日蓮正宗のススメ

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教学の学とは

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教学の学とは
2005-11-21 | 手引書①
 「信」と「行」を強力にするため教学という「学」が必要不可欠です。教学である「学」は、日蓮大聖人が説かれた「御書」や歴代の御法主上人猊下の御指南を学びます。教学を学ぶことで人生の苦悩を未然に防ぐ知識を付けることが出来ます。また、宗教や仏教の正邪を理解することもできます。この正邪を知ることで人々を救っていく折伏智慧が付くわけです。
 『御義口伝』に、
 「学とは無智なり、無学とは有智なり」(御書1748)
と説かれており、一般世間でいうところの無学と仏法で説くところの無学は意味が異なります。世間では無学というと学問が無いということになりますが、仏法においては無学となると智慧があり、学ぶものが全く無いという意味になります。つまり仏様を意味することになります。日蓮大聖人の仏法を学ぶときは世間一般の知識と間違った仏法と混同しないように気を付けましょう。
 日蓮大聖人は『十法界明因果抄』に、
 「何に況んや当世の学者偏執(へんしゅう)を先と為して我慢を挿(さしはさ)み、火を水と諍(あらそ)ひ之を糾(ただ)さず。偶(たまたま)仏の教への如く教へを宣ぶる学者をも之を信用せず。故に謗法ならざる者は万が一なるか」(御書208)
と御教示であり、仏教学者という肩書きを持つ人は、本来の仏法と違う偏った教えを説くので信用しないよう仰せです。
 『一代聖教大意』に、
 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書92)
と御指南のように、正しい仏法や御経は御相伝によらなければ学ぶことが出来ません。相伝仏法を受け継いでおられる方が、御法主上人猊下であります。日蓮大聖人の御書も、御法主上人猊下が御指南下さる御言葉を拝し学ぶことが大事です。第二祖日興上人は「佐渡国法華講衆御返事」に、
 「このほうもん(法門)はしでし(師弟子)を、たゞして、ほとけ(仏)になるほうもん(法門)にて候なり(中略)なをなをこのほうもん(法門)は、しでし(師弟子)をたゞしてほとけ(仏)になり候。しでし(師弟子)だにもちが(違)い候へば、おな(同)じほくゑ(法華)をたも(持)ちまいらせて候へども、むげんぢごく(無間地獄)にお(堕)ち候也」(歴全1-182)
と御指南であり、師弟相対したところに教学を学ばなければ無間地獄へ堕ちるという非常に厳しく仰せになっております。
 「学」には「戒定慧の三学」というのがあります。『御講聞書』に、
 「戒定慧の三学は妙法蓮華経なり」(御書1840)
と説かれるように、御題目の南無妙法蓮華経には、戒定慧の三学が具わっています。三学とは仏道を修行する者が、必ず修学しなければならないものが戒定慧です。戒は禁戒で、身口意の三業の悪を止め非を防いで善を修することです。定は禅定で、心を一所に定めて雑念を払い安定した境地に立つことです。慧は智慧で、煩悩を断じて真理を照らし顕わすことです。
 戒によって定を助け、定によって慧を発し、慧によって仏道を証得することになります。末法の三学は、寿量品の事の三大秘法と説き、虚空不動戒を本門の戒壇、虚空不動定を本門の本尊、虚空不動慧を本門の題目としています。これは三大秘法の御本尊様を意味します。  
 日蓮正宗の信心は学ぶことが大事です。学ぶことで幸せを掴み、成仏の近道です。お寺へ参詣し教学を身に付けましょう。