日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

高田屋嘉兵衛とピョートル・リコルド〜 幕末の日露外交危機を克服した二人の友情

 

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高田屋嘉兵衛さんです。淡路島の豪商でした。

■1.高田屋嘉兵衛

 乳白色の霧の中から小舟が現れ、近づいてきた。文化9(1812)年9月18日朝、千島列島最南端の国後(くなしり)島の泊(とまり)湾に入ってきた観世丸に、その小舟が400メートルほどに近づくと、十数名のロシア兵が乗っているのが見えた。観世丸の水夫たちはたちまち大混乱に陥り、右往左往するばかりだった。

 小舟はさらに近づき、観世丸に身振りで停戦を命じた。14、5メートルに近づくと、船底に隠れていた兵がさらに十数人現れて、逃げようとする観世丸に空砲を放った。観世丸はやむなく帆を下ろした。水夫たちは慌てふためいて、海中に飛び込んだり、舳(へさき)の方に逃げ隠れたりした。

 ロシア兵たちは観世丸に乗り移り、ただ一人大声で水夫たちに命令している身長150センチほどの男を取り囲んだ。男はロシア兵に激しく抵抗したが、大柄の異国人に囲まれ、あきらめて縛についた。

 男はこの船の親方であることを身振りで示した。それがロシア兵に通じて、縄は解かれた。ロシア兵たちは観世丸を操って、大小2隻のロシア軍艦の間に繋ぎ、男にロシア軍艦に移るよう手真似で命じた。男はロシア兵たちを待たせて、衣服を取り替え、羽織をはおり、脇差しを腰に帯びて、ロシア軍艦に移った。

 男の名は高田屋嘉兵衛。淡路島の百姓の子として生まれ、長じては船乗りとなり、やがて何艘もの巨船を保有する船持ち船頭となった後、蝦夷地(北海道)との交易で一大海商にのし上がった。函館港など蝦夷地の開拓に功績により、幕府からも名字帯刀を許された。この時、すでに40歳代であった。


■2.リコルドの決心

 大きい方のロシア軍艦ディアナ号に乗り移った嘉兵衛は、ハッチを降りて、船室に導かれた。そこには船長と思われる、まだ40前の人物が座っていた。ピョートル・リコルドである。リコルドは日本人漂流民から習った片言の日本語を使って、嘉兵衛と話をした。

 リコルドがこの湾に来たのは、前年、ディアナ号が千島南部の測量のため、この泊湾にやってきた際に、ゴローニン艦長以下7名と通訳のアイヌ人が日本側の陣屋に捕縛されてしまったからだった。

 日本側がゴローニン以下を捕縛したのは、その5年前の文化3(1806)年とその翌年にかけて、ロシア軍艦が樺太、千島の日本側番所を襲い、物資を強奪し、番人らを拉致するという事件を起こしていたからだった。

 この事件の下手人、ロシア海軍士官フォストフは、文化元(1803)年に通商を求めて来日したロシア使節レザノフの部下だった。レザノフは半年も待たされた挙げ句に幕府の拒絶にあい、失意の内に帰航した。彼の「日本に通商の門戸を開かせるには武力による威圧以外にない」という意向を受けて、フォストフが事件を起こしたのだった。

 ゴローニン艦長に代わって指揮をとることになったリコルドは、日本側の仕打ちがフォストフの暴虐への復讐のためであった事を察して、無理な戦もできず、傷心のうちにオホーツク港に戻った。

 翌年、リコルドはフォストフが拉致した日本人たちを連れて、彼らとの引き換えにゴローニン以下を取り戻そうと、再度、国後島にやってきたのだった。しかし、日本の陣屋はまったく取り合わない。この上は、航行中の日本船から確かな日本人を捕らえて、交渉するしかないとリコルドは決心した。ちょうど、そこに嘉兵衛の観世丸が泊湾に入ってきたのだった。 

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 ■3.ロシアに連れて行く

 リコルドはゴローニンの消息を嘉兵衛に聞いた。嘉兵衛は「カピタンらは松前で元気にしている」と答えた。

 リコルドは限られた日本語の知識を便りに、大変な苦労の末、嘉兵衛の言わんとすることをおぼろげに理解した。しかし、嘉兵衛から「ゴローニン」の名前が一言も出てこないことに疑念が残った。嘉兵衛がカピタンと言ったのは、キャプテン、すなわちゴローニン艦長の事だったのだが、そこまでリコルドは理解できなかった。

 乗組員の中にも、嘉兵衛の言葉を信じずに、ゴローニンらは殺害されたとして、報復戦をすべきだと激烈に主張する者もいた。しかしリコルドは嘉兵衛をカムチャッカに連れて行って、十分時間をかけてゴローニンらの消息と日本側の意向を聞きただすことにした。

 彼はその旨をなんとか嘉兵衛に説明したが、すでに覚悟を決めていた嘉兵衛は冷静にこれを承諾して、リコルドを驚かせた。嘉兵衛が出したただ一つの条件は、「ロシアに行っても決してリコルドと分かれる事のないようにしてくれ」という事だった。嘉兵衛もすでにリコルドを信頼できる人物と見てとっていたのである。

 リコルドは連れてきた日本人抑留者たちを釈放し、その代わりに嘉兵衛の身の回りの世話で部下4人を連れていく、と主張した。嘉兵衛は、部下を思いやって自分一人で行くと言い張ったが、リコルドはこの要求は曲げなかった。

 嘉兵衛はやむなく承知し、観世丸で部下たちに説明するので、リコルドに一緒に来て欲しいと頼んだ。彼の温和な顔を見せて部下たちを安心させたい、という思いだった。リコルドは承諾した。観世丸に乗り込んだら身が危ないという危険もあったが、すでに嘉兵衛を信頼していたのだろう。

 観世丸では嘉兵衛と部下たちが涙ながらに別れを悲しむ光景を見て、リコルドは心動かされた。一緒にロシアに行く4人はすぐに志願してくれた。また嘉兵衛は松前奉行宛に手紙を書いて、両国の平和のために努力し、たとえ死んでも故国を裏切る存念は毛頭ない、と結んだ。


■4.「両国間の不幸な事件解決の使命」

 ディアナ号は荒天の中を千島列島沿いに3週間ほどかけて北上し、9月11日、カムチャッカ半島南東部のペテロパウロフスク港に入港した。嘉兵衛は役所の建物の24畳ほどの部屋でリコルドと寝起きをともにすることになった。牢獄に入れられると思っていた嘉兵衛は、これには驚くとともに、ほっとする思いであった。

 隣の部屋には12歳のオリカというボーイが住み込んでいた。嘉兵衛はオリカに日本語を教え、彼からロシア語を習った。終日、顔を合わせていたので、嘉兵衛は20日ほどで片言の日常会話ができるようになった。

 起居を共にするリコルドとも、日本語とロシア語を混ぜた二人だけの言語で、かなり抽象的なことまで意思が通じるようになった。嘉兵衛は五年ぶりに立ち寄った国後島の泊湾でリコルドと出会ったのは、両国間の不幸な事件解決の使命を天から与えられたものだろう、と熱っぽく語った。

 また、ロシア政府がフォストフの略奪行為には関与していないという趣旨の文書を、しかるべき高官から松前奉行宛に出せば、抑留ロシア人は必ず保釈されると、言い切った。リコルドは、早速、嘉兵衛の言葉を信じて、片道15日もかかるバイカル湖畔のイルクーツクにいるシベリア総督から、その旨の陳謝状を取り付けようと旅立っていった。

 年が明けて、2月、嘉兵衛の部下3名が生活環境の違いから病気にかかり、相次いで亡くなった。 

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■5.嘉兵衛の激怒

 4月17日、ディアナ号は嘉兵衛ら残る3人の日本人を乗せて、出航した。実はリコルドはカムチャッカ長官に昇進していたのだが、嘉兵衛を送り返し、ゴローニンを取り戻すための日本行きを優先したのである。

 ロシア側ではゴローニン以下はもう殺されている、と信じ、5隻の艦隊を派遣し、日本を威圧しようという計画もあった。イルクーツクのシベリア提督からの釈明書も届いていないが、このまま待っていたら、どんな事になるか分からないと、リコルドは独断で船を出した。嘉兵衛は感動し、自分もゴローニンたちの釈放に本気で努力しようと心に決めた。

 日本の陣屋が見える泊湾に辿り着き、今後の交渉方法を話し合う中で嘉兵衛とリコルドの衝突が起きた。まず二人の部下を陣屋にやる、という嘉兵衛の提案にリコルドは異存はなかったが、「一人は明日、艦に帰してくれ」と条件をつけた。これが「まだ、そんなことをいうか」と嘉兵衛を激怒させた。

 二人が陣屋に行けば、役人衆の指図に従わなければならない。だから、戻れるかどうか約束などできない。嘉兵衛はここで習慣も考え方も全く違うロシア側と日本側が直接交渉しても、摩擦が生じるばかりで、困難に陥ることは間違いない、と思った。唯一の道は、彼が交渉の仲立ちができるよう全面的委任をリコルドから取り付けることであった。

 そこで嘉兵衛は異常な振る舞いに及んだ。周囲のロシア兵たちから逃れて物見櫓に駆け上り、リコルドに一対一の勝負を呼びかけた。リコルドの肩先に脇差しで少し突けば、それで自分の名誉は保てるから、あとは切腹するという。ここで嘉兵衛に死なれては元も子もない。リコルドは腰の剣をはずしてから、物見櫓に登り、嘉兵衛の手をとって自分の不行き届きを詫びた。

 リコルドは周りの水兵等を遠ざけ、二人で物見櫓を降りて、艦長室に行き、ホッとした表情でまず一杯の茶を飲んだ。そして、火薬庫に火をつけさえすれば、乗組員一同の命は一瞬に奪えるじゃないか、と言った。嘉兵衛は「人の油断を窺う報復は、弱い小心者のすることだ、わしは正面切って話をつけるんだ」と胸を張った。リコルドは後に回想録でこう書いている。

__________
 かうした悲壮にして断乎たる意図を示し、心から打ち解けた態度を見せられると、私の眼には嘉兵衛は全く得難い人物だと映るのであった。そして今まで隠れてゐた彼の度量の大きさが現はれるにつれて、彼に対する私の尊敬はいよいよ高まって行った。[1, p267]
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 リコルドは陣屋との交渉を全面的に嘉兵衛に任せる気持ちになった。フォストフ事件の謝罪文がいるなら、文案を指示して貰えば、その通り書く、とまで言った。二人は最後の晩を朝まで語り尽くした。


■6.ハンカチの半分

 嘉兵衛の上陸の用意は整った。リコルドに頼んで、ウォッカを乗組員一同に振る舞った。背丈の高い将兵たちを前に、嘉兵衛は今までの友誼に礼を述べた。将兵の代表二人が、ゴローニン以下7人の円満な釈放について宜しく配慮を頼む、と述べて敬礼した。

ボートが下ろされ、嘉兵衛が乗り込んだ。リコルド自身も乗り込んで、嘉兵衛を送り届けるという。見るとリコルドは帯剣をはずして丸腰だった。「敵国に乗り込むのに、なぜ帯剣をはずしたのか」と嘉兵衛が聞くと、リコルドは「わたしはすでに船も人もタイショウ(大将)に任せた。丸腰でお送りするのは敬意を表する意味だ」と答えて、嘉兵衛を感激させた。

 ボートが陸に着くと、リコルドはポケットから取り出したハンカチを二つに引き裂き、その半分を嘉兵衛に渡しながら言った。「お前がおれの親友なら、明後日か明明後日か遅くもその翌の日までには、あと半分のハンカチを持ってくるに違いない」

 嘉兵衛が海岸でそのハンカチを振ったのは、翌日だった。ディアナ号からは、すぐに迎えのボートが来た。嘉兵衛は陣屋の役人から渡された教諭書を示した。フォストフ事件について謝罪するなら、協議の上、ゴローニン以下7名の者を帰国させる、という松前奉行から、あらかじめ配布されていた書状だった。 

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■7.大男たちの歓喜

 その後、松前からのゴローニンの自筆の手紙が陣屋に届き、嘉兵衛はそれをリコルドに渡すよう命ぜられた。リコルドが封を切ると、文は「無事松前にいる」とのわずか2行だったが、まさしくゴロウニンの筆跡だった。

 手紙をわしづかみにしたリコルドは艦長室から甲板に駆け上がり、大声で全乗組員の集合を命じた。皆が集まると、手紙を声高く読み上げた。リコルドの感激と歓喜は、たちまち乗組員全員に伝わった。3年越しの苦悩が、氷解した一瞬であった。

 この有様を傍らで見ていた嘉兵衛は、人情は国境を越え、民族を越えて変りないことを今更のように感じた。興奮におののく乗組員らは、その手紙をもたらした嘉兵衛の存在に気がつくと、争ってかれの手をとり抱擁した。小さな嘉兵衛は大男らのなかに埋まってしまった。将兵らは朝のさわやかな甲板で祝杯をあげ、果ては唄い踊りだす者も出るほどであった。


■8.「タイショウ、ウラア!」

 その後、ディアナ号はロシア政府からのフォストフ事件の釈明書をとりに、一端、母国に戻り、9月17日に函館港に入った。嘉兵衛もそこで待ち受けていた。嘉兵衛の仲介により、厳かな儀式の中でロシア側の釈明書が幕府の奉行に手渡された。その上で、ゴローニンたちがリコルドに引き渡された。リコルドはゴローニンのもとに駆けよって、しっかりと抱き合った。

 ロシアに戻るディアナ号に日本側から心づくしの水、薪、野菜、白米、塩などが届けられた。ロシアの水兵たちと日本の漁夫たちは、力を合わせて積み込み作業を行った。

 9月29日、順風が吹き始め、ディアナ号は出帆合図の信号をあげた。嘉兵衛は大型船で駆けつけ、ディアナ号を沖合に曳船した。湾の出口で、ディアナ号乗組員全員が甲板に整列し、一斉にウラア(万歳)を唱えた。

 彼らはさらに、嘉兵衛への感謝と敬愛をこめて「タイショウ、ウラア!」を三唱した。嘉兵衛も船の高い所に立って「ウラア、ヂアナ!」と絶叫した。こうして、幕末最大の日露外交危機は嘉兵衛とリコルドの友情によって無事に収束したのである。
(文責 伊勢雅臣) 

日本幽囚記 中 (岩波文庫 青 421-2)

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日本幽囚記 下 (岩波文庫 青 421-3)

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■リンク■

a. JOG(302) 間宮林蔵樺太探検
 ロシア艦来襲時の敗走者との汚名をそそぐべく、林蔵は命をかけた樺太探検に乗り出した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog302.html

b. JOG(293) 川路聖謨プチャーチン 〜 幕末名外交官の激突
 通商と国境策定の問題を激しく論じ合う二人の間にひそかな共感が芽生えていった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog293.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 柴村羊五『北海の豪商 高田屋嘉兵衛─日露危機を救った幕末傑物伝』★★、亜紀書房、H12
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4750500143/japanontheg01-22/

2. 司馬遼太郎菜の花の沖 (6)』★★★、文春文庫、H12
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4167105918/japanontheg01-22/

3. 童門冬二高田屋嘉兵衛 (物語と史蹟をたずねて)』★★、成美堂出版、S63
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4415065694/japanonthegl0-22/


■伊勢雅臣より

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