日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

忙しい人の為に:日蓮正宗の修行の有難さ

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幼子から高齢者までができるのが、仏法の修行です

この文章のカテゴリーは、”教学的エッセイ”です。ブログ運営者の私見であることを御了承ください。

1 在家修行者の限界

私は在家です。

現在の職業は超多忙で、早朝出勤もあれば、深夜勤務もあります。休日出勤もします。一か月の平均休日は5日程度です。

そこに高くそびえ立つのが、日蓮正宗信徒に課せられた”修行”という掟。

先日、「あなたは、偉そうにブログなんか書いているけれど、リアルでの折伏も勤行・唱題もしっかりできているのか?」という、カラミ系のメッセージが届きました。

創価・顕正の人なのか、法華講の人なのか?

質問者の立場は不明です。

が、確かにこんなブログを書いていれば、お前は何様なんだよという反感を持たれても仕方ありません。

他人様に「日蓮正宗のススメ」なんていう、偉そうなことを言う資格があるのか?ってことでしょうね。

ネットでは自分の”修行”ぶりを披露なさっておられる人もいますが、私にとってうらやましく眩しい存在です。

自分の境界の低さを嘆きつつも、私にとってはネットを通しての弘教が、自分に課した修行であり、功徳の源泉の一つであると実感しております。

2 無理はしない

私が師事している末寺様では、信心に無理を強制していません。

支部・各家庭の考え方がありますので、お読みくださっている方は、御自分の師事されている御僧侶の御指導を遵守してください。

無理を強制しないと書きましたが、懈怠を黙認しているのではないと思っています。

信心に無理があると、その人の心に愚痴や怨嫉が生まれます。そのような濁った心で御本尊様の前に座ったり、寺院に参詣したりするのは良くないという意味だと理解しています。

私は子供の頃、親のしつけが厳しくて、勤行をいいかげんにしたりすれば、父親から鉄拳制裁を受けて育ちました。唱題も15分以上が義務付けられていましたので、小学生の時は本当につらかった記憶があります。

結果、御本尊様を恨むようになりました。「くそっ!勤行さえなかったら、もっと楽なのに。なんで、僕だけこんなしんどい思いをしなきゃいけないんだ。」、信心をしていない友人をうらやましいと思ったことがあります。

毎日、五座三座の勤行と唱題をしながら、学校では嫌われ者でいつもトラブルが絶えませんでした。

①憍慢きょうまん(驕おごり高ぶって正法を侮あなどること)
②懈怠けたい(仏道修行を怠なまけること)
③計我けいが(自分勝手な考えで仏法を推おし量はかること)
④浅識せんしき(自らの浅はかな知識で、深く広い仏法を判断しようとすること)
⑤著欲じゃくよく(欲望に執着して正法を軽んじ、求めようとしないこと)
⑥不解ふげ(仏法を正しく解わかろうとしないこと)
⑦不信ふしん(正法を信じないこと)
⑧顰蹙ひんじゅく(正法を非難すること)
⑨疑惑ぎわく(仏法を疑い、迷うこと)
⑩誹謗ひぼう(仏法を謗そしり、罵ののしること)
⑪軽善きょうぜん(根本善である正法を受持する者を軽蔑けいべつし、莫迦ばかにすること)
⑫憎善ぞうぜん(正法を受持する者を憎むこと)
⑬嫉善しつぜん(正法を受持する者を怨嫉おんしつすること)
⑭恨善こんぜん(正法を受持する者を恨うらむこと)

十四誹謗のうちの

⑫憎善ぞうぜん(正法を受持する者を憎むこと)
⑬嫉善しつぜん(正法を受持する者を怨嫉おんしつすること)
⑭恨善こんぜん(正法を受持する者を恨うらむこと)

を毎日の修行中に積み重ねていたのですから、当然の報いだったかもしれません。

3 仏法に巡りあうことの難しさを実感すれば・・・

日蓮正宗の信仰に出会うことはまれで、信じられる人生は尊いものです。

御経の文に難信難解と説かれて候が身に当つて貴く覚え候ぞ、謗ずる人は大地微塵の如し・信ずる人は爪上の土の如し、謗ずる人は大海・進む人は一渧。(秋元御書)

全世界の70億人の人類で、80万人弱。

まさに”爪上の土” なのです。

松野殿後家尼御前御返事

 法華経第五の巻安楽行品に云く文殊師利此法華経は無量の国の中に於て乃至名字をも聞くことを得べからず云云、此の文の心は我等衆生の三界六道に輪回せし事は或は天に生れ或は人に生れ或は地獄に生れ或は餓鬼に生れ畜生に生れ無量の国に生をうけて無辺の苦しみをうけて・たのしみにあひしかども一度も法華経の国には生ぜず、たまたま生れたりといへども南無妙法蓮華経と唱へず、となふる事はゆめにもなし人の申すをも聞かず、仏のたとへを説かせ給うに一眼の亀の浮木の穴に値いがたきにたとへ給うなり、心は大海の中に八万由旬の底に亀と申す大魚あり、手足もなくひれもなし・腹のあつき事はくろがねのやけるがごとし、せなかのこうのさむき事は雪山ににたり、此の魚の昼夜朝暮のねがひ時時剋剋の口ずさみには・腹をひやしこうをあたためんと思ふ、赤栴檀と申す木をば聖木と名づく人の中の聖人なり、余の一切の木をば凡木と申す愚人の如し、此の栴檀の木は此の魚の腹をひやす木なり、あはれ此の木にのぼりて腹をば穴に入れてひやし・こうをば天の日にあてあたためばやと申すなり、自然のことはりとして千年に一度出る亀なり、しかれども此の木に値事かたし、大海は広し亀はちいさし浮木はまれなり、たとひよのうきぎにはあへども栴檀にはあはず、あへども亀の腹をえりはめたる様に・がい分に相応したる浮木の穴にあひがたし我が身をち入りなばこうをも・あたためがたし誰か又とりあぐべき、又穴せばくして腹を穴に入れえずんば波にあらひ・をとされて大海にしづみなむ、たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行きあへども我一眼のひがめる故に浮木西にながるれば東と見る故にいそいでのらんと思いておよげば弥弥とをざかる、東に流るを西と見る南北も又此くの如し云云、浮木には・とをざかれども近づく事はなし、是の如く無量無辺劫にも一眼の亀の浮木の穴にあひがたき事を仏説き給へり、此の喩をとりて法華経にあひがたきに譬ふ、設ひあへどもとなへがたき題目の妙法の穴にあひがたき事を心うべきなり、大海をば生死の苦海なり亀をば我等衆生にたとへたり、手足のなきをば善根の我等が身にそなはらざるにたとへ、腹のあつきをば我等が瞋恚の八熱地獄にたとへ・背のこうのさむきをば貪欲の八寒地獄にたとへ・千年大海の底にあるをば我等が三悪道に堕ちて浮びがたきにたとへ、千年に一度浮ぶをば三悪道より無量劫に一度人間に生れて釈迦仏の出世にあひがたきにたとう、余の松木ひの木の浮木には・あひやすく栴檀にはあひがたし、一切経には値いやすく法華経にはあひがたきに譬へたり、たとひ栴檀には値うとも相応したる穴にあひがたきに喩うるなり、設ひ法華経には値うとも肝心たる南無妙法蓮華経の五字をとなへがたきにあひたてまつる事の・かたきにたとう、東を西と見・北を南と見る事をば我れ等衆生かしこがほに智慧有る由をして勝を劣と思ひ劣を勝と思ふ、得益なき法をば得益あると見る・機にかなはざる法をば機に・かなう法と云う、真言は勝れ法華経は劣り真言は機にかなひ法華経は機に叶はずと見る是なり。

一眼の亀の譬えは、まさに時間・空間ともに無限の法界で、この仏法に出逢うことの難しさを教えてくれます。

もっと言えば、千載一遇のチャンスに巡りあいながら、”栴檀の浮木” を手放し生死の海に沈んでしまう人も大勢いるのです。

平成3年には創価学会が破門され、平成9年に至って1000万人規模の人々が、”栴檀の浮木”たる戒壇の大御本尊様を手放してしまったのです。

また、平成初期から広まり始めた顕正会は、200万人規模の人から”栴檀の浮木”たる戒壇の大御本尊様を遠ざけてしまったのです。

大聖人様の本国に生まれながら、この為体ですが、このことを知れば仏法優先の生活を形成していくことの大切が分かっていただけるかもしれません。

4 挑戦し続けることの大切さ

十四誹謗の二番目に

②懈怠けたい(仏道修行を怠なまけること)

があります。

①憍慢きょうまん(驕おごり高ぶって正法を侮あなどること)

があっての②ですから、おサボりは正法を侮ってしまっているんです。

自分も毎日反省しながらの修行の繰り返しです。

でも、ちゃんと勤行出来た日は本当に清々しい。

唱題行で禅定が叶ったときは、心が澄み切って安穏を感じられます。

仏法を語り、他人の信仰の寸心を改めさせることが出来た時の喜びは、何物にも替え難い喜びです。

登山してもうれしい。

御供養させていただいてもうれしい。

寺院参詣もうれしい。

自宅の御本尊様への御給仕も有り難い。

全ての修行が有難いんです。

命の尽きるその日まで、大御本尊様から離れずすがり切っていきましょう。

忙しさやしんどさに負けた日は、次の機会に必ず頑張りましょう。

一進一退でも悔やまずに、信心修行の日々を重ねてまいりましょう。

今日は、自分に言い聞かせながら書きました。

 

勤行―その仕方と観念文の意義 (信心修行の基本)

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