日蓮正宗のススメ

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

七五三お祝いの意義

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『日曜講話』第五号(昭和63年11月1日発行)
七五三お祝いの意義

 皆さん、お早うございます。今日は十一月の十五日。宗門にとりましては、第三祖日目上人の御正当日に当たっております。世間でも十一月十五日は、皆様も御存じのように、七五三のお子さん達のお祝いの日ということになっております。日本におきまして、七五三のお祝いを十一月十五日にするようになりましたのは、江戸時代の半ばでございまして、第五代将軍の綱吉の時代に、そのお子さんの徳松君という方がいらっしゃいまして、この方の七五三のお祝いを十一月十五日になさったということが、次第次第に世間の人達にも及んで、毎年十一月に、そうした三才、五才、七才のお祝いをするようになったと言われております。

昔は、幼い幼児の時代に亡くなってしまうということも非常に多かったようでございます。今のように衛生観念も発達しておりません。また、医学も、そうそう、その恩恵に皆が浴するということのできない時代でございましたから、なかなか一生を通じて人生を全うするということも非常に難しい時代であったのであります。ですから、どこの家庭でも七人、八人、中には十人、十一人とたくさんの子供を生んでも、その半ば、半分位しか育たないというような家庭もあったと思われるのであります。それとまた、昔は人別帳と申しまして、今日の戸籍に当たりますが、それに登録されるのは、誕生時ではないのでありまして、七五三の少なくとも三才を迎えて初めて第二の誕生として、はっきりと人別帳に記録をされるというようなこともございまして、生まれてから二、三才の間は、どうなるか、まだわからない。本当に育つのものかどうなのか、はっきりと親も確信がもてないというような時代であったのであります。従って三才になったら三才になった喜びをかみ締め、又、男の子が五才になったら、この子はいよいよ大丈夫だ、我が家を継いでくれる、充分な子供に成長してくれるということも願い、そうした親の希望もあり親の願いもあって、また、親の確信も生まれて、喜びと共に袴着の御祝いをする。

 三才の女の子は、髪置きの式と言いまして、今まで結えなかった頭を結える時代になった喜び。また、七才の女の子は今まで、紐の付いた着物を着ていたのが、いよいよ帯を締められる時代になったということを喜ぶということがあったわけであります。今のように子供のための医学だとか、特効薬のような薬のない時代の人々にとって、そうしたどその頃のお子さんは知恵も感情も、言葉や表情等、一挙手一投足が段々とかわいらしくなってくる。それ以上になってくると、また、にくたらしくなってくるわけでありますけれども、三才また七才の時代は本当にかわいらしく、親の言うことも分かるようになるし、親子の愛情というものが、その感応が、はっきりとして来るという時代であって、親としても本当にうれしいことなのであります。そうしたことから世間の人も、そういうお祝いを迎えて、そうして、はっきりと戸籍においても一人前の人間として登録されるということですから、親にとっては非常に嬉しかったわけであります。七五三の御祝いは一時に世の中に広まったと見えまして、江戸時代の川柳に、「肩車 嫁入りほどの 支度なり」親が一生懸命、自分の着る物を始末しても、子供の晴れ着を買って着せるということであります。また、「十五日 江戸で争う 肩車」という川柳があります。最近では肩車をして連れて来るということはありません。みんな車でサーッと階段の下に横付けにしていらっしゃるということであります。時代の相というものが、こうした川柳にも現れていると思うのであります。

さて、本宗にとりまして、日目上人の御正当日がこの十一月十五日に当たっておるということは、不思議な妙相を示されていると思うのであります。皆様方も御承知のように、日興上人が日目上人に対する付属の証と致されました『日興跡条条事』という文書を残されております。付属書であります。その冒頭に日興上人は「本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主と為す」(聖五一九)

ということをおっしゃっておられます。それから後の条にも、

 「大石寺(おおいしのてら)は御堂と云い墓所と云い日目之れを管領し、修理を加え勤行を致し広宣流布を待つべきなり」(同  上)

ということをおっしゃっておられます。こうした御文証から、本宗におきましては、広宣流布の暁には、日目上人の御再誕の方がお出ましになるのだという一つの信仰が生まれているのであります。

 皆様方で、総本山の客殿の丑寅勤行、満山供養等々の儀式に御参詣になった方は、よくおわかりと思いますが、客殿は三宝式と申しまして、中央に御本尊様、そして左側と右側と両方にお御影様が御安置されております。その左側が大聖人、日興上人が右側という、この三宝の形式をもって仏前が安置されておられるのであります。今、皆様方が勤行の時に、二座におきましては御本尊様の御観念、御供養を申し上げ、そして三座の時には観念文として、まず大聖人様で御題目を三唱し、そして日興上人で、また御題目を三唱し、、その後、日目上人で観念をして、そしてその後、日道上人、日行上人という風に続けるような観念の形式になっております。時々、「なぜ、日目上人では切らないで、日目上人から御歴代に続くのですか」という御質問を受けるのであります。これは、御本尊様、大聖人様、日興上人は三宝として客殿の御宝前に御安置されておりますように、きちっと、法の本尊(御本尊様)、人の本尊(大聖人様)、そして僧宝の日興上人というように仏法僧の三宝に配して御題目を三唱し、法味をお供え申し上げるということであります。そうして日目上人の座というのは、それは客殿において猊座の席が東側を向いてしつらえられておられますが、その猊下のお座りになられる所が、日目上人の座なのであります。そして第四世以下、御歴代の猊下は、その日目上人の座を継いでおられるわけであります。そして一閻浮提の御座主としての立場に立って、私達を導いておられるわけであります。その客殿の御宝前において、三宝尊の仏界と私達の九界が、相一如(あいいちにょ)する所が、客殿の内陣、板の間であるわけであります。しかも、東向きにお座りになられて、私達を三宝様に取り持っておられるのが、一閻浮提の座主としての、御法主上人の御立場であるわけです。ですから、日道上人、日行上人等の御歴代の猊下は常に日目上人の座に座っておられるという意味で、日目上人以下御歴代の先師の御観念の時に、途中、日目上人で区切らないという意味が、そこにあるわけです。代々の御法主上人は日目上人の座にすわっておられる。ということは、広宣流布がいつ実現いたしましても、その時の猊下が、やはり日目上人の嫡子分(ちゃくしぶん)としてそこにお座りになっておられるという意味であります。そうしたいろんなことから、その源は『日興跡条条事』ということでありますが、古来大石寺におきましては、広宣流布の暁の御法主は日目上人という、そうした信仰が今日まで受け継がれているのであります。

 従って、この十一月十五日の日目上人の御正当日には、小僧さんを非常に大切にいたしまして、その小僧さんの中に日目上人が、ここにいらっしゃるということを確信する。未来の御法主上人猊下がここにましますという確信を持って、その小僧さんを、また、大事にして育てていくという、そうしたことが、古来より本宗の大石寺大坊において行われてきているわけであります。

その同じ十一月十五日に、皆様方の世間においても、我が子を広宣流布の人材として立派に育てていく。育つことを大御本尊様に御祈念申し上げ、また、今日まで、三才、五才、七才まで無事に育ったことを御本尊様に感謝申し上げて、そして親子一体となって広布の人材になって精進してまいりますということをお誓い申し上げる。僧侶にあっては未来の日目上人の御出現を喜び願い、また、世間にあっては、皆様方のお子さんが広宣流布の人材として、その第二の出発、誕生として御祈念申し上げるという、非常に出世間、世間共に不思議な妙相が、そこに相一致するものがあると思われるのであります。世間の人の七五三とは違って、本宗における七五三だけが最も尊い七五三のお祝いなのだという確信を皆様方お一人お一人が持っていただきたいと思うのであります。そして皆様方のお子さんが、内実共に広布の人材として一歩一歩着実に成長されていく、ということをしっかりと確信する。そのことを御祈念申し上げる。その日として十一月十五日を迎えていただきたいと思います。そしてまた、三才、五才、七才とその節ごとに、子供としての一つの節目として、その子供さんを立派に躾(しつけ)ていく、そういう躾の日としていただきたいと思います。ただ、お祝い、お祝いと言って浮かれている日ではなく、しっかりと三才の子供には三才の、五才の子供には五才の躾を教え、七才の子供には七才の、やはり信心を根本とした躾をきちっと植え付けて、言うならば、赤ちゃんの時に、皆様方の子供が福子として生まれた子供であったとしても、しっかりと御授戒を受けて、その心田に、この南無妙法蓮華経の下種をした、その下種の芽を更にしっかりと根付けて、立派に発芽させ成長させていく。そうした下種の芽を確実な苗として育てていく。そういう一つの節目として、この七五三の日を迎えていただきたいという風に思う次第であります。

従って本宗における七五三は単なる我が家の七五三なのではなくて、広宣流布という大目的の上に立って、日目上人の御出現を願い、未来の御法主上人の御誕生を喜び、そして我が子も共に合わせて、そうした信心を根幹にした広布の人材を養成し、育てていく決意に立つ日だという風に心がけて、今後、皆様方の子供さんのお祝いをしてあげていただきたいということを申し上げまして、本日の御挨拶に代えさせていただく次第でございます。大変、御苦労様でございました。

(昭和六十二年十一月十五日)