日蓮正宗のススメ

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日蓮正宗 法華講員の体験談 「育成・団結の応援に感謝」

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団結って大事ですね。

塔中妙住坊支部 M上S子さん (富士地方部総会より)
 私は平成二十年九月、静岡市に住む知人のG藤M子さんから折伏を受け、日蓮正宗に入信しました。G藤さんとは、私が以前信仰していた霊友会支部長の紹介で、信仰とは別の件で、たまたま紹介されて知り合いました。
 私が霊友会に入ったのは、その教えが法華経による先祖供養ということだったからです。私は二十歳の時に父を亡くしており、また私がM上家に嫁いで数年後にガンで亡くなった主人の父や、その後亡くなった主人の母、また乳ガンで四十三歳の若さで亡くなった主人の兄嫁のことが気になり、きちんと供養をしたかったのです。
正しい供養のはずが
 しかし、霊友会に入って一年が過ぎた頃、だんだん不信を感じるようになりました。ある会員は、親兄弟、子供、親戚、友人など百人を無断で入信させ、毎月全員分の会費五万円を自分で払っていました。その人は、月一回の法座という集まりで支部長から、勧誘した人が名ばかりの会員だと集中的に嫌みを言われ、いじめられていました。そんなある日、突然、
「行動が気に入らない」
と私もいじめの対象になったのです。そして平成十九年十月、霊友会を脱会しました。
 一カ月後の十一月、主人が交通事故に遭いました。右折車線で停車していた主人の車が、左後ろから追突されて反対車線に押し出され、前から走ってきた二トン車と正面衝突してしまったのです。「く」の字に曲がった車からレスキュー隊に助け出された主人の怪我は、両足の指の骨折でした。保険会社の人からは
「死亡してもおかしくない事故でしたね」
と言われました。今振り返ると、あの時、霊友会を止めていて本当によかったと思います。
 十二月になり、G藤さんが、日蓮正宗総本山大石寺が世界でただ一つ、正しい教えを伝えているお寺であると、私を折伏してくれたのです。しかし私の中では、
大石寺イコール創価学会
というイメージがあり、
大石寺はちょっと…」
と言って断りました。それでもG藤さんは、何度も信心の話をしに来てくれました。
 平成二十年七月頃だったでしょうか、G藤さんから、
「今からすっごいプレゼントを持って行くからね」
と電話がありました。主人と
「何かな」
と楽しみに待っていると、現われたのは、妙住坊の御住職・田畑道権御尊師とU杉婦人部長でした。
 御住職とU杉さんが日蓮正宗の信仰の話をしてくださり、さらにU杉さんから、玄関や部屋に貼ってある神札のことを聞かれました。
「こんな物を貼っておいてはいけない」
と言われ、あまりの怖さに神札を急いで剥がしました。謗法物は大きな袋二つ分もありました。
 後日、G藤さんに
「わざわざ御住職に来ていただいたのに申し訳ないのですが、あの怖い婦人がいるのでは、大石寺の信仰は無理です」
とお断りしました。それでもG藤さんは、
「一度お寺に行きましょう」
と誘ってくれました。あまりの熱心さに、九月十五日へG藤さんと一緒に、妙住坊に伺いました。坊の前で主人と、
「今日はお話を聞くだけにしよう」
と言って中に入りました。
 御本尊様の前で御住職のお話を伺い、その温かく優しいお話に、主人と二人、入信を決めました。その日は御授戒、御本尊御下付、御開扉とすばらしい一日でした。二人の子供にはすぐに日蓮正宗に入信したことを伝えました。しかし、近所に住む母には言えませんでした。

唱題に励むうち 息子たちが入信
 平成二十一年のお正月を迎えても母に話せずにいると、U杉婦人部長から、一ヵ月間、一日一時間の唱題をするようにアドバイスされました。すると、一月末に母に話をすることができたのです。母を説得して一緒に妙住坊へ伺いましたが、御住職のお話を聞いても母は入信に至らず、その日から母との闘いが始まりました。
 さらに、その頃、次男が就職し、東京で一人暮らしを始めました。ある日、帰省した次男と食事をしていると、次男が
「仕事を辞めたい」
と言い出しました。主人と私が
「辞める前に日蓮正宗の信心をしてみたら。会社はいつでも辞められるのだから」
と言うと、それ以来、会社の話はしなくなりました。
 また、既に社会人になって営業の仕事をしていた長男が、努力してもなかなか成績が上がらないと、ときどき電話をしてきました。その都度、
日蓮正宗の信心をしてみたら。きっと変わるよ」
と言いましたが、
「このままがんばってみる」
という返事でした。私は一日も早く家族全員を正法に導きたいと思い、御住職に御祈念をお願いし、さらに唱題に励むようになりました。
家族の入信・知人の折伏成就、満ちてくる有り難さ 
そしてこの年、私は御法主日如上人猊下の大導師で行われた百日間の唱題行に、週一回参加させていただきました。毎週水曜日、客殿で朝八時から一時間の唱題行に参加した後、午前十時からは妙住坊での五時間唱題に参加しました。唱題に参加した日は、充実した一日を過ごすことができました。
 百日間の唱題行が満了した七月九日の夜、次男から突然、電話があり、
「お母さん、僕、あそこの信仰に入ろうと思う」
と言ってきたのです。
「あそこって、どこ」
と聞くと、
大石寺
と言うのです。驚きのあまり一瞬耳を疑いましたが、すぐに嬉しさと有り難さで、胸がいっぱいになりました。
 次男は七月二十一日に入信し、九月十五日に御本尊様を御下付戴き、御住職が東京へ行って御本尊様を御安置してくださいました。
 また、八月に長男夫婦を連れて妙住坊に伺い、御住職に会っていただきました。そして九月二十三日に長男が入信し御本尊様を御下付戴き、十二月には嫁のK恵さんも入信できました。長男は、仕事の面でも大きな功徳を戴き、入信してからは自然と仕事の話が入って来て、売り上げゼロの月がなくなったのです。
 入信した頃、主人は事故の後遺症と、以前から腰を痛めていたこともあって奉安堂まで歩いて行けませんでした。ところが入信して四カ月ほど経った頃から、主人は白分で歩いて奉安堂まで行けるようになりました。今ではへ毎月御報恩御講の日に、家族揃って御開扉を受けさせていただくことが楽しみでなりません。
 また、主人の仕事も、この不況にもかかわらず、入信当初からすると売り上げが二倍以上になる月もあります。親子共々、本当に御本尊様の功徳を戴き、感謝の日々を過ごしています。
「私も入信しようかな」 待っていた言葉が。

 さて、残るは私の母です.最初の頃はすぐに言い争いになっていましたが、だんだん私も冷静に話ができるようになり、そうなると母も私の話に耳を貸してくれるようになりました。御講での御住職のお話などを伝えるようにすると、母も自分が通っている邪宗の寺と大石寺との違いが、だんだん判ってきたようでした。平成二十二年八月二十八日の夜のこと、母と話していると、いつの間にか日蓮正宗の話になって、母が突然、
「私も入信しようかな」
と言い出したのです。このチャンスを逃してはならないと思い、すぐに御住職にお電話しました。翌日午前中に御授戒を受けられることになり、自宅に帰った母に知らせに行くと、母は仏壇の中の謗法物を全部出して、掃除をしていました。その夜は、嬉しいのと心配なのとで、なかなか寝付けませんでした。朝、母の所へ行くと、母は仕度して待っていてくれました。妙住坊へ伺い、念願の御授戒と御本尊御下付をしていただきました。御住職はお忙しい中、その日のうちに母の家に御本尊様を御安置してくださり、母は御住職の真心に感激していました。信心の話となると言い争いになった辛い日々が、嘘のようです。
 入信後しばらくして、母は父の遺骨を一日も早く大石寺に移したいと言い出しました。その後、典礼院に墓地を購入できました。お墓詣りで母が手を合わせて
「南無妙法蓮華経
と御題目を唱える姿を見て、有り難くてなりませんでした。
 また、講中のT中M衣さんが平成二十三年元旦から妙住坊の朝の勤行に毎日参詣していることを聞きました。私は、沼津市の自宅から妙住坊までは車で一時間かかるので、朝の勤行に参詣するのは無理だと思っていましたが、入信以来、言葉に表わせないほどの功徳を頂戴し、毎日安心して生活させていただけるご恩返しをするには折伏しかないと決意し、百日を一つの区切りとして朝詣りを始めました。百日の間に、長男のところに初孫となる元気な男の子が誕生しました。出産予定日の朝、息子から
「今から病院に行く」
と連絡がありました。早朝にお産の兆候があり、嫁は朝の勤行・唱題を済ませてから病院へ向かったそうです。お陰様で、出産後すぐに
「もう一人産んでもいい」
と思えるほどの安産でした。その孫も平成二十三年九月に御授戒を戴き、二歳になる今、御開扉や御講の時、大きな声で
「南無妙法蓮華経
と唱えられるようになりました。今年に入り、長男は仕事でさらに大きな功徳を戴くことができました。先日、嫁と話す機会があり、
「ふだんの生活の中で問題がないわけではないですが、今、本当に幸せです」
と言ってくれ、何気ない一言に、親として改めて有り難い気持ちになりました。長男家族は、毎月の御講参詣と朝夕の勤行・唱題を中心として生活しています。
 また次男も、この信心のお陰で社会人五年目になり、責任ある仕事を任されるようにもなりました。人間関係に恵まれ、充実した日々を送っています。

新たな二人の同志

さて、日々折伏成就を祈る中、私はたまたま行ったホームセンターで同じ沼津市内に住むT山S千子さんと、七、八年ぶりに再会しました。
「お久しぶり。お元気ですか」
と声をかけると、T山さんはご自身が子宮ガンを患い、ご主人も心筋梗塞になり、息子さんのことでも悩んでいると話してくれました。この時、T山さんは信仰していた真如苑に疑問を感じていたところでした。そこで、間違った信仰では幸せになれないこと、正しい信仰は日蓮正宗の信仰だけだということをお話し、
「一日も早く大石寺に行って正しい信心をしましょう」
と言うと、T山さんも行ってみたいと言いました。十五分ほどの立ち話でしたが、昨年二月二十六日、妙住坊にお連れできました。
 彼女が疑問に思っていた創価学会真如苑のことなど、御住職から一つひとつお話をしていただき、彼女は納得して御授戒を受け、御本尊様を御下付戴くことができました。この時へ講中の方が、折伏成就を願ってずっと唱題していてくれたことを知り、異体同心の信心のすばらしさを感じました。
 その後、T山さんから従姉妹のN山H子さんの話を聞きました。N山さんは乳ガンでした。四月五日、T山さんが妙住坊にお連れして、N山さんはその日のうちに御授戒を受け、御本尊様を御下付戴くことができました。今では血液検査の数値が正常になり、治療の必要がなくなりました。医師もあまりの変化に首を傾げるばかりだということです。N山さんは今、ご家族を折伏中です。
 また、T山さんも、息子さんと友人のF山さんの折伏が成就し、さらに友人、知人を折伏中です。
 私は、自分が育成していただいたように、信心の同志であるこのすばらしいお二人の育成に全力を尽くしていきたいと思います。特に、毎週水曜日の五時間唱題は絶好の機会です。講中の皆さんも育成の応援をしてくださり、団結のすばらしさを実感しています。
 また、母のことですが、昨年、アルツハイマー認知症と診断されました。父が早く他界して女手一つで私を育ててくれたためか気が強く、いつもぶつかり合って、罰当たりにも私は母のことが好きではありませんでした。しかし、入信以来、母への思いが変わってきて、今は親孝行をしたいという思いでいっぱいです。
 母は今、御講などの行事に参詣できないため、毎月、御本尊様に精いっぱいの御供養をさせていただき、御報恩申し上げています。『聖愚問答抄』に、
「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なくへ善根として動かざる事なし」
(御書四〇八頁)
とあります。私の信心はまだまだ未熟ですが、平成二十七年・三十三年の御命題達成に向けて、御法主上人猊下の御指南を根本に、御住職の御指導のもと、一人でも多くの人に御本尊様の功徳を伝え、折伏させていただきたいと思います。