日蓮正宗のススメ

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【日応上人の御事跡(4)】

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明治16年、総本山では世の中かすごいスピードで変化していく明治維新の機を鑑み護法会議を開きます。


この会議は僧侶だけではなく各末寺の総代さんや講頭さんなどの有力な信者さんなども召集されました。

当然、日応師も召集されます。
時に36才。

もう油ののり切ったギンギンの壮年期ど真ん中です。

宗務、学務、財務などの宗門の革新を訴え、疲弊した現在の宗門を再び復興しようと声を大に喚起したのです。

 

           【明治時代の三門】

 

        【明治時代の大石寺 右が客殿】

出席した僧俗58名はその復興論に大いに納得し、若干36才の日応師を議長に推薦します。

このころからカリスマ性が徐々に発揮されます。
この時副議長に推薦されたのが大阪・蓮華寺講頭の荒木清勇氏でした。

その後、日応師は大石寺宗務局長に任命され山積された難問に臨まれます。

一番の難問は、当時はまだ日蓮正宗とは名乗らず日蓮宗興門派と呼ばれておりました。

それは大石寺北山本門寺西山本門寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺伊豆実成寺、京都要法寺保田妙本寺

の通称富士八本山と云われる寺院の連合体でありました。

しかも興門派の管長は1年交代の輪番制です。

管長輪番制などは、本門戒壇の大御本尊を有する大石寺としては、とても受け入れられる制度ではありません。

明治17年、時の御法主、日布上人は日応師や富士本師を代理人に立て多年の雪辱を晴らすため他山と論議を重ねます。

日応師は「興門派の総本山は大石寺である。よって血脈付法の当山の法主を以って管長とするべきである!

さもなくば分離独立もありえる!

 

と声高に主張するも他山からの反対論も強く会議は紛糾します。

いよいよ分派独立を内務省(国民生活の事項を統轄する行政機関)に提出しますが不許可となります。

大石寺としては止むを得ず一時同意します。

そして明治33年に「日蓮宗富士派」と分離独立が認められるまで実に24年間「日蓮宗興門派」に属することになります。

そこからさらに「日蓮正宗」と公称するのは12年後の大正元年になるのです。

さて、分離独立は不発に終わりましたが日応師の布教意欲は一向に衰えません。

明治17年11月、福島県福島市に広布寺を建立します。

翌18年3月には神奈川県小田原市にてキリスト教の牧師と公開討論し、木っ端微塵に打ち砕きます。

その時の論題は(1)造物主の有無(2)キリストは神の子か?

結果、キリスト教が説く“一神造物主”(神は宇宙のすべての物をつくり支配するという教義)が証明できず惨敗します。

なぜキリスト教が相手?と思われるかもしれませんが、

いわゆる既成仏教はすでに大聖人様の“四箇の格言”により破折されております。

1549年(大聖人滅後266年)フランシスコザビエルによって日本にもたらされてキリスト教は、

徐々に勢力を伸ばし、明治に入り布教活動が自由化すると、

見過ごすことがきないくらいの宗教団体になっていきます。

日応上人の対キリスト教論を掲載しておきますので破折にお使いください。

聖母マリアはジョゼフとの婚約者ではあるが、

まだ結婚式前であったのでまだ一緒には生活をしていなかった。
にもかかわらず懐妊(処女懐妊)とはどう言うことであろうか?

およそ人類というものは男女が相合わずして懐妊する者はいないはずである。
にもかかわらずキリスト教だけはこの定義に反して“処女マリアからキリストは生まれた!”

とはどう考えても奇怪な事件である。
 

キリスト教では聖母マリアが“天の精霊に感じた”などと誇大に説明しているが、

そのこと自体が誤りなのである。
 

ならば人類、獣から魚、虫まで全て精霊が無ければ死滅するではないか!

つまりマリアは密夫と通じて(姦通)生まれたのがキリストである!』

〜 以下、次号に続く 〜

【あとがき】

私が好きな小説家に曽野綾子さんがいます。

 



曽野さんは敬虔なカトリック教徒です。

曽野さんのコラム記事も抜粋で掲載しておきます。

『私はカトリックの学校に育ったが、昔のカトリック教育がついぞきちんと教えなかったのは、

エスユダヤ教徒だったこという点である。


またマリアが許婚(いいなずけ)のヨセフと生活を共にしないうちに、

天使のお告げによって懐妊した、ということである。
それは
マリアがヨセフを裏切って他の男と通じた結果ではないか

と人々が疑っても仕方がないことである。

マリアがヨセフという未来がの夫が決まっていながら、

その人の子ではなさそうな子を身ごもったとしたら、

それはスキャンダル以上の危険なことであり、

マリアは重大な社会的制裁をこうむっても仕方がない事件である。
 

当時、姦通罪は石打の刑に処せられるほどの重罪であった。

だからヨセフが庇っても、イエスはずっと「姦通の子」と言われたまま成長した可能性は高い。

それは現在の私たちには想像もできない屈辱で、

エスはその自出のゆえに犬の子、豚の子以下の侮辱を受けて一生暮らしたはずである。
その苦しみを、私は教会から全く教えられなかった』

産経新聞のコラムから引用)

 

筆者はよく駅前に立ってパンフレットを配ったり、

自宅にピンポンして来るキリスト教徒(ほとんどエホバの証人)にはこの論法で破折
しています。

たいがいが反論不能に陥ります。
是非、お試しを、、、

*ちなみに「エホバの証人」と「ものみの塔」は堂一団体です。