日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

初七日を司るのは秦広王(しんこうおう)で本地は不動明王である。

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秦広王の補佐官、小野篁(おの の たかむら)です!

初七日を司るのは秦広王しんこうおうで本地は不動明王である。

この王へ詣でる道の間にいろいろな苦しみがある。まず人は一生の命が尽きてあの世にはいる死の門に向かう時、断末魔の苦として八万四千の煩悩より色々の病が起て、争って身を責る事、百千の鉾と剣をもってその身を切り裂くようである。このために眼が闇くなって見たい者をも見ることができない。舌の根がすくんで言いたい事も言えない。また「荘厳論」に命が尽き終わる時、大黒闇を見て深い岸に堕ちるようであり、独り広野を行くのに連れがないという。まさしく魂が去る時は目に黒闇を見て、高い所から底へ落ち入るようにして命が尽きる。

さて死んでいく時、ただひとり果てもなく広野に迷う。これを中有の旅と名づける。それで路を行こうとするけれども求むべき資金も食糧もなく、中間にいて止まろうとすれけれども止るべき所もなし。前に行こうとすれけれども資金と食糧もなく、中に止ろうとすれば立ち寄ることのできる所もない。また暗い事は闇夜の星のようだという。ただ星の光を見て行ほどの闇さなので、前後左右ははっきりしない。一人として連れもなく、ものを尋ねる人もいない。その時のありさまを思い遣ると心細くて悲しいことである。生きていたこの世が恋しくて妻子を見たいけれども、立ち帰ることのできる道ではないのでいよいよ行く道も遠くなる。行方も分からないので識別できる道もない。何につけても、身に添うものは悲の涙ばかりである。

このように目的もなく行く内に、途中で獄卒の迎を見る人もある。また初七日の王の前に来て初めて獄卒を見る人もある。此等は罪業の浅い深いによると思われる。この他また極悪の人と極善の人には中有がない。極善の人はただちに成仏する。極悪の者はただちに悪趣(地獄、餓鬼、畜生道)に堕ちる。この極善と極悪の人には中有はない。ただ普通の人や、仏道修行をしているけれども、成就する程の行業もしないで暮している人に中有がある。今はこういう人の場合である。

さて罪人は薄暗いままに足に任せて行うちに、自分だけがこの道に来たのかと思われるが、目にはさだかに見えないけれども、罪人が苦しみ叫ぶ声が時々耳に聞える。その時、胸がさわぎ怖ろしい思いがするが、また獄卒の声と思われる声も聞こえる。これはどうしよう、と思ふところに、じきに羅刹の形が見える。今まではわずかに名だけは聞いていたが、いま目の当たりにこれを見る怖しさはいいようもない。その後、羅刹は前後に付き添い、息をもくれずに責かかるので、心ならずも進む内に死出の山に行きつく。この山は高く険しい。どのようにして越えて行けばいいのかとも分からないけれども、獄卒どもにかりたてられて泣く泣く山路にさしかかる。巌の角は剣のようなので、歩こうとするが歩けない。その時、獄卒鉄棒で打ちつける。息も続かずに息絶える。しかし、そのまま消え失せるでもなく、面がわりしないですぐに息をふきかえす。これでこの山を死出の山とはいうのである。足のふみどころも分からず、険しい坂なので杖をほしがるが与える人もなく、路の石に苦労して履くつを願うけれども、履かせてくれる人もない。この山の遠い事は、八百里。険しい事は、壁に向うようである。嶺より下る嵐は激しく吹いて膚を徹とおし、骨髓に入る事は剣のようである。このような種々の苦しみを受けて泣く泣く死出の山路を越え、はじめて秦広王の御前にたどりつく。

見れば数知れぬ罪人たちが、様々に捕らえられて御前に並んでいた。その時、大王は罪人を御覧になっていわれた。「そもそもお前達は遠い無限の昔から何度ここに来た。それはガンジス河の砂の数にさえ譬えようもなく多い。お前たちは分からないのか。来るたびごとに地獄での報いを終えて人間世界に帰る時、鉄の棒で獄卒が三回尻を打ち、人間に戻ったならばすみやかに仏道修行をして成仏せよ、二度のこの悪趣(地獄・餓鬼・畜生道)に来るなと、ねんごろに言い含めたのに、その甲斐もなく勝手気ままに罪業を造り、すぐにまたここに来るとは情けないことよ。しかも現世の娑婆しゃば世界は仏法が流布している世界ではないか。どうして仏道修行をしないで、いたずらに過してまた来るのだ」とおっしゃる。

その時、罪人がいうには「おっしゃることはもっともですが、この身もとより前世での報いの結果この世での果報が悪くて、読み書きの出来ない身と生れましたうえ、また僧ではなくて在家の身でありましたので、そのような修行や覚りの道のことは考えもせず過ごしてきました。ただ、ただ不運な運命こそうらめしく思います。自分で過ちは犯さなかったと思います」という。

その時、大王は大いに怒って言われる。「ああ、お前の理屈は理屈になっていない。その理由は出家をしない在家の身であっても、仏になるべき道を願うのに何の違いがあろうか。成仏に何の智恵や才覚が必要だろうか。お前は後世という事を忘れて道理に外れ善くない心しかないので、またこのような所に来るのだ。もしまだ言いたいことがあるというのなら早く申してみろ」とにらまれるので、罪人はもっともな理につめられて声も出ない。さらに大王が、「お前は今まではばかるところもなく理屈を言っていたが、どうして今返事をしないのか」と責められるので、大王のお言葉が肝に銘じて泣くしかない。この時、亡人なきひとは自分の心を恨み、千度も百度も悔いるけれどもいまさら後悔してもおそい。だから後世を心に懸ける事は大事である。いたずらに多くの月日を送っていて、その上に罪業を犯し、またまた同じ三途さんず(三趣さんしゅ)に帰って、かさねて苦を受ける事になっても誰を恨みようもない。

皆さんは、なんとしてでも信心を強くして、即身成仏の悟りが得られるようにしなさい。

さて、この王の御前で善悪の軽重が定まらない時は、二七日の王へと送られる。

秦広王(しんこうおう)
声 - 松山鷹志
初七日に裁く裁判官、三途の川の手前で罪に対する嘘の有無を審議をしている。「秦広王の方が閻魔大王っぽい」と言われている。骨董集めや蕎麦打ちにハマっており、秦広庁には彼が集めた皿や壺がたくさん飾られている。
小野篁(おの の たかむら)
声 - 井上剛
秦広王の第一補佐官。平安貴族にあるまじき天然パーマの持ち主で、のんびりとした顔つきだが性格はかなり天然。妻帯者でもある。生前に六道珍皇寺の井戸から地獄に迷い込み、獄卒に間違われて数日過ごした末、現世の内裏に視察に行こうとした鬼灯と利害が一致して短期間だが立場を交代していたことがある。その際に危篤状態で審議中だった藤原良相に地獄にいるところを目撃される。後に彫った閻魔大王像がたまたま秦広王に似てしまったため、秦広王を見た亡者の大部分が彼を閻魔大王と勘違いするようになった。鬼灯には「井戸に関しては番町皿屋敷と貞子よりも古い」と呼ばれ、自らも「貞子の次に井戸が似合う小野篁」と井戸にこだわりをみせる。

鬼灯の冷徹 - Wikipedia

 

私の父の初七日は、火葬場から帰って来た時に、日蓮正宗の所属寺院で執行していただきました。

ホッ!

葬儀が終了した時、父の相はきれいな顔になっていましたので、安心はしておりましたが、私は初七日から現時点で七回忌まで、法要はコンプリートしております。

十王讃歎鈔を読むと、追善供養がどんだけ大事なのかが分かりますよね。

ちなみに十王讃歎鈔は昭和新定日蓮大聖人御書に掲載されております。

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この方が秦広王様です。

 

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