いやはや。
年末になって衝撃のニュースですね。
やっと、新型コロナウイルスに対するワクチンが完成した矢先に、もう変異種が登場してきました。
ポストコロナ時代は、確実に以前の世界と様相を異にするでしょう。
ワクチンの効き具合にもよりますが、治癒すれば原状復帰できるレベルにならない限り、脅威でありつづけると思われます。
そんな時もあったねと、懐かしむことのできる時代が来るでしょうか。
約一か月ぶりの投稿になります。
実は前回の『京都の怪談説法』の話を書いたあと
なんとパソコンから火の玉が出てくるじゃありませんか、
ぽわっと!!
すわっ!
京都から人ダマが飛んできたぁ~~
ビビリながらよく見ると、ACアダプターの差し込み口から煙が・・・
どうも自然発火だったようです。
しかし、在宅中で良かった~
もしパソコンもろとも燃えていたら、家が一軒燃えていたかも、、、
これも諸天の加護か!
そしてこの事件をメーカーに言うと
最新のパソコンに交換していただけました。
古いパソコンはもう10年選手で調子がメッチャ悪だったし、
OSも7でそろそろ10が入っているパソコンに買い替えなきゃ、
と算段していた時だったので、なんとラッキーな!
転重軽受???
アタシはそのように信じております。
さて、
新型コロナウィルスの感染拡大が止まりません。
WHOは百年に一度の公衆衛生危機であると宣言を出しました。
百年前、1918年(大正七年)から1920年に大流行したスペインかぜは,全世界で患者数約6億人で,2,000万から4,000万人が死亡したとされています。
今回のコロナウィルスも第二、第三波が襲って来ると予想されております。
(すでに日本をはじめヨーロッパ諸国は第二波が襲来していると思われます)
今回は百年前の御法主上人であらせられた、第58世・日柱上人のその当時の御指南を掲載いたします。
(スペイン風邪を新型コロナに置きかえてお読みください)
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『第一次大戦の終わり頃から流行り始めたスペイン風邪は、一旦は感染拡大が収束したように見えたが、春になって再び猛烈な勢いを倍増し、国境もなく全世界に疫病の風を吹きまくり、多くの人命を奪っていることは、安閑とはしていられない事態であります。
人間の躰は、ほとんど四百四病の容器ねようなものでありますから、衛生上での予防が不行き届きなれば、疫病の風に冒されるのは当然のことと言えます。
しかし今回のようなスペイン風邪の如き疫病が流行することは、簡単に冷視できません。
神国王御書に「釈尊の一代諸経の中で法華経は明鏡であり、その中でも神の鏡というべき御経です。
爾前諸経は銅の鏡のように、人間の姿だけは映すことはできても、心のなかまでは映せません。
法華経は躰だけではなく、その人の心の中まで映します。
さらに心だけではなく過去世の宿業も、未来世までも映す曇りのない明鏡です」(平成新編P1296)と御教示されています。
私、日柱はこの法華経を明鏡であると御教示された御文と同じく、大聖人様の御書も明鏡であると申し上げたいのです。』
~ 続く ~
第58世・日柱上人
日女御前御返事には
「去年から今年にかけての疫病と、去る正嘉年中の疫病は神武天皇以来無かった比類なき疫病である。
それは聖人が国にいるのを人々があだむ故だろう。
獅子に向かって吠える犬ははらわたがちぎれ、日月を呑む修羅は頭が割れるというのはこれである。
日本国の一切衆生のうち、すでに2/3が疫病にかかり、そのうち半分は亡くなってしまった。
また頭は顕れても顕れなくても頭破七分であろう。
そもそも罰には四つあり、総罰・別罰・冥罰・顕罰である。」
と御教示されております。
また聖人御難事にも
「聖人をあだめば総罰一国にわたる。今日日本国の疫病は総罰なり」
とあります。
これらの御書は今の世の中の状況を、鏡のように映されているだけにとどまらず、人々の心の中まで映されています。
現在の医療や衛生法など、その進歩やそれらが行き届いている点は、鎌倉時代の当時とはとても比較できないほど進歩しているのです。
かくして今回のスペイン風邪という疫病が流行していることは、あえて医療や衛生面が充分行き届いているのにも関わらず、これはいかなる理由であろうか?
今この御書の明鏡に照らして、心にやましい心がない人は果たして幾人いるでしょうか?
かつて私、日柱が申し上げたように
成金中毒症・徳義衰亡症、報恩亡失病、偏見民本病などでしょう。
とりわけはなはだしい病気は大謗法であります。
人心の病は、最終的に国家を滅ぼす病であります。
~ 続く ~
そして、その人の心の病の勢いが増すことにより、悪鬼や悪魔がその便りを得て、より一層、害毒が猛烈に勢いを増していきます。
それはあたかも火の勢いに風の威力が加わり益々燃え盛るようなものであります。
ゆえに国の病むことを防止し、この悪鬼悪鬼を対治することが今、最も早くやらなければならない急務なのです。
かつて大聖人様は不惜身命の精神で立正安国論をもって国家を諫暁され、強情に病の源を対治することに心血をそそいだのは、当時としては一大事の急務であったからであります。
現在の状況も、このお振舞いを前例と知るべきであります。
念を押して言いますが、国土というのは、とかく災害の絶えないのが当然ですから、少しも安心することはできません。
ですが、このような出来事が科学的に見て全く警戒に当たらないと見るか、もしくは仏法の四罰(総罰・別罰・冥罰・顕罰)のいずれかに当たるのではないかと見るかは、常に猛省していくことが最も肝要ではないでしょうか。
私、日柱は、今は多くのことを語りませんが、まさしく御書の明鏡をもって、世の人々が自分の心を照らして視ることを希望するものであります。 (完)
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日蓮大聖人様の教えは「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われております。
その立正安国論の冒頭は
「旅客が来て嘆いて言うには、天変地夭、飢饉、疫病があまねく天下に満ち、広く地上にはびこっている。
その結果、牛馬はいたるところに死んでおり、その死骸が道端いっぱいに充ちている。
すでに死亡した人は大半を超え、この様相を悲しまない者は一人もいない。」
という衝撃的な事実から始まります。
なんと疫病(ウィルス感染)により日本にの人口の半分が死んでいる惨状なのです。
これを世紀の一大事と感じられた大聖人様は
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや」
と立正安国論を奏呈して国家諫暁をなされました。
近年では第52日霑上人以来、国家諫暁がなされておりません。
現在は主権在民のため、政府や天皇家への奏呈や上奏は意味をなさないかも知れませんが、
SNSなどを大いに活用し、広く一般世間へも「国家諫暁」の精神で発信していくことが大切なのではないでしょうか。 了
城内氏のコロナウイルスに関する考察には、首肯せざるをえません。
主権在民はルソーという思想家の妄想です。
フランス革命の土台になった思想ですが、悪思想であります。
人民主権という考えがいかに暴論であるかは、エドマンドバークのフランス革命の省察をお読みください。
その後に登場する革命思想全てに共通する、政治的破折論です。
人民主権の思想に忖度して、国立戒壇放棄をしたのが1970年。
ちょうど、50年前の出来事です。
私は君主による啓蒙によって、広宣流布が達成されると考えています。
ポン助の烏合の衆が信心して、それが社会的上位階層に広まるなどという考えは、下克上・自界叛逆の思想だと捉えております。
だって、そんな君主を永代に渡って尊敬できますか?
君主として君臨する意味がないではありませんか?
広宣流布して何百年経たのちも、日本の天皇陛下のご尽力で広宣流布ができたんだよって、語り継がれたいと思いますもの。
でも、国立戒壇言ってるだけの顕正会に入っても、全く功徳はありません。成仏もできません。念のため。
戒壇の大御本尊様が居られる、富士大石寺に帰依し血脈をいただく他に方法はありません。
事相は分からないではなく、事相を導くことこそが日蓮正宗僧俗の使命だと思います。
私たちが学校で習った思想は、左翼外道の邪義です。
目覚めるためにも、バークを新訳で読むことをお勧めいたします。