日蓮正宗のススメ

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秋山泰忠と秋山家

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『日曜講話』第五号(昭和63年11月1日発行)
秋山泰忠と秋山家

 皆さん、お早うございます。本日御受戒ならびに御参詣の皆様方の過去遠々劫以来、謗法罪障消滅、家内安全、息災延命、信心倍増、現当二世心願満足、ならびに皆様方の御一家の御健勝と御繁栄の御祈念を懇ろに申し上げました。ただ今、御授戒をお受けになり、また、御本尊を授与された皆様方は、今日から日蓮大聖人様の弟子として、また、御信徒として、どこまでもこの正宗の正しい信心を全ういたされまして、これからの揺るぎない幸せな境界を一歩一歩、この信心を根幹にして切り開いていっていただきたいと念願する次第でございます。

 大聖人様の仏法は、この正法を土壌にして一人一人の命の、過去世の一切の罪障を消滅し、現在の自分を打開し、そして未来にわたって一族一門の人々の幸せを、また、世界の広宣流布を実現するというところにあるのでありまして、ただ現実の小さな功徳、功徳という、そうした物乞いの信心をするのではないのであります。一人一人の生活といい、人生といい、仕事と言わず、勉学と言わず、一切の自分の命を根本にして、総ての物に打ち勝っていく、総ての物を改革していく、そうした非常に大きな広がりと深い意味をもった信心なのでございます。

 一例のために申し上げるのでありますが、日蓮正宗の寺院の中で、ただ一つJRの駅の名前になっているお寺がございます。これは四国の香川県に「高瀬大坊」という駅がございます。皆様方は早速おうちにお帰りになりまして、時刻表の最初のところに路線の地図が載っておりますから、四国の地図の香川県の所を御覧になりますと、「高瀬大坊」という駅名が残っております。ここに日蓮正宗の本山格のお寺として、高瀬の本門寺というお寺があるのであります。歴史的に申し上げますならば、約六百八十年の昔に建てられた寺院でありまして、二祖日興上人の御弟子の日仙上人という方が開かれたお寺でございますし、その本門寺を開く、その外護の大檀那となった方が、秋山泰忠という方であります。この方は元々、甲州、今の山梨県の出身の方でありますが、領地換えによりまして、現在の四国の香川県、高瀬に移られたのであります。その当時の豪族の一人でございました。この方が、まだ甲州の時代に、山梨の甲府にいらっしゃる時代に、日興上人の教化によって、大聖人様の信心を貫いた方なのであります。この方の信心が六百八十年経った今日まで立派に、一族の方に引き継がれまして、今日、秋山家の人達が営々としてこの正宗の信心を貫くと同時に、また、社会的にも立派に活躍をなさっておられるのであります。

私は、今まで約二十年間、埼玉県の浦和の住職を拝命しておりました。秋山家の現在の御当主は、その浦和に住んでおられまして、お父さんは非常に珍しい御名前で、秋山六郎兵衛という、昔の古風な名前でございますが、職業は東京大学のドイツ文学の先生をしておられまして、停年で、その後は学習院大学の教授となって、お亡くなりになりました。その方の学園葬を私の浦和のお寺でやっていただきたいということの願い出があったのでありますが、学校の先生ですから、しかも学園葬ということであるならば大学の講堂でして下さい、その方が良いと思います、ということで、学習院大学の講堂で、その先生のお葬式をしていただきました。そのお子さんが現在、長男は九州の博多で、西鉄観光の常務取締役になっておられますし、次男の方は浦和に住んで、東京外国語大学の教授となっておられます。そのように今日、七百年になんなんとする時を隔てても、その一族一門の人達が立派に信心を貫き、しかも社会的にも立派な境涯になって、活動をしておられるのであります。

今日の信心というものも結局、自分だけの信心ではない。それが百年先であれ、二百年先、五百年先、七百年経っても、その信心を継いで、そして一族が栄えておる、栄えていくんだ、という確信を持って今日の信心を全うしていただきたいと思うのであります。その秋山家の初代の方が残された遺言状と言いますか、「泰忠譲り状」という御真筆のお書き物が、現在の四国の本門寺に残っております。その中に、秋山家の初代の泰忠さんが、どういうことを書き残しておられるかと申しますと、この一族一門の中で兄弟、そして子供、孫、ひ孫、伯父、いとこも含めて、一族の中にどんな争いがあったとしても、どんないさかいがあったとしても、十月十三日、十四日、十五日まで、この三日間は、どんな争いがあっても、そのことを留めなければいけない。十三日とは大聖人様の御正当日です。少なくとも大聖人様の御正当日には、御会式を奉修するその日には心を一つにして、泰忠が大聖人を仰ぎ申す如くに相勤めよと申し渡しておられるのでございます。そして、もし自分の信心を、本当に大聖人様の弟子としてその信心を全うする、その信心を受け継ぐことのできない子供達や孫達やひ孫達であって、しかも、その十三日の大聖人様の御正当日にも、争いをしておる、そういう人間には一切の家督を譲る必要はない。総領の特権において、国主にも申し出て、その者の財産・家督は全部本門寺に御供養しなさい、ということを書き残しておられるのであります。そしてまた、その本門寺以外の別の師匠を立ててはいけない。本門寺の日仙上人、そして大弐阿闍梨等々の本門寺の御歴代の人以外に自分の師匠を立ててはいけない。信心の師を立ててはいけない、つまり謗法をしてはいけない。また、迷ってはいけない、ということを厳しく申し渡しておられるのであります。しかも、その信心を自分の一族だけではなくて、その領地の民、百姓の領民に至るまで、しっかりとこの信心を教えて、そして自分の一族だけが幸せになればいいというのではなくて、自分の領地の領民も含めて深くこの信心を通して、その人達を守り、その民、百姓も信心が継げないならば、妙法の信心が継げないならば、その人を外護する必要はないということまで申し渡しておられるのであります。

初代の人がそれほどの強い信心を持ち、そしてまた、自分の一族の者達にそれほど、また、厳しい信心を教えて、この信心を継げない者には家督を譲る必要はないという、そうした強い、強盛な計らいと言いますか、それが、ずぅっと、三百年、五百年、六百年、七百年と今日まで伝えられてきた、その証として、秋山家が今日まで存続し、そして今日まで信心に生き、立派にこの世の中に活躍をしておられるのであります。

日蓮正宗の御信徒の中に、そうした立派な先輩がいる、そうした一族がいるということを心に置いて、皆様方も今日の信心は決して自分一代のものではない、たとえ、それが三百年先、五百年先になっても、皆様方のその三百年後の御子孫が、昭和の時代の人が、この尊い大聖人様の信心を、我が一族の最初の燈火として点して下さった、それが今日に広がって、一族がこんなにも和気あいあいとして、一族がこんなにも幸せにと、日本ないし世界中の人々から羨まれる、このような境涯に自分達がなり得たんだと、三百年先、五百年先、七百年先、千年先の子孫が喜んで下さる、歓喜して皆様方を敬い、皆様方を有り難いと感じ、皆様方を慕う、そうした未来というものも、今日の皆様方の信心によって開かれるのだということを心に置いて、過去・現在・未来と、三世を救う大聖人様のこの仏法なのだということをお考えになって、これからも、この正法・正師の正義を、どこまでも絶やすことなく、全うしていっていただきたいということを申し上げまして、本日の御挨拶に代えさせていただく次第でございます。大変、御苦労様でございました。

(昭和六十二年十一月八日)