日蓮正宗のススメ

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そもそも<道徳感情>とはなんなのか

 

道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心

道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心

 

しかしながら、やはりその前に、そもそも<道徳感情>とはなんぞやという説明をしなくてはなりません。

人間に備わった<道徳感情>というのは、宗教や教育によってもたらされるものだと思っている方が結構いるようです。

実際には、そんな薄っぺらな代物ではなく、人類数百万年の進化の過程で骨の髄に刻み込まれた、何があっても脱ぎ去ることができない人間の本性なのです。

これがなければ、人類は宗教の発生する遙か以前に絶滅したに違いない、生存のための第一原理なのです。

具体的にどういうことかと云いますと、人類は生存率を上げるため、言葉による<評判>を媒介とした協力関係システムを造り上げたのでした。そのシステムを維持するために身に着けたのが<道徳感情>です。

人間以外の生物でも、自分が犠牲となって仲間を助けるようなことがよくあります。これは<種の保存>のためだと云われていましたが、いまでは完全に否定されるようになりました。行動やDNAを詳しく調べてみると、血縁が近い者だけを助けているのです。

つまり、自分の遺伝子を後世に残すことですから、生き物として当然の行為ではあります。

<種の保存>のための自己犠牲の象徴のように云われてきた、増え過ぎたレミング集団自殺は、たんなる伝説だったことが判明しました。

北欧の伝説を世界中に広めてアカデミー賞を取ったディズニーのドキュメンタリー映画は、小っちゃくて可愛らしいレミングたちを海に突き落として撮影したヤラセ映像だったのです。

しかし、そんな生物でも血縁関係がない相手を助けることが、ごくたまにあります。

中南米に生息するチスイコウモリは動物の血を3日間吸わないと飢え死にしてしまうんですが、死にかけた仲間のために自分が吸った血を吐き出して飲ませてやったりするのです。

そんなことをすれば、こっちの身が危険になるというのに。それでも自己犠牲のようなことをするのは、自分がほんとに餓死しそうになったときに助けてもらうためなんです。

こういう助け合いによって自分の生存率を上げるためには、仲間に血を分けてやらない利己的なコウモリには、こちらも血をやらないという<罰>を与えることが必要です。

最新の進化生物学では、これが<道徳感情>の第一歩だとされているのです。そして、実際にチスイコウモリはお互いの行動を記憶していて、血をくれた相手にだけお返しをしていたのでした。

このように、ほかの動物も直接的見返りが期待できる場合は自分が損しても仲間を助けることが極めて稀にありますが、人間は血縁関係のない相手に利他的行動を取ることが比較にならないほど多いです。

しかも、二度と逢うことがなく見返りが期待できない相手でさえ親切にします。そうやって自分の評判を上げると、巡り巡って見返りが期待できるわけです。これを<間接互恵性>と云います。言葉を使うことができる人間ならではの、生存率を上げる革命的な仕組みです。

しかしながら、ここでシステムが一挙に複雑となる。1対1の直接的な見返りなら、すべての出来事は目の前で起きますが、<間接互恵性>ではほとんどが見えないところで起こるからです。言葉の伝言ゲームによる評判のやり取りは、ただでさえ間違いが入りやすい。さらにその上に、意図的に嘘を流す輩もいる。

それでも、ズルをする者を的確に見つけ出して罰しないとシステムが壊れて、自分の生存率が下がってしまいます。そのための<道徳感情>も極めて複雑になっていく。こうして、いろいろとやっかいなことが起ってしまうのです。 

道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心

道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心