日蓮正宗のススメ

人生談義と時事放談

PVアクセスランキング にほんブログ村 日蓮正宗のススメ - にほんブログ村

昭和52年路線(1)

創価学会がいたころの日蓮正宗

 

公称800万人の創価学会員に対して

法華講員は1万人程度。

 

つまり800:1ポーン

 

以前にも書きましたが

学会では夏期講習会に参加できて一人前の活動家。

 

しかも800万人もいては登山もできないだろう、

と思われるかもしれませんが、

登山は申請すればできました。

 

ですが土日はまず許可が出ません。

 

あまりにも希望者が多すぎるからです。

 

団体登山だったら1年に1回くらいは週末に番が回ってきました。

 

筆者の所属の地区部長が良い人で

土曜の個人登山を取ってくれたことが数回あったのが現状でした。

 

さて、そんな盛況な創価学会

『昭和52年路線』

という脱線事故を起こします。

 

今から約40数年前の出来事です。

 

当時、筆者はまだ19才。

 

あまりまじめに活動していない頃ですので

(実は全く活動していない頃/▼☆▼)

 

その頃の経緯は分かりません。

 

*活動者→学会用語でちゃんと信心している人のこと

 

後で自分なりに聞いたり調べたことをここで述べたいと思います。

 

私の出身は静岡県沼津市で、御受戒はそこの本廣寺で受けました。

 

この地は東海道脇街道(根方街道)があり

 

総本山に近いこともあったため、早くから法華の法灯が灯った土地です。

 

そこには数百年前より『根方三こう寺』といわれる

・蓮興寺

・本廣寺

妙光寺がありました。

(現在この妙光寺は品川に移転し東京の大寺院になっております)

 

筆者は何の因縁か現在は妙光寺所属信徒です。

 

さて、この本廣寺の住職・(故)本間義乗師から聞いたお話です。

 

当時、御法主であった日達上人から呼ばれ

 

『最近、創価学会では“会長本仏論”なる邪義が学会内に存在すると

報告がきている。ついてはその真偽を調べるように』

 

と下命され、佐々木秀明師(故人/正信会)と共に調査したそうです。

 

するとやはり学会内には

『池田先生は現在の仏様である』という

暗黙の指導がまかり通っていたことが判明しました。

 

証拠資料としては、熊本で発行されていた冊子『ひのくに』

当時の九州総合長・福島源次郎氏が書いた記事に明確に記載されていたそうです。

 

それを日達上人に御報告を申し上げたところから事が始まりました。

 

しかし学会二世の私たちは子供の頃から

『池田先生は仏さま』

という指導は日常茶メシ事!

 

まして一般学会員も

完全に洗脳されていますので

誰も異を唱える者はおりませんでした。

 

たとえばこうです。

 

私は中高生時代、音楽隊に所属しておりました。

 

隊長からは

『池田先生の前で演奏することが最高の幸せであり、

それが先生に応える音楽隊の使命である。

イザとなったら先生の楯になるのだぁ!!』

 

とすり込まれておりました。

 

練習の前には必ず『音楽隊訓』を暗唱させられました。

 

これがけっこう長文笑い泣き

 

練習は基本的には平日夜と日曜昼間の週2回、

 

“出動”が近いとほぼ毎日。

 

(*出動・・・パレードなどに出演すること)

 

たとえばこんなこともありました。

 

練習しているとパンと牛乳が届きます。

 

すると隊長が

『今、この近くを池田先生が御車で通りかかった。

音楽隊が練習する音が聞こえてきたので、なにか差し入れをしなさい、

ということで、ただ今、先生よりパンと牛乳をいただいた』

と言うのです。

 

そして極めつけは

『先生は全てお見通しである!!』

と指導するのです。

 

(トリックの仲間由紀恵の決めセリフみたい笑い泣き

 

まだ中学生の私たちはこのトリックに

まんまと引っ掛かってしまうのです。

 

【総本山内をパレードの音楽隊 左から3人目が筆者】

 

(昔の総坊がなつかしいなぁ~)

 

つまり

『先生は仏様』

『先生は全てお見通し』

という常套句で洗脳されていくのです。

 

なので急に

『会長本仏論は邪義である』

と言われても何が邪義だか分かりません。

 

『何をいまさら・・・』

というのが実感です。

 

この池田先生のお師匠さんが戸田先生です。

 

この戸田先生のお師匠さんが牧口常三郎

 

以前にも書きましたが牧口氏が

創価学会の前身である創価教育学会』を設立しました。

 

しかし戦後、戸田先生は牧口会長の『罰論』を引っ込め

『十界論』を引っさげ創価学会を立ち上げました。

 

(このくだりは小説「人間革命」に詳しいく載っています)

 

(あ″~ 「人間革命」全10巻も3回くらい読まされたなぁ~笑い泣き

 

その根底には牧口会長の『罰論』では限界があると感じたのでしょう。

 

また、ご自身が戦争中に治安維持法違反で巣鴨拘置所にぶち込まれた時に

何かを感じ取ったのかもしれません。

 

よく創価学会では

 

『戸田先生は

獄中で悟達

したのだ~!』

 

という指導をしますが、

戸田先生自身が書いた獄中日記を読むと

そのようなくだりは出てきません。

 

とにかく毎日

 

『暇だから本を差し入れてくれ!

無かったら雑誌でよい!

婦人雑誌でもかまわない!

 

と家族に手紙を書いているのです。

 

その他はご自身の事業がこの戦争でつぶれてしまったので

資金繰りのことや預貯金のことを細かく指示しております。

 

そんな中で

『獄中の悟達』があったかどうか

はなはだ疑問ですが・・・滝汗

 

しかし釈放後、焼け野原の東京に一人立ち

壊滅してしまった創価教育学会を

創価学会として

75万世帯にまでした実績は

まぎれもない

前代未聞の大実績です

 

なので創価学会の精神は

師弟不二』と

『一人立つ』なのです。

 

ちなみに法華講の精神は

『異体同心』です。

 

私は戸田先生がお亡くなりになってから9日目に

生まれていますので、お目に掛かったことがありません。

 

しかしは聞いたことがありました。(なぜ??びっくり

 

それは母親が戸田先生が亡くなったあとの

幹部会に私をおんぶして連れて行ったからです。

 

そこでは

『会長指導!』と称して

戸田先生の指導がレコードで流されていたということです。

 

つまりまだ0歳児の私の命の中まで響いてくるほどの

カリスマ性を持った大指導者だったのです。

 

 

~ 以下、次号に続く ~

昭和52年っつったら、おいら5歳だったんだけど。。

記憶にあるのよ。

オヤジが憑かれたように、仏壇の鶴丸紋を撤去したり、御経本を取り替えたり。

今、思い出すと、あれがそうだったんだなと。。。

母親はお寺に通ってて、住職さんに法華講への入講を勧められてたのを覚えている。

で、オカンがオヤジにめっちゃ暴行受けてたのも。。。

「おら!日蓮正宗広まったんは学会のおかげだろ!?ああ?違うんか?」

オカンが鼻血出しながら、涙声で「そうです。。」って言ってたのをリアルに憶えている。

トラウマですわ。

それで、我が家の法華講入りはナシってことに。

地獄でしたわ。

あの時、もしも、オヤジが素直にお寺についててくれてれば。。。

その後の我が家の運命も変わったろうになぁ。

宿業なんやろなぁ。。

(ポリ銀)