明、本野一郎、後藤新平、石井菊次郎の四人の外務大臣に接したが、イギリスの協力要請に対する対応は常に同一態度、すなわち、直ちに拒否するか、後程回答すると述べて拒否するか、未だ考慮中と述べて時間切れを待って拒否するかの何れかであった>
(「日英同盟」平間洋一 151p)
イギリスは、冷たい同盟国日本に愛想をつかし、日英同盟破棄を決めます。
それだけでなく、イギリスは一次大戦で大いに助けてくれたアメリカとグルになり、「日本をいつか打倒しよう」と画策するようになります。
日本は、イギリス、アメリカ、二つの大国を敵にしたのです。
1904〜1905年の日露戦争。
日本を助けた二つの国がありました。
同盟国イギリス、そしてアメリカです。
アメリカは主に、資金面で助けてくれました。
戦争で日本が獲得した南満州鉄道の共同経営を提案します。
日本は、これを拒否しました。
これについて元ウクライナ大使の馬淵睦夫先生は、こう書いておられます。
<ハリマンを袖にしたことが、アメリカとの戦争につながるわけですね。一九〇五年にポーツマス条約で日露戦争の和解仲介をしたアメリカは、わずか二年後の一九〇七年には対日戦争計画「オレンジ・プラン」の策定を開始します。次の戦争相手を日本に定め、準備にとりかかった。>(「日本の敵グローバリズムの正体」115P)
アサヒビール名誉顧問の中條高徳氏は、名著「おじいちゃん戦争のことを教えて〜孫娘からの質問状」の中で、こう書いています。
<日本にはもっと賢明な選択肢があったのかもしれない。たとえば、満鉄を共同経営しようというアメリカの鉄道王ハリマンの提案をそのまま受け入れていたら、昭和の歴史は大きく変わっていたのではないかとおじいちゃんには思えてならない。>(31p)
以上、1905年から1941年の真珠湾攻撃に至るまで、敗戦を避ける様々な可能性があったことがわかります。
私たちは、なぜ過去の可能性を学ぶのでしょうか?
そう、「もう二度と負けないため」です。
そういえば、日本が負けたもう一つの【根本的理由】があります。
こちらは、短い動画で解説しています。
あまり時間はかかりませんので、是非ごらんになってください。
バイデン大統領で米中覇権戦争は終わる?【CGS 神谷宗幣 北野幸伯 第185-2回】
地政学を学び、日本必勝の道を知れ!【CGS 神谷宗幣 北野幸伯 第185-1回】