生活していくなかで気持ちに「怨嫉」が生まれることがあります。特に他人に対して生まれる心の迷い煩悩です。自分と他人を意識しすぎ他人より勝りたい劣りたくないという本能的な迷いからくるものです。「怨嫉」の扱いを間違えますと心が荒(すさ)み、生活が荒れ周囲の人に迷惑をかけることになります。
「怨嫉」とは、「怨」がうらむこと。「嫉」がねたむこと、やきもちを妬(や)くことです。妬くとは心を乱すという意味です。
「怨嫉」にも種類が沢山あり、最悪な場合、私生活を泥沼化します。「怨嫉」の正しい扱い方を常日頃から磨き、身に付けていれば問題はありません。日常起こりうる縁に「怨嫉」を生む原因が潜んでいます。その原因に対しどのような行動をとっていくかで「怨嫉」を未然に防ぐことが出来ます。その方法が御本尊様に御題目を唱える勤行唱題という修行になります。「怨嫉」を正しく扱い冷静な気持ちと落ち着きを取り戻すことが出来ます。勤行唱題をしても「怨嫉」を静められない人は、我慢偏執と慢心が信心に対する素直さより勝っているため、更に「怨嫉」の気持ちを燃え上がらせています。「怨嫉」を静めるには、まず心の乱れ動揺を抑えることが大事です。つまり禅定と空が必要で、「怨嫉」への集中力を他に向けることです。「怨嫉」で生まれる生命力には巨大な力があります。この力を成仏のために注ぐことです。それが「煩悩即菩提」です。釈尊は法華経の『法師品第十』に、
「而も此の経の中に於て 法華最も第一なり 爾の時に仏、復、薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり。薬王、此の経は、是れ諸仏の秘要の蔵なり。分布して、妄りに人に授与すべからず。諸仏世尊の守護したもう所なり。昔より已来、未だ曽て顕説せず。而も此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや。」(法華経325)
と法華経を弘めるに当たり「怨嫉」が多いことを説かれています。日蓮大聖人も御書で引用される法華経の文証です。
私達の心に生まれる「怨嫉」は、信心をし「四恩」を知り、恩を報じることで平静を保つことが出来ます。『上野殿御消息』に、
「仏教の四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ」(御書922)
と仰せのように「怨嫉」という気持ちを捨て、「四恩」である父母に恩を報じ、国主の恩を報じ、一切衆生に恩を報じ、三宝に恩を報じることです。「怨嫉」は貪瞋癡の三毒から生じる心の汚れです。「怨嫉」は気分の良いものではありません。非常に身心を害する毒素を含んでおり、「怨嫉」から病が生まれます。
「怨嫉」が生まれるのは、「四恩」を忘れ自己中心的になるからです。信心は自己中心的な考えを改心し、「四恩」を理解して自他共に幸せになることです。「怨嫉」は幸せになる生活を破壊するものです。「怨嫉」の強さも様々あり、瞬間的なものから継続的にある縁に触れて生まれるもの、永続的な「怨嫉」など自分と相手との関係によって異なりがあります。
「四恩」を知り御本尊様に御題目を唱えることで「怨嫉」は心から消滅させることが出来ます。「怨嫉」が生まれると相手に原因があると錯覚を起こしますが、自分自身の己心の魔や師子身中の虫が操っていることを覚ることが大事です。信心をすれば明らかに見えるようになります。明らかに見えたら「四恩」を報じ「怨嫉」を静めることが大切です。そこに「我此土安穏」な世界が築き上げられるのであります。折伏をすれば更にその輪を広げることが出来ます。それが日蓮大聖人が仰せになる「立正安国」です。

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