日蓮正宗のススメ

人生談義と時事放談

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久しぶりの寺院参詣に、心が安穏を感じました。

三密を回避するため、広い本堂は窓が解放され、参詣者は距離を保持しながら、マスク着用で1時間の唱題行をさせていただきました。

我が家も久しぶりの寺院参詣です。

家族そろって本堂の御本尊様にお目通りが叶いました。

御供養もさせていただくことが出来まして、有り難い気持ちでいっぱいです。

法主日如上人猊下御言葉

五月度広布唱題会の砌

されば今、新型コロナウイルス感染症によって、日本をはじめ世界中が騒然としている時、我々は改めて『立正安国論』の御聖意を拝し、異体同心・一致団結して、一人でも多くの人に妙法の広大無辺なる功徳を説き、折伏を行じて、もって今日の難局を乗り切り、仏祖三宝尊の御照覧を仰がれますよう心から念じ、本日の話といたします。

他門日蓮宗創価学会顕正会国難の時勢ですから、大聖人様の立正安国論を、法話・幹部会・座談会などで引用していることでしょう。 

しかし、仏祖三宝尊に通じる一大秘法の大御本尊を受持された、日如上人様以外に立正安国論を拝し、世界の平和を御祈念する資格のあるかたは存在しません。

残念ながら、他門・異流儀の徒は『立正安国論』によって破折されている人々なのです。

令和二年六月度 御報恩御講拝読御書

立正安国論

文応元年七月一六日  三九歳

倩微管(つらつらびかん)を傾け聊(いささか)経文を披きたるに、世皆正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず(御書234㌻14行目~16行目)

[通釈]よくよく浅見を傾けて、わずかに経文を開いてみると、世の中が皆正法に背き人々は悉く悪法に帰依している。ゆえに善神は国を捨てて去り、聖人はその所を去って帰ってこない。これにより魔や鬼が来て災難が起こるのである。このことを言わずにおられようか。恐れないでおられようか。

立正安国論の冒頭近くの有名な御金であります。

 「正法に背き人々は悉く悪法に帰依している。」ことがすべての災難の原因であることを教えてくださっている御文です。

立正安国論愚記において日寛上人様は、以下のように会通されております。

一、世みなしょうそむき人ことごとに帰す
 今この八字肝要なり。別しては「背正帰邪」の四字肝心なり。邪正の相対は題号の下の如し。正とは三箇さんかの秘法の事なり。これ元意なり。
一、聖人は所を辞して
 三略の下に云く「賢れば則ち国おとろえ、聖去れば則ち国そむく」と已上。世間の聖人なおしかなり。況や出世の聖者をや。今はこれ出世の聖人しょうにんなり。
一、さい起り難起る
 当に知るべし、災難の来由らいゆつぶさに三意を含む。一には背正帰邪の故に、二には神聖去辞こじの故に、三には魔鬼来り乱るるが故に云云。

まず、正法とは三大秘法のことであります。同じく、愚記に論証されております。

一、この題に三箇の秘法を含む事

日我云く「立正の両字は本門の題目なり。安国の両字は本門の戒壇なり。日蓮かんがう等は本門の本尊なり」等云云。
 今謂く、立正の両字は三箇の秘法を含むなり。初めに本門の本尊に約せば、正とは妙なり、妙とは正なり。故に什師じゅうしは妙法華経と名づけ、ほう正法華経と名づくるなり。況や天台は三千を以て妙境と名づけ、妙楽は妙境を以てまた正境と名づけんをや。故に正は即ち妙なり。妙とは妙法蓮華経なり。妙法蓮華経とは即ち本門の本尊なり。故に顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」等云云。

立とはこの本尊を立つるなり。故に観心本尊抄に云く「此の時地涌千界じゆせんがい出現して本門の釈尊脇士きょうじと為す一閻浮提いちえんぶだい第一の本尊此の国に立つ可し」と文。妙法蓮華経の左右に釈迦・多宝・上行等を図顕す。故に「本門の釈尊を脇士と為す」というなり。これ則ち文底深秘の最要、妙中の妙、正中の正なり。故にえん第一というなり。この本尊日本国に立つべしと云云。若ししからば、立正の両字は即ちこれ本門の本尊なり。

次に本門の題目に約せば、いわく、題目に信行の二意を具す。行の始めはこれ信心なり、信心の終りはこれ行なり。すでに正境に縁する故に信心即ち正なり。信心正なる故にその行即ち正なり。故に題目の修行を名づけて正と為すなり。天台云く「行をしんしゅと名づく。智に非ざればすすまず、智は行を導くと雖も、境に非ざれば正しからず」等云云。この意、深く思え云云。立とは即ち行を立つるなり。妙楽云く「一念信解とは即ち是れ本門りゅうぎょうはじめ」と云云。天台云く「今、みょうに依り以て正行を立つ」等云云。

三に本門の戒壇に約せば、凡そ正とは一の止まる所なり。故に一止にしたがうなり。一は謂く、本門の本尊なり。これ則ち閻浮第一の本尊なるが故なり。本尊抄の文の如し。またこれ一大事の秘法なるが故なり。南条抄の文の如し。故に本尊を以て一と名づくる者なり。はこれじゅうの義なり。既にこれ本尊止住の処なり。あに本門の戒壇に非ずや。立とは戒壇を立つるなり。御相承に云く「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ」等云云。故にただ立正の両字に於て三箇の秘法を含むこと文義分明なり。

三大秘法とは、日寛上人様の仰せの如く、一大秘法の戒壇の大御本尊様のことであります。

「正とは一の止まる所」ですから、悪法とは正法(日蓮正宗)に順わない全ての宗教・思想およびそれを信奉する人間ということになります。

国に災難が起こるのは、まず「一には背正帰邪の故」にということ。

そして、次には「二には神聖去辞の故」に。兵法書三略から引用されて、世間的な賢者が去っても国が衰える道理があることを示され、仏法守護の善神が去ってしまうことの害毒の大きさを教えられています。

最後に「三には魔鬼来り乱るるが故」と。善神がされば空白ができるだけでなく、悪鬼魔神が棲みつき災いをなすことを結論付けられています。その証拠として、大聖人様は

仁王経に云はく「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るゝが故に万民乱る。」(御書236㌻)

等を挙げられております。

三大秘法について 

 仏教では、仏道修行者が修学すべき基本的なものとして「戒・定・慧」の三学を説いています。はじめの「戒」とは積極的に悪を止めて善を勧めること、「定」とは心の散乱を防いで鏡のような澄んだ清浄心になること、そして「慧」とは煩悩の原因を明らかにし、仏が説かれる真理の法を体得することです。
 日蓮大聖人は末法の一切衆生が信行すべき三学を三大秘法として説示されるとともに『三大秘法稟承事』に
 「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり」(御書一五九五)
と、三大秘法義こそ法華経の根源法体であると示されています。
 この三大秘法のうち本門の本尊に「人」と「法」、本門の戒壇に「事」と「義」、本門の題目に「信」と「行」という六義(六大秘法)の立て分けがあります。これらは別個の存在を示すものではなく、六大秘法を合すれば三大秘法となり、三大秘法はさらに一大秘法に納まるものです。一大秘法とは総本山にまします「本門戒壇の大御本尊」の御事です。
 次に、三大秘法について具体的に説明しましょう。

 

 本門の本尊について

 日蓮大聖人は
 「本尊とは勝れたるを用ふべし」(本尊問答抄 御書一二七五)
と仰せられ、仏典によって様々な本尊が説かれるなか、すべてに優れた本尊を選別することの必要性を説かれています。釈尊在世、滅後の正像二千年間には、天台大師や伝教大師といった人師や論師が出現し、様々な仏教の教えや信仰の対象となる仏像、曼荼羅などが顕わされ、世界中に仏教が弘められました。しかしそれらはすべてインドに出現された釈尊による仏法(熟脱仏法)の化導の範疇であり、すべては方便の教法であり、方便の本尊なのです。
 それらに対し、釈尊の仏教が混乱して衆生救済の力を失うとされた末法時代に入り、日蓮大聖人により顕わされた南無妙法蓮華経の大曼荼羅御本尊は、あらゆる人々を生命の根源から救う力用を具えた最勝最尊の御本尊です。これを「本門の本尊」といい、この御本尊には、大聖人の悟りの久遠元初・一念三千の妙法(法)と、その法の実体を所持される大聖人の御当体(人)がともに具わっているのです(人法一箇の御本尊)。
 日蓮大聖人は、一期のご化導のなかで、数多くの人法一箇の御本尊を顕わされましたが、なかでも弘安二年十月十二日、楠の大木に直接図顕された「本門戒壇の大御本尊」は究竟中の究竟であり、すべての御本尊の根源です。この本門戒壇の大御本尊こそ「本門の本尊」の正体なのです。

 

 本門の戒壇について

 次に「本門の戒壇」とは、本門の本尊を安置して信心修行するところをいいます。
 戒壇の「戒」は防非止悪の意で、現今では主に謗法厳戒を意味します。また「壇」は仏道修行者が戒を受ける場所を示し、謗法を排して本門の本尊を御安置する場所が、そのまま本門の戒壇です。
 この「本門の戒壇」には「事」と「義」の立て分けがあり、「事の戒壇」とは、本門戒壇の大御本尊まします霊場大石寺)、「義の戒壇」とは本宗寺院や各家庭に下付されている御本尊所住の清浄な処のことです。
 さらに、この戒壇義には、
 「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(御書一六七五)
との日蓮大聖人のお言葉があるように、大聖人門下全般に対する究極的な信行の目標として、広宣流布の暁に全世界の民衆が大御本尊に深く帰依し、礼拝するための堂宇を、富士山(大石寺)に建立すべき大聖人の尊い御遺命が示されています。

 

 本門の題目について

 次に「本門の題目」とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることをいいます。本門の題目には「信」と「行」の立て分けがあり、「信」とは大御本尊を絶対無二と信じ奉ること、「行」とは、その信心をもとに実際に御本尊に向かって題目を唱えることをいいます。たとえ信ずる心があっても、実際に唱題しなければ功徳を成ずることはできず、また唱題の修行があっても御本尊を信じきる心がなければ成仏は叶いません。
 以上の三大秘法は、一大秘法たる大御本尊にすべての意義が集約されます。よって末法の今日、大石寺に安置されている本門戒壇の大御本尊に帰依する信仰こそ、全世界の民衆が持つべき唯一絶対の正法であり、たとえ大聖人の教えを信じていると言っても、大御本尊に帰依することなく、正統な法脈から離れたその他の団体に属していても、何の功徳も成ずることはできません。

 

破邪顕正折伏こそ大聖人の正意
 現今の世相をみるとき、日蓮大聖人の御書に「大小・権実・顕密、共に教のみ有って得道無し。一閻浮提皆謗法と為り了んぬ」と示されるように、世界中に大乗教や小乗教、権教や実教、顕教密教等の教えが多く存在するものの、それらの教えはすべて「名のみ有って実際に民衆を生命の根源から救済する力」を持ちません。むしろ邪義邪宗による謗法が人心を惑わし、人々を一層苦しめているのが現状なのです。
 ですから日蓮大聖人は、御書に「逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る」と示され、順縁の衆生はもちろんのこと、たとえ逆縁の衆生であっても、ただただ一向に妙法を説き聞かす折伏以外、末法においては、まったく意味をなさないことを教えられているのです。
 逆縁の衆生に対する折伏について、さらに『法華初心成仏抄』には
「とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(同一三一六)
と示されています。この御文について御法主日如上人は
「この御文は逆縁の功徳について述べられ、妙法を耳に触れた者は、たとえ信ぜず反対する者であったとしても、その人の心田に仏種が植えられたことになり、それが種となり、熟となり、必ず成仏に至ることができると仰せられているのであります」(大日蓮・平成二十九年十二月号)
と御指南されています。いかなる相手に対しても、まず謗法を明確に破折し、妙法への帰依を勧めていくことが、相手の方を生命の根本から救っていく唯一の方途であることを教えられています。
 『三大秘法稟承事』に
 「題目とは二意あり(中略)像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書一五九四)
と仰せです。
 天台大師など過去の法華経の行者と呼ばれる人々が行なった修行は、、自身に限られた観念観法による理行の題目行でした。これに対して大聖人が唱えられる題目は、一切の人々を根底から救いきっていくため、自行化他にわたる事行の南無妙法蓮華経なのです。 

 ここで、三大秘法の意義を拝しつつ、私たちが行なう折伏の姿勢について、具体的に考えてみよう。
一、末法の仏様はただ日蓮大聖人に限るのであり、その大聖人と、成仏の法である南無妙法蓮華経が一体となった本門の本尊(人法一箇の御本尊)こそ、唯一の正しい御本尊であることを折伏相手に伝える(本門の本尊の意義を教える)
二、他の信仰にかかわる謗法物と、それらに対する執着を捨てさせ、折伏相手の邸宅、もしくは自室に御本尊を安置することの必要性を伝える(本門の戒壇の意義を教える)
三、御本尊を深く信じ、御本尊に向かって題目を唱える実践修行を教える。とくに大聖人が唱えられた題目は、像法時代の理行ではなく、自行化他にわたる事行でなければなりません。ですから入信したのちは、自ら勤行・唱題を実践するとともに、力に応じて折伏をも行なっていくべきことを伝えます(本門の題目を教える)
ということとなりましょう。

 御法主日如上人は、
「何事も事を成すためには、行動を起こさなければ成るものも成らず、単なる空理空論に終わってしまいます。(中略)折伏も同様、日々弛まぬ努力を続けていくことが最も大事なのであります。特に、折伏は自らが実践していかなければ功徳はなく、それは、あたかも他人が薬を服しても自らの病気は治することが出来ないのと同様であります」

                         (大日蓮・平成30年1月号)

と示されています。

 仏道修行は、机上の論理を振り回すのではなく、実践に移すことにより、はじめて自他ともに御本尊の功徳をいただき、成仏していくことができるのです。

創価学会顕正会に所属している人々は、三大秘法を受持出来ていないことがお分かりいただけたと思います。むしろ、現代の一凶に与同しているのです。

どうか、一日も早く日蓮正宗に帰依されることをオススメいたします。

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戒壇の大御本尊様の元へ帰りましょう