日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

御書の真蹟・曾存・古写本と真偽問題について、日寛上人の御書文段(観心本尊抄文段)を拝す

平成新編 日蓮大聖人御書(大石寺)

平成新編 日蓮大聖人御書(大石寺)

 

真蹟(読み)しんせき とは、その人が書いたものであると確実に認められる筆跡や真筆のこと。国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果

大聖人様の真蹟コレクションを見つけました。参考までに。

神保弁静という方の編纂したもので、この方は、神保日慈さんと同一人物ではないでしょうか?

神保日慈(読み)じんぼ にちじ
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
神保日慈 じんぼ-にちじ

1869-1937 明治-昭和時代前期の僧。
明治2年生まれ。日蓮(にちれん)宗。浅草幸竜寺の住職をへて,大本山法華経寺貫首(かんじゅ)となる。昭和8年より11年まで日蓮宗管長。大正3年日蓮聖人御真蹟(ごしんせき)」を編集,刊行した。昭和12年2月27日死去。69歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。字(あざな)は弁静。号は祐妙院。

曾存(そうぞん)とは、曾(かつ)て存在した真蹟を元に原文と写本の対照を行った写本のこと。

古写本とは、古い時代に筆写した本。主として室町末期ころまでのものをいう。

私は、平成新編 日蓮大聖人御書(大石寺)を使用していますが(以後、新編という)、新編にも御書の目次に真蹟所在・古写本が一覧表に掲載されております。

我々信徒は御書の拝読すら未熟でありますが、御書の編纂の労苦に思いを馳せ感謝申し上げるとともに、他門流並びに異流儀からの邪難に対処するため、法華講諸氏の啓発に資するよう一筆啓上仕る次第であります。

御書の真蹟問題に五月蠅いのは、身延日蓮宗が筆頭ですが、最近では創価学会もこれに乗っかって、法論・対論を吹っかけてきては、御書の真偽問題をしたり顔で難詰してまいります。

他門にせよ、異流儀にせよ、御書の資料に関して云々する魂胆は見え見えで、要するに

  1. 戒壇の大御本尊への不信
  2. 日蓮正宗に伝わる血脈相承・相伝への不信

に尽きるわけであります。 

日寛上人御書文段

日寛上人御書文段

 

まじめな法華講員さんが、自分の知識の不足から相手の口車に乗せられて、参ったを言う必要がないよう、日寛上人様がお残しくだされた、御書文段の意義を十分に周知されることを願って、以下の文章を書きますのでご参考になさってください。 

日寛上人 御書文段 総目次 : 日蓮大聖人『御書』解説

日蓮大聖人『御書』解説ブログさんの御書文段総目次を参照しますと、

富士大石寺二十六世 

日寛上人 御書文段

  • 立正安国論愚記       正徳五年十月二十八日 1715年
  • 撰時抄上愚記        正徳五年十一月十五日
  • 撰時抄下愚記        正徳六年三月十八日  1716年
  • 法華経題目抄文段      享保元年八月十五日  1717年
  • 法華取要抄文段       享保二年八月十五日
  • 開目抄愚記上      享保二年頃
  • 開目抄愚記下      享保二年頃
  • 当体義抄文段      享保六年二月十六日  1721年
  • 観心本尊抄文段上    享保六年十一月上旬
  • 観心本尊抄文段下       同
  • 報恩抄文段上      享保七年二月二十四日 1722年
  • 報恩抄文段下      享保七年三月二十八日
  • 妙法尼抄記         年次不詳八月廿日
  • 法華取要抄私記       以下年次不詳
  • 如説修行抄筆記
  • 妙法曼荼羅供養抄記
  • 妙法曼荼羅供養抄見聞筆記        

と、なっております。大石寺日寛上人御書文段の配列とは少し違っているようです。日寛上人文段集かもしれませんね。 

日寛上人文段集

日寛上人文段集

 

この御書文段の白眉は、

です。

と、申しますのも、日寛上人様の有名な臨終のお話で、御自身の説かれた法門の正邪を、死に様を鑑とされると宣言されたのが、この観心本尊抄文段講義後のことだったのです。

第一回夏期講習会
    御法主日顕上人猊下御講義
     「日寛上人の御事績」について
      夏期講習会 第八期(平成七年七月十九日)
                   於 総本山広布坊

   五、最後の『本尊抄』講義と御遷化
 最後に享保十一年の春に、江戸においでになって、お寺の名前が判らないのですが、常在寺か妙縁寺だと思います。どちらかだと思いますけれども、最後の『観心本尊抄』を講義された。その最後の講義が終わったときに、すでに世を去ること近しということをご存知で、この時、戯れの如く仰せられたのが、彼の羅什三蔵が舌が焼けなかったというところの故事があると。それにちなんで今、日寛も一つ言い残すことがある。日寛は平生蕎麦を好む。だから、臨終の時は必ず蕎麦を食べると。そして、それから唱題をして、その唱題の内に息を引き取るであろうと言われ、もしこのことが実現しなかったならば、日寛の今までの『観心本尊抄』の講説は間違っていると思ってもよろしい。しかし、もし私が言うごとく臨終したならば、必ずこの『観心本尊抄』の講説の意義は、他門独歩の本当の大聖人の正しい深義を説いたものであるということを信ぜよ、ということをおっしゃったのであります。

引用元:「日寛上人の御事績」について | あしなみ揃えて! ~日蓮大聖人様に寄り添いながら~ - 楽天ブログ

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観心本尊抄は真蹟が中山法華経寺に現存し、国宝に指定されています。

真蹟が、真蹟がと五月蠅い連中を黙らすにも、文句のつけようがない御書であり、戒壇の大御本尊様(法本尊開顕の書)のことを説き著して下さっておりますが、身延読み(学者読み)ではその意図がくみ取れません。しかし、日寛上人様は御自身の御内証(相伝を受けられた御悟り)の上から、論理的(理証)に証明されておられるのです。

何を証明なさったのでしょうか?

戒壇の大御本尊様が、日蓮大聖人様の出世の本懐たる、一閻浮提総与の法体(三大秘法の当体)であることを証明されておるのです。 

観心本尊抄文段 上 目次 : 日蓮大聖人『御書』解説

観心本尊抄文段 下 目次 : 日蓮大聖人『御書』解説

目次を読むだけでも勉強になります。御本尊様に総別が存在することの、証明部分だけでも掲載しておきましょうか。御一読ください。

観心本尊抄文段 下六  本門戒壇の本尊は応(まさ)に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提一切衆生の本尊なるが故なり。自余(じよ)の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。

 


 問う、妙法蓮華経の左右に文字に書きあらわす仏菩薩等と、色相しきそう荘厳しょうごん造立ぞうりゅうの仏菩薩等と、何のことなりありや。

答う、種本脱迹だつしゃく、天地雲泥うんでいなり。謂く、文字もんじに書き顕す仏菩薩等は本地自証じしょうの妙法、無作むさ本有ほんぬの体徳なり。たとえば種子の中に百千の枝葉を具足するが如し。若し色相荘厳の造立ぞうりゅうの仏菩薩等は迹中化他の形像ぎょうぞうなり。たとえば種子より生ずる所の百千枝葉の如し。あにせきあらずや。

問う、色相荘厳の仏菩薩等を以て、何ぞ必ずしも迹中の形像と云わんや。

答う、教時義に云く「世間みな仏に三十二相をするを知る。の世情に随って三十二相を以て仏とす」と文。当に知るべし、劣応れっとうの三十二相八十しゅごう勝応しょうおうの八万四千の相好そうごう受用じゅゆうほうしんの十蓮華蔵微塵みじんの相好、及び微妙みみょう浄法じょうほっしんの具相三十二、応仏昇進しょうしん自受じじゅゆうしん等は皆世情に順じて現ずる所の仏身なり。故に機縁に随って相好に多少あり。故に止観しかん第七に云く「縁の為に同じからず。多少は彼にり」等云云。

問う、たとい色相荘厳といえども、若し本果の成道じょうどうの如きは即ち是れ本地自行の成道なり。何ぞしゃく中化ちゅうけの形像といわんや。

答う、本果第一番の成道にすでに四仏あり。つぶさに四教・八教を説く。故に天台云く「本地の四仏」等云云。妙楽云く「久遠にまた四教有り」等云云。既に四教・八教有り。あに化他の形像にあらずや。妙楽云く「本地ほんちの自行はただ円と合す。化他は不定、亦八教有り」等云云

問う、辰抄しんしょうに云く「本尊に総体・別体あり。総体の本尊とは一幅いっぷくの大曼荼羅まんだらなり。即ち当文是れなり。別体の本尊にまた二義あり。一には人本尊。いわく、報恩抄・三大秘法抄・佐渡抄・当抄の下の文の『事行の南無妙法蓮華経の五字七字並びに本門の本尊』等の文これなり。二には法の本尊。すなわち本尊問答抄の『末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とすべし』等の文是なり」と云云。此の義如何いかん

答う、此れは是れ文底の大事を知らず、人法体一のじんに迷い、ただ在世だっちゃく・教相の本尊にしゅうして以て末法下種の観心の本尊と為す。故に諸抄の意に通ずるあたわず。ほしいままに総体、別体の名目みょうもくを立て、曲げて諸文をし、宗祖のこころを失うなり。

まさに知るべし、日辰所引の諸抄の意は、並びに是れ人法体一の本尊なり。人法体一なりといえども、しかも人法宛然おんねんなり。故にあるいは人そく法の本尊に約し、或は法即人の本尊に約するなり。人即法の本尊とは即ち是れ自受用身そく一念三千の大曼荼羅まんだらなり。法即人の本尊とは一念三千即自受用身のれん聖人是れなり。当文及び本尊問答抄当抄の下の文の「本門の本尊」、佐渡抄の「本門の本尊」の文は並びに是れ人そく法の本尊なり。三大秘法抄報恩抄等は法即人の本尊なり。

問う、当門流に於ては総体、別体の名目みょうもく、是れを立つべからざるや

答う、の名を借りて以て其の義を明かさば、本門戒壇の本尊はまさに是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻いちえん浮提ぶだいの一切衆生の本尊なるが故なり。自余じよの本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々おのおのの本尊なるが故なり。