日蓮正宗のススメ

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浅井昭衛氏一家へメッセージ~妙通寺様HPから~

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何をそんなに爆笑しているのやら


www.myotsuuji.info

浅井昭衛氏へのメッセージ

 

 浅井昭衛氏は、なにかにつけて、日蓮正宗に種々の働きかけをしています。これはおそらく、信仰的にいえば、浅井昭衛氏は、自分が間違いだったことに気づいた証左と言えるのではないでしょうか。つまり、

 ①「自分や、自分のお父さん(故甚兵衛氏)は、創価学会池田大作氏のやり方が気に入らず、それを批判するあまり、やりすぎてしまった。言い過ぎてしまった。ぜったいにしてはならない御本山と御法主上人を誹謗してしまった。大きな失敗だった。振り上げた拳をどのように下ろせばよいのかわからない」

 ②「宗門に謝罪しても簡単に許されることはないだろうから、とにかく、『自分たちは悪くない。池田大作に利用された日達上人が悪かったんだ』と言いたいがために、わざわざ日達上人の親戚という人を探してきて『日達上人の「死相が悪かった、だから自分たちは正しかった』と顕正新聞で報道させてしまった。しかし、日達上人の親戚と名乗った者すら、ニセモノだったことがわかり、これ以上、信仰的な恥の上塗りはしたくない」

 ③「とにかく浅井家は、一家そろって大御本尊の元にもどって昔ながらの信心がしたい。お山にいきたい。どうしても、死ぬまでには大御本尊にひとめお会いしたい」

と思い、必死に、もがいておられるのでしょう。

 

 そうであるならば、浅井昭衛氏にはぜひ思い出していただきたい。

 あなた方は大変に頭もよく、仏法の難しい教義も、よく知っていることはわかります。

 しかし日蓮大聖人の信心は、名字即極即身成仏の教えであり、『十八円満抄』に「智者・学匠の身と為りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき」(御書1519)とあるように、智慧や知識、能力ではなく、ただ「御本尊様がありがたい」という素直な心をもって成仏していくものなのです。いつでも「初心に立ち返ること」が大切だということを、どうぞ思い出してください…。

 

 浅井昭衛氏が行なうべきことは、日蓮正宗を誹謗したり、「法論」を要求し続けることではありません。

 今は、

一、地位や名誉、誇りをすべて捨てて、ただちに顕正会を解散し、浅井家そろって日蓮正宗の末寺の一般信徒として、日蓮正宗に再入信させていただきましょう。まだ間に合います。今日でも、明日でも実行することができます。今、勇気ある決断をして行動すれば、令和3年の大聖人ご聖誕800年の大佳節には、家族そろってお祝いの大法要に参列することも、けっして夢ではありません。

 

二、全国にいる顕正会会員の皆さんに、浅井昭衛氏みずから指示を出してください。それは「全国各地にある日蓮正宗寺院に、指導と救いを求めていくよう」勧める指示です。これを徹底し、浅井家の家族一同の信心をやり直していくことこそ、これまで40年以上にわたって積んでしまった謗法罪障を消滅していく唯一の道であると、一日も早く気づいていただきたいものです。

 我が身で行なった罪障の消滅は、その同じ口、同じ身をもって大御本尊と時の御法主上人猊下に懺悔謝罪し、心あらたに自行化他の道、すなわち折伏を実践してこそ叶うもの。浅井家の人々の勇気と改心、行動を心から願ってやみません。

顕正会から離れて10年。

最近では顕正会のことには、ほとんど関心がなくなってしまいました。

理由は日蓮正宗で大きな功徳を実感しているからです。

父の成仏の相と、息子の成長は特に大きかったですね。

自分はどうかと振り返ってみますと、罪障消滅にぶち当たった時期は苦しかったですけど、今は落ち着いたかなって思っています。

そして何より、大石寺に参詣できて、戒壇の大御本尊様にお目通りが叶ったことが、最も幸せな出来事でした。三大秘法総在の御本尊様ですからね。

三大秘法開合の相

  概要

三大秘法開合の相(さんだいひほうかいごうのそう)とは日蓮正宗の信仰の根本である本門戒壇の大御本尊を一大秘法としてこれを三つに開いて三大秘法と号するが、その関係性を現わしたものである。
典拠は26世日寛上人の依義判文抄にある
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問う、若し爾らば三大秘法開合の相如何。 
答う、実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住
の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門
 の題目と為すなり。故に分かちて三大秘法と為すなり。又本尊に人有り法有り、戒壇
に義有り事有り、題目に信有り行有り、故に開して六義と成る。此の六義散じて八万
宝蔵と成る。例せば高僧伝に「一心は万法の総体なり。分かちて戒定慧と為し、開し
て六度と為り、散じて万行と為る」と云うが如し。当に知るべし、本尊は万法の総体
なり、故に之れを合する則んば八万宝蔵は但六義と成る。亦此の六義を合すれば
則ち但三大秘法と成り、亦三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成
るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり。若し此の
開合の意を得ば亦所引の文意を得ん云云。(六巻抄82頁)

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であろうと思う。図示してみよう

(一大秘法)         (三大秘法)  (六大秘法)
                                  ┌人本尊(日蓮大聖人
                     ┌本門の本尊┤
                     │           └法本尊(本門戒壇の大御本尊
                     │          ┌義の戒壇書写本尊の在所)
本門戒壇の大御本尊─┼本門の戒壇
                     │          └事の戒壇本門戒壇の大御本尊の在所)
                     │       ┌信(本門戒壇の大御本尊を信ずる)唱題の因
                     └本門の題目
                              └行(信じて唱える南無妙法蓮華経)信心の果

 

もちろんこれは日寛上人の発案ではなく、大石寺に代々伝わった法門を文字として表現したに過ぎない。
大聖人の仏法に新たな発明など無いのだから。引用元:三大秘法開合の相 - 本種坊HP別館

本門事の戒壇について

 戒壇に関する日達上人の御指南に対して、真っ向から反抗したのが、浅井・顕正会でありました。
 まず、本門事の戒壇について、浅井・顕正会は、
 「本門事の戒壇は、広宣流布の暁に初めて建つものであり、それ以前は義の戒壇しかない」 と主張します。

 この顕正会の誤りを破折する前に、本宗の正しい三大秘法及び六大秘法について、ごく簡単に述べておきましょう。
 まず、一大秘法たる本門の本尊は、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目という、三大秘法に開かれます。これを詳しく説明するために、三つのそれぞれをさらに二つずつに開きますと、本門の本尊は人(御本仏日蓮大聖人)と法(大聖人が顕わされた大曼荼羅御本尊)、本門の題目は信(御本尊を無二と信ずる信心)と行(実際の題目の修行)、本門の戒壇は事(弘安2年の大御本尊を御安置奉る処)と義(その他の御本尊を御安置する処)に分かれ、 これを六大秘法といいます。
 この中で、事の戒壇と義の戒壇ということについて、もう少し述べておくならば、事の戒壇というのは、事の一念三千の御当体たる弘安2年の大御本尊を御安置する処である故に、事の戒壇と申し上げます。そして余の御本尊は、根源の大御本尊を幹とすれば枝葉であり、その功徳力はすべて根源から流れ通うものでありますから、私共が各寺院・各家庭の御本尊に向かって題目を唱えるところ、その意義は根源の事の戒壇に通じている、と申せます。ゆえに、これを義の戒壇というのです。

 これに対し、顕正会は、「事の戒壇とは、三大秘法抄・一期弘法抄にいわれる、広宣流布達成の暁の事の戒壇(大本門寺戒壇)である。ゆえに、広宣流布達成以前は事の戒壇はない。しかし、大御本尊に向かって勤行・唱題する時には、その意義が将来の事の戒壇に通じているから、それを義の戒壇という」と言い、広宣流布達成の以前の大御本尊御安置の場所は、余の御本尊御安置の場所と同じく義の戒壇だ、というのです。
 つまり、顕正会の主張に依るならば、広宣流布の時までは(事の戒壇がない故に)五大秘法しかないことになり、三大秘法は2.5大秘法くらいにしかならない、ということになります。

 なぜ、このようなことを顕正会は主張するのか、というと、顕正会では、本門事の戒壇の「事」ということを、広布の暁に事相の上(事実上)に建つ戒壇、と解釈しているからなのであります。
 しかし、事相の上に建つから事の戒壇というのではありません。
 そもそも、大聖人の御金言におけるかぎり、「本門事の戒壇」とは、「迹門理の戒壇」に対し、このようにいうのであって、それは『三大秘法抄』にも、
 「此の戒法(※大聖人の本門事の戒壇)立ちて後、延暦寺戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじ」云々(『三大秘法抄』御書1595頁)
と、両者を対比して仰せられていることからも明らかであります。
 この、本門事の戒壇と迹門理の戒壇という、事・理の相違は何によるものか、といえば、まさしく戒体(戒の功徳を生ずる本体・法体)それ自体の相違(迹門は理の一念三千、本門は事の一念三千、という相違)によるのであります。
 ゆえに、延暦寺戒壇は事相の上に建っているといっても、それをもって事の戒壇とはいいません。 法体が理である故に、事相の上に建つ、建たないに関わりなく、あくまでも理の戒壇なのであります。
 また同 じく、 本門事の戒壇についても、 法体が事である故に事の戒壇と称する、というのは当然のことでありましょう。

 これが、大聖人の御法門における、本迹・事理の基本的裁きであり、日達上人の戒壇に関する御教示も、これに則ったものであります。
 すなわち、本門事の戒壇とは、事の一念三千の御当体たる大御本尊おわす故に、かく称するのであり、たとえ、これが事相の上に建立される時(広宣流布の暁)を迎える以前であれ、以後であれ、法体が事である故に、あくまでも事の戒壇である、との道理を示されたのであります。

 さらに、昭和50年、本宗に蔵する数多の古文書の中から、日寛上人の御指南を筆写せられた43世日相上人の古文書が公表されました。(写真参照)
 日寛上人も、「富士山戒壇の御本尊御在所は事の戒なり」「在々處々本尊安置の處は理の戒壇なり」と仰せられていることが、明らかに拝せられます。

(日相上人御筆の御書科段『三大秘法の事・大貳阿闍梨御講』)


 また、日寛上人は、『法華取要抄文段』にも、戒壇の事・義の立て分けを示されています。
 その冒頭で、日寛上人は、
 「本門の戒壇に事あり、理あり。理は謂く、義理なり。これ即ち事中の事・理にして、迹門の理戒に同じからず。その名に迷うこと勿れ。故にまた義の戒壇と名づけんのみ」(『法華取要抄文段』)
と仰せられ、「事中の事・理」すなわち、根源の事の戒壇を基本として、さらに広布事相上に建つ事の戒壇があることと、義理(意義と同じ)において根源の事戒にあたる理(義)の戒壇があることを略示され、後者については迹門理戒にまぎらわしいので「義の戒壇と名づけ」る旨、示されています。

 この「事中の事」ということについてですが、大御本尊は事の一念三千の御当体ですから、大御本尊まします処は、迹門理の戒壇に対して、根本的な意味で本門事の戒壇です。それが、広宣流布達成の時を迎えれば、大本門寺戒壇として、事相の上に戒壇が建つわけですから、事中にさらに事がある、ということになります。
 ゆえに日達上人は、大御本尊御安置の処は何時いかなる場所であっても事の戒壇である、という根源の意味において、それが御宝蔵でも、奉安殿でも、正本堂でも、もっと立派なものができても、それは全て本門事の戒壇である、と仰せられました。そして、さらに広宣流布が達成されれば、事相の上に戒壇たるべき大本門寺本堂が顕現する、 という、事の戒壇の二重の意義を示されたのであります。

 しかし、顕正会は、事相に建つ戒壇だけが事の戒壇だと思い込んでいましたので、日達上人が〝大御本尊まします処は常に事の戒壇である〟と仰せられたことに対し、「細井管長(日達上人)は学会の圧力に屈して邪義を構えた、大聖人の御遺命を破壊する大謗法を犯した」などと反抗したのです。
 これが、日達上人の御指南と顕正会の主張との、根本的なくい違いでありますが、すでに述べてきたことから明らかなように、三大秘法を六大秘法に分けたときには、富士山の本門戒壇の大御本尊まします処が事の戒壇、余の御本尊が安置されている在々処々が義の戒壇であり、事の戒壇にも二重の意義(根源における事の戒壇と、広布事相上に建つ事の戒壇)がある、という日達上人の御指南は、仏法の道理と御金言に則った真正なる御教示であります。
 また、もし、広宣流布が達成されるまでは事の戒壇はない、と言うのであれば、御本仏が出世の本懐たる三大秘法を顕わし尽くせなかったことになりますが、そんなバカなことはあるはずがありません。これは大聖人に対する冒涜(ぼうとく)です。
 以上、述べてきたことから明らかなように、顕正会の「広宣流布以前には事の戒壇はない」という主張は、大いなる僻見(びゃっけん)であります。

引用元:http://www.myokan-ko.net/menu/broken/7.htm