創価学会員さんとの対話:やはり対話不能に・・・お人柄は評価しますが。。。やはり「創価脳」でした。
それにしても創価脳というのは気持ち悪いです。かつての自分もそうだったのかと思うとゾッとします。ほんとに自分の都合のいいようにしか物事を考えることができないんです。「もしかしたら自分は間違っているのかもしれない」といった人間本来の真摯な考えは微塵もありません。何が何でも「自分は正しい!創価は正しい!」あるのみです。目の前の現実を見ればそうではないことばかりなのに、そこは見事にスルーします。基本的に「自分は正しい」としか思えない。創価以外はみんな間違い。創価=自分。創価批判=自分の人生そのものの批判。創価のためなら犯罪も正当化します。選挙違反、怪文書投函。尾行、待ち伏せ、嫌がらせ。創価のためなら犯罪とわかっていても何のためらいもなくやれるのが創価脳です。だから世界の何ヵ国からも危険な宗教団体としてカルト指定されているのも当然です。戦後の歴史に残る凶悪犯罪の犯人の多くが学会員ですが、そんなことは創価脳にとっては何でもないんですよね。創価脳は創価にとって都合の悪いことは見事にスルーします。引用:創価脳が言い放つメチャクチャな言いわけ | 創価学会とは — 対話を求めて — 静かに創価学会を去るために
「創価脳」とは、対話ブログの金字塔を打ち立てた、シニフェさんの造語だけど、言い得て妙と思う。
うちの隣のオヤジがまさに「創価脳」で、覗き、立小便、車のナンバーチェック、挨拶無視など、ここ数年散々な嫌がらせを我が家に対して行ってきた。
罰が出て、64歳なのに急速な老化で80歳の老人のようになった。
隣の創価女房の話じゃ、背骨を傷めたとか?定年後に家庭菜園にハマってたみたいだったけど、それで無理が祟ったのだとしたら、お粗末な限りだな。ま、大人しくしてくれてりゃ、こちらとしては申し分ない。
シニフェさんも言ってるけど、隣の創価一家は、近所でキモイと評判の一家。近所一帯を面倒見てくれている、明るいおばさんですら、声をかけづらいのだとか。当人たちは、気づいていまいが。これを冥罰というのだけど。
で、話を戻すと、私と対話モドキをメールでやりとりしていた青年の件。
返信が来たのはいいけど、まさに、自分の都合のいいようにしか物事を考えることができない状態に。都合の悪い部分はスルー。自己批判は皆無。「自分は正しい!創価は正しい!」あるのみです。
これは顕正会も同じか。。。こっちは「顕正脳」か。かつての自分も「創価脳」「顕正脳」で、周囲からキモイと思われていたんだろうな。
そう考えると、
かつての自分もそうだったのかと思うとゾッとします。ほんとに自分の都合のいいようにしか物事を考えることができないんです。
という、シニフェさんの気持ちに激しく同意してしまう。ただ、シニフェさんは棄教してしまい、うつ病に悩んでいるそうで・・・それはそれで・・・な感じだね。全てを創価のせいにしてしまうのは、気持ちはわかるけど、宿業は創価批判だけでは消えないし、ましてや大聖人誹謗はもっとヤバイと言うしかない。当人が気付く日が来ることを願う。
では、創価脳青年とのやりとりの続きを・・・
残念です。
会話のキャッチボールが出来なくなってきましたね。
私は、あなたがなぜ創価学会を信じているのか、それが知りたいのです。
私は日蓮正宗信徒ですから、日蓮正宗の言うことを信じているのです。
あなたも、創価学会の言うことを信じているのでしょう?
それと同じだということが分かりませんか?
私に回答を求めても、収集が付かなくなっています。
御自分のハンドルネームを造って、私のブログのあなたからの質問に答えているところにコメントしてください。
最初の7項目の質問、一つ一つに回答しています。
あと、根拠ばかりもとめて客観性の罠に陥ると、最終的に不可知論者になってしまいますよ。
創価学会がそもそも、日蓮正宗の信徒団体であったことを前提に考えてみてください。
戸田先生は、日蓮正宗の僧侶にダマされたまま死んだ間抜けですか?
そんな人が、創価学会の永遠の師匠でしょうか?
多くの日蓮系宗派の中で、創価学会を正しいとする根拠は何ですか?相伝を否定してるんですよね?1930年11月18日まで、誰も成仏できなかったのかな?
下に、あなたの回答への後加文を付記してあります。
ポリ銀
以上が今回、私が創価脳青年に送った返信。
「是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし是の時当に諸の悪比丘有るべし是の経を抄掠して分つて多分と作し能く正法の色香美味を滅す是の諸の悪人復是の如き経典を読誦すと雖も如来深密の要義を滅除して世間荘厳の文を安置し無義の語を飾り前を抄(とっ)て後に著け後を抄て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん当に知るべし是くの如き諸の悪比丘は是魔の伴侶なり」守護国家論42守護国家論は、法然の選択集破折の書。切り文不可。「私に経を説きをける邪師其の数多し、其の外私に経文を作り経文に私の言を加へなんどせる人人是れ多し、然りと雖も愚者は是を真と思うなり」善無畏三蔵抄882善無畏三蔵の邪説を破折した御書。切り文だね。
ポリ銀さんは法主の言うことは絶対に正しいと考えておられるようですが、一体どこにその保証があるのですか。御本仏日蓮大聖人以外の誰人の言葉も信じてはいけないということは前回のメールで述べたとおりです。あなたは創価の言葉を信じているんでしょ?「仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」如説修行抄502
「唯人師の釈ばかりを憑(たの)みて仏説に依らずば何ぞ仏法という名を付くべきや。言語道断の次第なり」持妙法華問答抄462後加文の正当性を主張するために日蓮大聖人の御書を用いることができないのであれば、僕の主張が正しいということは明白かと思います。何も明白になっておりません。計我謗法ですね。>「御書に書かれている事以外用いないのであれば、今の創価教学など、ほとんど御書に書かれていない。これはどう説明するのか?」について
創価学会の中では創価教学という言葉は用いられていないはずですが、創価教学とは何を指すのですか。用いられています。我見教学を指します。>「釈尊の経典は全て後代の弟子が書いたものばかりで全て後加文ですね。後加文がダメならば、何故大聖人は釈迦の経典を文証としてあげるのでしょう。」について
釈尊の経典が後代の弟子が書いたものであっても、釈尊が法を付属し予言したとおりに出現した付法蔵によって結集されたものなので信頼できると思います。思うだけじゃ計我ですね。日蓮大聖人様が出現して用いられたからですよ。>「大聖人の書いたもの以外用いないのなら、日興上人の御文は用いないのか?」について
日興上人は日蓮大聖人が法を付属し「背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」と定められたお方ですので、日興上人の御文を引用しても構わないと思います。
しかし日興上人ご自身が
「富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事」日興遺誡置文1617
「案立若し先師に違わば一身の短慮尤も恐れ有り」五人所破抄1616
と仰せになっているように、僧宝日興上人といえども日蓮大聖人が仰せになっていない法門を立ててはいけないのですから、主張の正当性を証明するに際しては日興上人の御文を引用する必要は無いと思います。思います。。。計我ですね>「日寛上人の御文を創価は引用しますね」について
日寛上人の文を創価学会が引用した例を示してください。いっぱいあります。御自分で検索してください。過去の教学試験の出題範囲にも入っていました。平成3年の2級試験。私は受験して合格しました。>「聖人の言く此の相承は日蓮嫡嫡一人の口決唯授一人の秘伝なり神妙神妙とのたまいて留め畢んぬ。(産湯相承事)」について
該当箇所の前の文脈から考えるとこの御文は「日蓮大聖人が主師親の三徳を備えた御本仏であることは唯授一人の秘伝である」という意味です。法主に信伏随従しなければならないという意味ではありませんから本因妙抄・百六箇抄の後加文とは違う内容です。なぜそんなことが言えるのですか?あなたの思い込みです。>「まず、後加文だと口に出した時点で、「そうなの?じゃぁ、いつ・どこで・誰が加筆したのか答えてみなさいよ」って言われます。」について
後加文がいつ・どこで・誰が加筆したのかはわかりません。ポリ銀さんはいつ・どこで・誰が加筆したのかわからない文を信受するのですか。「仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」如説修行抄502 とあるように、当然そのようなことは許されません。創価学会は過去に許されないことをしていたことになりますね?破前だから無罪ですか?後加文以外の質問に対するご回答もよろしくおねがいします。全て回答済みですよ。私のブログのコメント欄へどうぞ。On 2019/04/30 18:19, ポリ銀 wrote:
メールで忘れたころに質問返ししてきても、こっちはわからないっての。
だから、ブログで各回答を添付して、こっちの意見を公開してるんだから、コメントで返してくれないと。。。ねえ。。。
創価が破門前に言ってきたこと、やってきたことはスルー。
破門前にしか生きていなかった、牧口さんや戸田さんもスルー。そのうち池田さんもスルーになるよな、絶対。
相伝に執拗に反対するけど、じゃあなんで沢山ある日蓮系宗派の中で、創価が正しいのかってなると、ただただ、自分がそう思うのだとか。。。
そう思うのであれば、そう思うで結構。自由だ。信教の自由。
でも、私は日蓮正宗信徒。日蓮正宗の猊下様の言うことを信じているんだよ。いいじゃないか、それで。
対話には自分というものがなければならない。議論ばかりに熱中して、自己紹介もロクにしない。何処の何某かもしれない人間と、循環議論をする暇はないんだよ。
まずは、自己紹介。社会人の基本。なぜ創価学会を信じるようになったのか、どのような体験があるのか、プライバシーは守りながらも、話せることは話していかないと、誰も宙に浮いた議論だけする者などいない。
遊戯雑談の化儀はご免蒙る。「一、謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀並びに外書歌道を好むべからざる事。」(御書一八八四頁)『日興遺誡置文』
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よく読んでほしい。
人に手間暇かけさせておいて、自分の言いたいことだけ言い放つというのは、対話ではないのだよ。
勝手に勝利宣言して逃げるのも、対話でもなければ折伏でもないのだよ。
日蓮正宗を否定するのなら、創価創立の1930年11月18日~創価破門の1991年11月28日までの、61年を総括せずに与太話をしても意味がないのだ。
創価学会と共産党――激変する巨大組織のカネ・権力・ヒエラルキー
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