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韓国が日本にわけのわからない言動を繰り返すのはなぜか?

 

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全世界のアメ通読者の皆様、TSJ管理人です。

さて、皆さんも存分にご存知の通り、「レーダー照射」問題、お隣のあの国は、相変わらず日本人には到底容易には理解出来ない、奇妙な言動を次から次へと繰り出し続けています。

ここまで来ると、何が何やら・・・わけがわからない・・・と管理人なども頭を抱えているわけですが、我らが”必殺仕事人”wにして、”歩く情報戦”ww山岡鉄秀メンバーwのお馴染み必読本 

日本よ、情報戦はこう戦え!

日本よ、情報戦はこう戦え!

 

に、「まさに…それな…」としか言いようのない、今の状況を見通していたような、示唆に富むお話がありますので、今こそ、これをご紹介せねば!
ということで、少々長くなりますが、なんとしてもお読み下さい。

キーワードは「誣告(ぶこく)」「避諱(ひき)」「性即理」の3つです。

山岡さんの『日本よ、情報戦はこう戦え!』は、現状このような事態になっているからこそ、絶対に必要な知見が満載の本です。

未読の方は<<絶対に>>読んで下さい。絶対ですw

それでは、以下に同書よりご紹介します。

(TSJ"@紫"管理人 / https://twitter.com/realistjp

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日本よ、情報戦はこう戦え!

日本よ、情報戦はこう戦え!

 

●相手を貶めるための嘘「誣告(ぶこく)」は中国のお家芸

ここで私が特に取り上げたいのが、中国人の恐るべき伝統、「誣告(ぶこく)」だ。
「誣告(ぶこく)」は立命館大学の北村稔名誉教授に教わった。
「誣告(ぶこく)」という概念は、「虚偽の事実で訴える」ことである。
虚偽の申請、虚偽の訴えをして相手を貶めるという意味だ。

●「伝統的に嘘つきだ」と理解した上で対する

中国で教学の観念としてある「誣告(ぶこく)」という行為、つまり意図的に事実を偽り、他人を罪に陥れるために告訴する、ということは日本の文化に相いれないものだった。
一方、中国や韓国では、同国人同士で「誣告(ぶこく)」し合ってきた長い歴史があり、伝統となっている。
それが日本に対して向けられたのが南京大虐殺であり、慰安婦強制連行であるということだ。

韓国で桁外れに偽証罪が多いのは、「誣告(ぶこく)」文化だからだ。
中国や韓国には、事実を偽り他人を罪に陥れる「誣告(ぶこく)」という概念があることを、日本人は知らなければいけない。

まさに小さな怒りを大きな恨みに仕立て上げ、過去の古い案件を新たに蒸し返し、大げさに言うのが「誣告(ぶこく)」の手法である。

北村教授によれば、中国ではかつて、でたらめな訴訟を書くことを専門にした「訟師」と呼ばれる職業まであったという。

日本人は、事実にまったく即していないことを言うことに非常に抵抗があるが、中国や韓国は逆で、まさに息をするように嘘をつくのが当たり前で、そうしなければ生き残れなかったという長い歴史と伝統があることを理解して対応しなければならない。

●悪事はもみ消す「避諱(ひき)」という文化と伝統

これも北村教授に教わったことだが、儒教の後継変種である朱子学に含まれている、避諱」という教えがある。

避とは、都合の悪いことを隠す、という意味で現在も使われているそうだが、もともとの意味は、「徳のある人間の過失を隠すことは尊い行為だ」という教えである。

たとえば、道徳水準の高い君子が治めてこそ国は安定する。
徳のない小人が政権を担えば、たちまち乱世だ。
君子も人間だから時には過ちを犯すわけだが、社会の安定のためには君子の犯した過ちは隠し、逆に功績はことさら大げさに讃え、威信を高めることが大事なのだ。
それは道徳的に正しい行為だとされている。

つまり、国を治めることを大前提の至上命令と考えたら、それを治める人の悪いところは隠し、いいところは誇大に宣伝することが道徳的に正しいというのだ。

だから中国や韓国では、あらゆる醜態も悪事も隠すことがむしろ道徳にかなった義務になっているわけだ。

過ちを隠すということは、真実を隠して嘘を申告するということになる。
したがって、「避諱(ひき)」は「誣告(ぶこく)」に容易に転化してしまうと北村教授は言う。
避諱から誣告へとつながっていくシークエンスがあるわけである。

小学生が日本人に慰安婦にされたとか、一般家庭から二〇万人の少女が拉致されて性奴隷にされて虐殺されたなど、なんの証拠のないままに勝手に話を膨らませ、被害者として自己陶酔している韓国人の姿に激しい違和感を覚える日本人は多いが、しかし彼らにとっては伝統の「誣告」にすぎないのである。

●泥棒に追い銭をする日本の文化

さらに北村教授は朱子学には、「性即理」という基本原理があることを指摘する。

性とは人間の本性、すなわち主観的願望であり、その性に客観的世界を律する理が一体化することで、自分たちの主観的願望に限りない客観性がもたらされる」という考え方である。

それゆえ中国人や韓国人にとって、「誣告(ぶこく)」とは自らの主観的願望を客観的事実だと強弁することに同義だ。
主観的願望ありきだから、主観的願望が変われば、「誣告(ぶこく)」の内容も変わっていく。

主観的願望とは無関係に、事実は事実として客観的に存在するという日本人の発想とはまったく相いれない。

そして、「誣告(ぶこく)」や「避諱(ひき)」が韓国の恨の文化に結びついたらいったいどうなるのか、火を見るより明らかだろう。

異民族を自国文化の延長で理解しようと思ってはいけないのだ。

たとえば、韓国がお家芸の「誣告(ぶこく)」を繰り出しているときにひたすら謝罪して金で解決しようとしたら、いったいどうなるか?
相手が道徳的行為としてやっている「誣告(ぶこく)」で金をせしめることができたら、ますます「誣告(ぶこく)」は激しくなるだろう。

だから、日本のようにひたすら自己批判して平身低頭すれば平和がもたらされるという発想は、絶好のカモなのだ。まさに日本人は告の格好の餌食である。

それらを理解した上で、第二章で述べた優位戦の議論に持ち込まなければいけない。
そういうことの理解なしでは勝てるわけがないのである。

これも中国の古典『孫子』の兵法で「相手を知り、己を知れば百戦殆からず」という言葉があるが、その「相手を知り」という部分が全然できていないのが、今の日本なのだ。

何度騙されても、誠意を示せば相手も誠意を示してくれる、といった極めて非現実的なお花畑的発想から抜け出せない時点で、もうすでに負けている。 

日本よ、情報戦はこう戦え!

日本よ、情報戦はこう戦え!

 

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▼山岡鉄秀▼
AJCN Inc.代表・公益財団法人モラロジー研究所研究員
 1965年、東京都生まれ。中央大学卒業後、シドニー大学大学院、ニューサウスウェールズ大学大学院修士課程修了。
 2014年、豪州ストラスフィールド市において、中韓反日団体が仕掛ける慰安婦像設置計画に遭遇。
子供を持つ母親ら現地日系人を率いてAJCNを結成。
「コミュニティの平和と融和の大切さ」を説いて非日系住民の支持を広げ、圧倒的劣勢を挽回。
 2015年8月、同市での「慰安婦像設置」阻止に成功した。
著書に、国連の欺瞞と朝日の英字新聞など英語宣伝戦の陥穽を追及した『日本よ、もう謝るな!』(飛鳥新社

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