日蓮正宗のススメ

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偽宗教家の言に迷うな

『日曜講話』第三号(昭和63年7月1日発行)
偽宗教家の言に迷うな

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 皆さん、お早うございます。今朝、御参詣の皆様方、御授戒、御本尊御下附の方々、そして又、大御本尊御祈念願いの皆様方の過去遠々劫以来、謗法罪障消滅、家内安全、息災延命、信心倍増、現当二世、心願満足、並びに皆様方の御一家の御健勝と御繁栄の御祈念を懇ろに申上げました。この日蓮正宗の信心を致されまして五年、十年、中には三十年、四十年、あるいは二代三代と続く方もいらっしゃいます。

 そうした中において、やはり人間でございますから、大聖人様の御指南の通り、一閻浮提第一というお言葉の如く世界一の信心をしておる、御本尊の力が世界一、その法門が世界一ということは、又同時に功徳が世界一、閻浮提一ということを教えられるけれども、しかし一日の生活の中で、長い一生の間を通じまして、自分の身の上に、あるいは家族のだれかの身の上に次々、次々と不幸なことや辛いことや色々な問題が澎湃として起こって参りますと、ついつい信心を忘れて、世の中の人々や、ちょっとした友達の紹介等々によって、わけの分らない心霊家であるとか、色々なそういう人のところに、つい足を運んでしまう人も中にはあるのであります。人によりましては「ちょっと相談に行くだけだから、あるいはちょっと見てもらいに行くだけだから、信心とは関係がないから、決して謗法にならないのだ」というようなことを言って、そういう口実を自分ながらに考えて、ついそういう所に行ってしまう人があるのであります。

 先日もある人から私の所に、こういう電話がありました。御近所の奥さんのお友達の話の中から、ついフラフラと自分もそういう所に相談に行った。そうしますと、その日は何だかわけの分らない、ひとつの法要みたいなのが勤まっていて、自分も末席に列なって帰ってきた。ところが一週間程たちますと、その所から電話があって「あなたの家の霊を全部あずかっているから、五千円持って受取に来て下さい」と言われた。自分は非常に気持ちが悪くなって、どうしたら良いでしょうか、という電話がかかって来まして、「あずけた覚えのない物をあずかっていると言うのだったら、あなたに差上げますから、煮て食べようとやいて食べようと御自由にして下さい、と答えなさい。そういう風にして言ってやりなさい」という風に申しました。そういうわけの分らない変な宗教家だとか、人の弱味につけこんで色々なことを考える偽宗教家が世の中に跋扈しているものでございます。

 それから又、私が浦和にいます時に、ある年の十二月早々のことだったと思います。この方の御主人は、かつて、心筋梗塞で三回ほど発作を起こして倒れたことがある。この次、発作を起こすと、もう命がないと前からお医者さんに宣告されていた。その四回目の発作らしいものが起こって、今、大宮の日赤病院に入院をしていると言うのです。その一家にとりましては、奥さんの身の上にも段々と年をとって参りますと、人間はあっちが痛いこっちが痛いということがあります。そうこうしているうちに、娘さんが喧嘩をして嫁ぎ先から戻って来たというようなことで、御主人は入院しているし、娘さんはそうやって喧嘩をして帰って来るし、奥さんはあっちが痛いこっちが痛いと、次々とそうした不幸なことが積み重なってくるものですから、やはりその方も、つい誘われるままに、ある心霊家の所に行ったと言うのです。それもやはり、その方に言わせてみれば理由がある。どういうことかと言いますと、この十二月という師走の慌ただしい月になって、その大宮の日赤病院の先生から「福岡県の小倉の記念病院にあなたを紹介する。だから遠いけれども小倉の病院まで行きなさい。そこで手術を受けなさい」ということを言われた。大宮から遥々と九州の地まで一千キロ近く距離がある。その途中には東京もある。東京には有名な大学病院も沢山ある。同じ、先生が紹介してくれるのだったら、もっと近い東京にだって立派な病院が沢山あるはずだ。それを選りに選って、そんな九州の病院まで行きなさいということを言われた。

 そういうことがあって、心霊家に相談に行った。そうすると「とんでもない。急に今の時期に九州に行くなんて、時期も悪ければ方角も悪い。とてもとてもそんな所へ行ってはいけない」ということを言われた。そこで、せっぱ詰まって私の所に相談にみえたのであります。

 ところが、これは真に不思議なことなのですが、その方が相談にみえた一週間程前に、私が、ある新聞で、この九州の小倉の記念病院における、心筋梗塞とか、色々な意味の心臓病の手術とか、後のリハビリだとかそういう成績が今、日本で一番良い成績をあげているという記事を、ちょうど不思議な御縁で読んでいたのでございます。そこで恐らく日赤の先生も、やはり今、現状では日本で一番の成績をあげているからということで、御紹介をして下ださったのだと思うのであります。

 それを、やはり人間は、もっと近い所で、もっと近い所でと思います。それから又、暮れから正月にかけての時期に遥か一千キロも離れた所まで行かなければならない。それは家族にとっても大変なことであります。本人にとっても、果たして新幹線に乗って自分が大丈夫だろうかと、不安に駆られるのは当然でございます。今、その心臓発作の危険があるから入院しているのに、それを敢えて九州まで行けと言うのですから、大変な勇気が要ることであります。

 そこで私は「そんなわけの分らない心霊家が、どう言おうとも、とにかく行きなさい。思い切って行きなさい。私も朝晩、きちっと御祈念をしてあげるから、あなたも勇気を出して行きなさい」ということを申しました。そこで、この奥さんは御主人を伴って、遥々と九州へ行きました。そして、その小倉の記念病院に入院して、しかも小倉のお寺の真前の仏壇屋さんから、小倉の公明党の市会議員さんを紹介して頂いて、その方の御縁で病院のすぐ近くに小さなアパ−トの一室を借りて、御本尊様を御安置して、そして御主人の看病以外、奥さんは、そのアパ−トに帰って、ずっと勤行、唱題を貫いた。

 十二月というのは普通考えますと、だれでも暮れからお正月にかけて先生だって休暇をとるに違いない。お医者さんも看護婦さんも手薄になるに違いない。みんな、そういう風に思うのであります。ですから時期としても、一番悪い時期だと考えるのが当然であるかも知れません。ところが、むしろ、その方にとっては、その十二月というのは、小倉の記念病院一番の先生がヨ−ロッパに半年間、技術指導に行っておられていて、丁度十二月に帰って来た。そして、その暮れの手術に、その先生自らがやって下ださった。ですから、その心霊家に一番悪いと言われた十二月という時期が、むしろ一番最高の時期であったわけであります。小倉の病院の先生の話によりますと、この方が慶応病院で、かつて石原裕次郎さんが大病をして手術をなさった。その時に遥々と、慶応病院の方から頼まれて九州から応援に駆け付けたという伴先生という方だったというのであります。その方が遥々、ヨ−ロッパの出張から帰って来て、そして自ら執刀して下ださった。ですから一番悪いと言われた時期が、その方にとっては寧ろ一番最高の時期で、又、最良のお医者さんに巡り会う時でもあったのであります。

 そして、その年のお正月を小倉の病院で過ごしたけれども、春になって本当に元気になって帰って来られたのであります。六十才を過ぎた方でありますけれども、職場にも復帰して立派に日常生活をなさっておられます。

 そのように変な心霊家や、変な宗教家に、方角が悪いの、時期が悪いの、あなたの家の造りが悪いの、何が悪いのと、みんな、そういうことを言われるたびに、人は迷うのでありますけれども、しかし、大聖人様の一閻浮提第一の正法を持った人は、しっかりとした信念を持って、御本尊が第一ならば、又、教えが第一ならば、その教義が第一ならば、その功徳も、そのはたらきも、そして一切の諸天善神の加護も第一なのだということを、しっかりと心に置いて、そうした世の中の色々な人の雑音に紛動されない、強い確かな信心の心を持って頂きたいということを申上げまして、本日の御挨拶に代えさせて頂く次第でございます。大変、御苦労様でございます。

(昭和六十二年六月二十八日)