信心は柔和な心と忍辱が大切です
法華経の法師品第十に「柔和忍辱衣」(法華経332)という経文があります。正法を素直に受持し、いかなる難にも屈せず耐え忍ぶ心構えを衣に譬えたものです。
日蓮大聖人も『法衣書』に、
「殊に法華経には柔和忍辱衣(にゅうわにんにくえ)と申して衣をこそ本とみへて候へ。又法華経の行者をば衣をもって覆(おお)はせ給ふと申すもねんごろなるぎ(義)なり」(御書1546)
と仰せであります。更に『御衣並単衣御書』に、
「法華経を説く人は、柔和忍辱衣(にゅうわにんにくえ)と申して必ず衣あるべし」(御書908)
とも仰せであります。御本尊様を受持し御題目を唱えるところに、「柔和忍辱衣」という衣を着ることが出来ます。この衣を着ることで、人生の障害物となる四苦八苦や三障四魔といわれる障魔を克服し、三類の強敵(俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢)にも屈することのない強靱な精神を具えることが出来ます。それが「柔和忍辱衣」であります。
法華経を弘通するための軌範となる、衣座室の三軌となる衣が柔和忍辱衣で、法華経を弘通する方法と心構えを説かれたものです。
「柔和忍辱衣」の柔和は性格がやさしくおとなしいとの意で正法を素直に受け持つことを意味します。また心が柔軟であることです。つまり我見を差し挟まずに信伏随従することが柔和です。忍辱はいかなる迫害・災害や辱めにも屈しない信心をいいます。誹謗中傷となる辱めに対し、耐え忍ぶことが忍辱です。
一般的に人は、侮辱・屈辱を受けたり災害にあえば、感情的になって三毒強盛になります。更に人間関係が拗(こじ)れ、様々な問題が発生します。五濁爛漫(ごじょくらんまん)な世の中を正常にするには、柔和忍辱の精神が必要です。
日蓮正宗の信心は、侮辱・屈辱を受けたり災害にあった時に、どうような言動をとれば無難であるのか説いているのであります。その一つの心構えが「柔和忍辱衣」です。
信心において、この「柔和忍辱衣」は自行化他両面にわたって見つめることが必要です。応用すれば、信心と生活に活用され、実行していくことで安穏な境界を築くことが出来ます。世間一般では、柔和な気持ちと忍辱という耐え忍ぶことが、疎かになっている姿が見受けられます。まさしく、爾前権教に執着するために、出来上がった結果が今の世相となって現れています。この五濁爛漫となった世相を修復するには、日蓮大聖人の教えに基づいた柔和忍辱の精神です。世相を修復するのが私達の修行となる折伏です。
信心をしていても、柔和な気持ちと忍辱の心を時々忘れてしまうことがあります。忘れないようにする行が勤行唱題です。勤行唱題では、柔和忍辱の精神を心に刻む大事な修行です。世俗の思想が根強く御利益主義に走る傾向がある人は、この柔和忍辱の精神を心に染めながら勤行唱題することであります。その根強い執着心も柔和になって和らぎ、忍辱の精神が養われていきます。そして地涌の菩薩としての自覚も出来上がります。
信心は「柔和忍辱衣」を心に纏(まと)うことが大切です。