日蓮正宗のススメ

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【神本仏迹論と狸祭り事件(5)(最終回)】

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総本山塔頭の寂日坊で起こった小笠原学会青年部の辻との押し問答はその後も続きました。
(本住坊に滞在していた小笠原はなぜかその時は寂日坊にいた)
 

このやり取りをじっと見ていた男子部長の牛田がついにシビレを切らせた。
 

『問答無用!衣を脱いでもらいましょう!脱がなければ脱がせてあげます!』
 

次の瞬間、作戦参謀の龍年光が叫んだ。
『担げ!』
 

待機していた龍部隊のメンバー4人がズカズカと入ってくると、あっと言う間に小笠原を担ぎ上げた。
 

『何をするんじゃ!何をするんじゃ!年寄りをどうするんじゃ!』
 

小笠原は声を上げて抵抗するが、龍部隊の屈強な男子部員に手足を押さえられ身動きできない。
 

それを見ていた一般信徒たちは逃げ出し、一緒にいた僧侶たちは、ただただ呆然と見ているだけだった。
 

龍部隊の4人は小笠原を担ぎ上げ坊の外に出た。
 

そこに理境坊から戸田会長が出てきた。
 

『待て!騒ぐな!元に戻せ!』
 

戸田はいったん小笠原を坊内に戻し、畳の上に座らせるとこう話しかけた。
 

『小笠原さん、神本仏迹論を謝罪しなさい!』
 

小笠原のほうも興奮がおさまらない。
 

『お前たちは何をするんじゃ!話なら話を聞くようにしたらよかろう!』
 

すると
 

『生意気を言うな小笠原!』と言って戸田会長の右手が飛んできた。
 

その手は小笠原の左側頭部を打ち、それを合図にその場にいた多数の青年部が寄ってタカって殴る蹴るの暴行を働く。
 

そして小笠原が後ろに倒れると戸田が、『命は惜しゅうないか!』と聞く、

小笠原は「不惜身命!」と叫ぶ。
 

すると青年部たちが『先生の前に足を出すとは不届きだ!』と襟首をつかんで引き起し、

『衣服をぬがしてしまえ』と衣服を引きむしり、肌着一枚の裸にされる。
 

その拍子に懐から物(信徒から預かった御供養)が落ちると、

それを見た戸田会長が『それはこちらで預かる』と言う。
 

小笠原が『お前たちは追いはぎか!強盗か!』と言い返すと

戸田の哲拳がもう一発飛んできて今度は右側頭部を強打する。
(小笠原が翌々日医師に診てもらうと内出血しており、全治4週間の診断が下される)
 

『神本仏迹であろうが、何であろうが信教自由である、

汝等に制裁を受けるいわれはない、新憲法はそれを保証している!』と叫ぶ。
 

小笠原はますます自暴自棄になり『殺してくれ!どうでもしろ!』と叫び続ける。

教育参謀の石田次男が証拠として用意してきた「中外日報」の記事(神本仏迹論)を読み上げ、

戸田は尚も小笠原を責め続けるが小笠原はガンとして謝らない。
 

最後に戸田が『そこまで頑張るならあとは知りませんぞ!

青年部がどうしようと私の手にはおえませんぞ!今のうちに謝りなさい!』
 

しかし小笠原は絶対に謝らない。
 

戸田会長はさじを投げ、いよいよ“狸祭り”の幕が切って落とされた。

 

当時の戸田城聖、左が池田大作(3代会長)

右が秋谷(5代会長) 右端が北条浩(4代会長)

小笠原慈聞は明治8年生まれ、

事件が起きた昭和27年は77歳の超高齢者であった。

まずは外に待機していた青年部の屈強なメンバーが、

肌着姿になった小笠原を担ぎ上げると、

見せしめのため塔頭を練り歩いた。
 

『これから“狸祭り”を行います!』

『神本仏迹論の張本人!小笠原慈聞を紹介します!』

獅子身中の虫、悪坊主小笠原慈聞をよく見ろ!』

 

そう叫んで触れ回った。


またプラカードまで用意してあり

 

『牧口先生を殺した悪坊主!』

『狸祭司祭 創価学会青年部』

『宗門に巣喰う獅子身中の虫小笠原慈聞』

『神本仏迹論の張本人!小笠原慈聞』

 

とそれらを懐中電灯で照らしながら練り歩いた。
(すでにこのころから用意周到な恐ろしいまでの組織力!)


またメガホンも使いながら

 

『狸祭り!狸祭り!』

『にくい坊主だ!』

『国を滅ぼした大悪人!』

大石寺を売ろうとした張本人!』
 

などと連呼し参加メンバーの興奮が高まっていく。


各坊ではこの騒ぎを聞いた学会員が一斉に窓に駆け寄ったため、

百貫坊の床が抜け落ちるという珍事も起きた。


一行は二天門を過ぎ、御影堂の脇を通り墓苑に入り牧口の墓の前まで来た。


現場指揮者である筆頭理事の和泉覚はムシロを敷き、

小笠原を座らせ静かにこう言った。


『小笠原さん、あんたが坊で謝ればなんの事もなかったんだ。

青年部が怒っている姿を甘く見たんですか?

小笠原さん、御本尊は迹ですか?大御本尊様が迹ですか?

神本仏迹は正しいんですか?』
 

小笠原は黙っている。


和泉は顔をのぞき込むようして、さらに

『神本仏迹は正しいのですか?大御本尊様は迹ですか?』

と追求する。


するとついに小笠原はぽつりと漏らした。

 

『正しくないよ…』


それを聞いた和泉は畳みかけた。


『正しくなければ間違ってるんですね?間違いですね?』


『うん、誤りでしたじゃ』

 

小笠原はそう言い大きく息を吐いて牧口の墓に向かい合掌した。


『わしが悪かったです』


『きちんと座りなさい!皆で座らせてやれ』


和泉がそう指示すると青年部メンバーは小笠原を正座させた。


『私の神本仏迹は誤りでありました。私が悪うございました。

南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経

 

 

小笠原は目を閉じ、そう題目を三唱した。
 

それを見た石田次男は用意してきた障子紙に詫び状を書かせた。

謝罪状
神本仏迹論は私の盲説である。

日蓮大聖人様の清浄なる法門を乱しました事は誠に以って外道の極み、

日蓮正宗内の獅子身中の虫なる事を深く御詫び申し上げると共に今後の言動を慎みます。
昭和27年4月27日
日蓮大聖人様      小笠原慈聞


謝罪状を取った和泉率いる学会青年部の騒ぎはようやく収まり、小笠原は森田一哉らによって寂日坊に送り届けられた。

以上が“狸祭り事件”のあらましです。

これだけでも“狸祭り事件”は暴力的かつ一方的な

僧侶の吊るし上げの“集団リンチ事件”だったことが分かるでしょう。


(その後、3代会長になった池田大作も奉安堂東側を流れる閏井川で、

僧侶2名を吊るし上げる事件を起こします)


小笠原が戦前、神本仏迹論なる邪説を唱えて軍部に媚びへつらい、

宗門をかき乱し、日恭猊下不敬罪に落とし入れようとしたことは事実にしても、

それを暴力に訴えて出る、といやり方は明らかに仏法実践者にとってはあるまじき行為でしょう。
 

ましてや創価教育学会が弾圧された原因は組織あげての「取っ払え!」運動が

治安当局に睨まれたためであり“牧口会長の仇討ち”というのは的外れにもほどがあります。

その後、小笠原はケガの診断書を持って静岡県警に刑事告訴します。


現場の指揮をとった和泉筆頭理事と総責任者の戸田会長は

静岡県警富士地区所に拘置され、実行者の青年部20名も取調べをうけました。


その後、創価学会は30万円を支払って小笠原氏と示談が成立しました。(当時の30万円は大金でしょうね、、)

そして戸田会長は宗務院より登山参詣禁止、法華講大講頭罷免、謝罪文の提出という処分が下されます。

最終的にこの事件は、当時の法主水谷日昇猊下の「誡告文」を受けて、

戸田城聖が「御詫状」を提出し、創価学会の寄進により
大石寺五重塔を修復することで幕引きとなりました。

 

 (水谷日昇猊下と合掌礼をしていない戸田城聖 )

その後の小笠原は創価学会の布教活動を大絶賛し学会活動のよき理解者となります。
そして逝去の時は池田大作より弔辞と香典が送られました。

~ 神本仏迹論と狸祭り事件 了 ~



【あとがき】


神天上神本仏迹論を連載しました。
いずれにしても“神”がキーワードです。
ではここで読者のみなさんに質問があります。

大聖人様は立正安国論の中で

“神はこの国を捨て天に上ってしまい、その代わりに悪鬼が住む”

との御教示にもかかわらず龍ノ口の刑場に向かわれるその時、

鶴岡八幡宮の前にて八幡大菩薩は誠の神か!」と叱責されます。
 

なぜ悪鬼しか住んでいないはずの八幡宮の前で

大聖人様は八万大菩薩に対して大音声で叱責なさったのでしょうか?
 

ちょっと考えてみてください。


担当の指導教師に聞いてみるのもいいでしょうね。

【補足 神本仏迹論について】

日本では仏教伝来とともに神仏習合が進み、

日本古来の神は仏が仮に応現したものであるという考えが生まれた。
これが本地垂迹説である(垂迹とは「本体の影」といった意味)

その後に、日本の神祇が本地であり、仏の方が垂迹であるという考え方が生まれた。
これがは神本仏迹論と呼ばれる。(反本地垂迹説ともいう)

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