日蓮正宗のススメ

人生談義と時事放談

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昭和52年路線(終)


 

私が創価学会にいた頃の指導(洗脳)の最たるもの

 

学会批判の新聞記事など信用するな。

 

・三大新聞などの捏造記事は読むに値しない!

 

聖教新聞だけ読んでいれば良い!

 (聖教新聞は一家に一部ではなく一人一部!)

 

・週刊誌などもってのほかだ!

 

・週刊誌の記事は○○など(←実名)のブッラクジャーナリストが

 金銭欲のために書いてるだけである!

 

 (執筆者=ブラックジャーナリストと洗脳する)

 

そして極めつけは

 

本当にヤバイ週刊誌が出た場合

本部から連絡があり

地区部長、地区担が買占めに走ります。走る人走る人

 

なぜなら週刊誌は増刷が出来ないから、

店頭から消えれば人目にさらすことは無いからです。

 

 

私はそんな教育を受けてきた

(音楽隊時代は訓練と呼んだ)

経緯がありますので

なるべく学会、宗門ともに偏らず

公平に記述したいと考えております。

 

 

現学会員の方も法華講員の方も

(僧侶の方も)冷静な判読をお願いします。

 

 

 

さてさて

 

本尊摸刻が発覚した宗内は大混乱したようです。

 

当たり前ですよね~

 

特にお坊さんたちの怒りが爆発しました。

 

前にも書きましたが

この頃の私は学会活動から離れている頃です。

 

ですが、その頃、TVのニュースを見て、

見覚えのある薄墨の衣のお坊さん達が

武道館で檀徒会なる決起集会を開いて

いる映像を見てビックリ!ポーン

 

 

正宗のお坊さんがこんなに沢山TVに出るなど

前代未聞だったからです。

 

で、その時のバイト先(ニュー新橋ビルB1にあった「ダッシュ」という喫茶店

に置いてあった、週刊ポストやサンケイを読んでやっと事態の状況が分かりました。

 

と言っても、

“気が向けば勤行”

しかしていない半退転状態にあった私には

対岸の火事

 

 

『なんかモメてるなぁ~』

 

くらいの認識しかありません。

 

 

『ふ~ん、そうなんだぁ~』

 

と毎週出る週刊誌を読んで過ごしておりました。

 

 

その頃、創価大学に通っていた友人の I さんは(前号参照)

 

池田大作はとんでもないエセ仏法者だ!』

と気が付き

なんと大学構内で反池田のビラを撒き

当然、退学処分になりました。

 

みなさん御存知のとおり

創価大学は学会の超エリート

が入る大学です。

 

とにかくこのように宗内が

大混乱したことは間違いありません。

 

 

その根底には

『池田本仏論』

なる邪義が存在したことが最大の原因でしょう。

 

さて、

『池田許さじ!』勢力はどんどん倍増し、

のっぴきならない状況になっていきます。

 

もう宗門内ほとんどが屋根に登って

『反池田』の旗を振っている状態です。

 

 

そりゃそうでしょう!

信者が8体もの本尊を摸刻するなど

日蓮正宗始まって以来の大謗法であり

謝ってすむという問題ではありません。

 

なんとも収集がつかない事件になってしまったのです。

 

 

その後の

『池田許さじ!』

勢力は宗門を二分することになります。

 

進退きわまった池田センセーは

とうとう

『本尊摸刻』を認め謝罪したのです。

 

 【全ての非業を認め謝罪する池田センセーと大幹部たち】

 

そして会長職、法華講総講頭職と

あらゆる一切の権限を持たず

 

また院政をを敷かないという条件のもと引退することで

手打ち式を行いました。拍手拍手

 

(昭和53年11月7日・通称 御詫び登山)

 

 

それを受け日達上人は

「摸刻板本尊の論議禁止」

宗務院通達だ出されました。

 

 

そもそも日達上人が本間義乗師と佐々木秀明師を呼んで

学会内にある『会長本仏論』の調査から始まった事案。

 

がしかし、昭和54年5月3日いわゆる五・三に際して

日達上人は

 

『学会の反省・ザンゲを受け容れ、しばらく学会の様子を見る』

との最終決断をされると

 

屋根に登らせれ

『反池田』の旗を振っているお坊さん達は

階段を外されたようなカタチになってしまいました。

 

このお坊さんたちが

正信会として過激化していきます。

 

『学会は将来にも必ず必ず同じことをする!』(←実際にそうなっている)

 

『あくまでも学会は謗法の団体であり、

この期に及んで学会を責めない者は

大聖人の弟子にあらず!』

 

と、主張し奇しくも彼らの予言(?)は的中しました。

 

 

そして彼らは、とうとう宗門の院達を無視し

“正信覚醒運動”を走りまくって本日に至ります。

 

 

それから数年がたち

私が無事(?)学会に戻った頃は

すでに日顕上人の代で、ちょうど

池田センセーが復活した頃でした。

 

当時のS支部長はこれまでのこと、

 

つまり池田センセーが表舞台から消されたことを

『クヤしい時代があった!』と言っているのです。

 

このころの学会内部では

ある程度の幹部などは

反省のカケラもないのが実態でした。

 

またある音楽隊の先輩は

『これはある種の学会の宿業である』

などと個人の責任を団体の責任にすり替えていたのでした。

 

また、会員達には

『本尊摸刻事件』すら知らせれないまま

になっていることがあったようです。

 

 

結局、

7体の摸刻本尊は総本山に収納されました。

 

この日(昭和53年9月27日深夜)の

学会側の中西副会長との生々しいやり取りを

後日、当時の大宣寺住職・菅野慈雲師から

地方部総会の時の法話で聞きました。

 

そして学会本部安置の本尊1体のみ

事後承諾で認可されました。

 

しかし本尊の開眼供養は法主の権能のはずですが、

なぜか日達上人ではなく早瀬日慈師(68世日如上人の尊父)

が執り行いました。

 

日達上人が首をタテに振らなかったそうですが、

これってどーなんでしょうか??

 

そして

『学会は将来にも必ず必ず同じことをする!』

と正信会が看破したように

現在の創価学会は、浄園寺にある

日寛上人の御本尊を写真製版でバンバンコピーし

新入会員に販売しております。

 

 

それどころか

『弘安2年の御本尊は受持の対象としない』

(2014年11月8日付け 聖教新聞

と教義を変更しました。滝汗(大汗)

 

まあ、破門されて違う宗教団体になってしまったのだから

当然といえば当然だけど

 

それなら日寛上人の御本尊などコピーせず

池田センセーが書けばいいんじゃないのかなぁ~ニヤニヤ (汗)

 

 

学会男子部、副リダー時代、

男子部長とよく冗談で

 

『池田センセーが書いたら右上がりの字の御本尊だろねぇ~』

 

などと言っていたことが懐かしく思い出されます。笑い泣き (大汗)

 

 

それでも何も疑うことなく

ありがたく拝む学会員はいっぱいいるでしょうね~

 

イワシの頭も信心から』だからなぁ~

 

あっ! 池田センセーって 今や筆も持てないか、、

 

池田センセーの書いた御本尊、

 

見たかったなぁ。。。残念 えーんえーん

 

 

そうすればもっと早く

白黒決着が着いて

たくさんの学会員を

救えたのに・・・お願いお願い南無、、、

 

 

【あとがき】

 

池田センセーは復活するにあたり

正信会を結成して出て行ってしまった代わりの寺院を

200ケ寺を寄進することを日顕上人に約束しました。

 

つまり、約半数のお寺が離反していったことのなります。

 

この数字だけ見ても『52年路線』というのは

日蓮正宗始まって以来の大事件だった

と言うことが分かります。


 

 

~ 『昭和52年路線』 終わり ~

正信会の御寺は住職の死亡により、近年、続々と日蓮正宗に返納されています。

どの寺院も困窮寺院となりはて、孤独死した僧侶もいるようです。

いくら、批判が正しくとも、戒壇の大御本尊様から離れては功徳はないということでしょう。

彼らは身を以て教えてくれたのです。

この原理は創価・顕正の人々にも当てはまります。

法体・三宝から離れて信心は存在しないのです。

(ポリ銀)